ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

南洋編 23 ~パラオ島・百島寄港~

2010年07月28日 | 人生航海
その後、各船は再度船団を整えて、潜水艦からの魚雷攻撃に備えて、見張りを厳重にしながら、一路北上を続け、途中、パラオ島に寄港したのである。

此処で、沈没して救助された乗船者達を他の船に移乗して様子を聞いたようだ。

その日は、パラオに停泊する事になったが、或る将校が、上陸したい者とボートを漕げる者を集めて、船長に頼んで上陸することになった。

私も一緒に行くことになったが、碇泊場所からパラオの港まではかなり遠く、数人が並んでオールを漕いでも、桟橋に着くと手に豆ができていた。

どうにか港に着いて、パラオ島に上陸して見ると、繁華街らしき処はなくて、ただの南洋の島であり、洋風の美しい家屋が並んでいた。

日本人も多く暮らしていると知ったが、皆、裕福な生活をしているようにも思えた。

南方特有の果実類も豊富らしく、島の周囲は、サンゴ礁に囲まれており、海も美しく、一度
見ておいて好かったと思い出す。

今でも、パラオと聞けば、あの時が懐かしく蘇る。

そして、パラオを出て船団は、再び北上を続けて、マリアナ諸島の西方を通過し、見張りを厳重にしながら、一路、故国に向けて航行を続けた。

以後は、敵の攻撃は、一度もなく、数日後には、日本の海域に入り、沖縄諸島を通過した。

そして、豊後水道を通過して、広島港に到着したのである。

久しぶりの宇品の運輸部であった。

そして、似島で検疫を終えて、翌日には、陸軍運輸部で申告を済ませ、それまでの俸給等の総て精算して貰った。

思えば、昭和13年から昭和18年までの約5年間の歳月を軍属として、お国のために働いた。

そして、あの時、大島大尉の御厚意により、帰国が叶ったのである。

広島での一泊後、私は、夢にまで見た故郷の百島に帰ることが、無事に出来たのであった。