ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

南洋編 15 ~最前線基地ラバウル~

2010年07月13日 | 人生航海
やはり、荷役の積み降ろしには、かなりの人手が必要だった。

私達軍属も工員達も忙しく、毎日の船舶の出入の時は非常に忙しい思いをした。

そんな仕事が当分続いて、その後何とか落ち着くと、次第に安心感が戻ってきた気分になった。

ニューブリテン島のラバウルは、その当時、ソロモン諸島の戦闘に備えての最前線の基地として日本軍の最重要な港だったのである。

多くの船舶の出入港があり、私達の停泊場部隊は、それを扱う部隊で、私の主な任務は、スラバヤと同じように船舶との連絡と信号伝達を行うことであった。

そこでは、ブーゲンビル島やソロモン諸島への武器弾薬、兵力の輸送や陸海軍の補給などで、日夜多忙な時期が続いていた。

その頃は、ソロモン諸島近辺では、陸海軍共に苦戦を強いられていた。

負傷者も多く出ていて、南太平洋の島々に物資の輸送や部隊の移動の為、ラバウルは、船舶の配船等までを含めた多くの業務を取り扱う中継地となっていた。

次第に、私達の停泊場部隊の任務は重用になってゆき、輸送船の出入港は、ますます頻繁になっていった。

それゆえに、ほとんど輸送船の荷物の積み降ろしや、その後のトラックへの積み替えは大変だった。

スラバヤの頃とは全く違い、辛い日勤であったが、それが終わった後、トラックで各部隊に物資を届ける時は、気持ちもほっとして、やや楽な気分になったものである。

そんな時は、何故か気分も開放されて雰囲気も変わった。

特に、丘から眼下に見下ろすラバウルの港内の風景は絶好の眺めで、何とも言いようのない程に美しく、その山には、日本軍の飛行場もあった。