その頃には、南太平洋近辺で、敵の潜水艦の出没が頻繁になっていた。
航行中は特に注意するようにと言われていたが、日本の船舶が、度々敵の魚雷を受けるようになっていたのである。
その為、特に見張りを厳重にして航行を続ける事になっていたが、当時は、まだ日本海軍は健在であり、制海権は、いまだに我が方にあるものと信じていた。
そう思い込み、恐れるに足らんと思いながらも、若しドカーンと魚雷が命中したら、一巻の終わりと思うと気が気でなく、怖かったのは事実だった。
そんな事を考えていると、何故か急に故郷の事が目に浮かんでくるのである。
そんな思いの中で、航海は続き、心配なく潜水艦からの攻撃は一度もなかった。
ニューギニア島沖を通過して何日か過ぎて、目的地のニューブリテン島のラバウル港の近くになると、何故か又心配になった。
それは、空襲が毎日のようにある事を聞いて知っていたからかも知れない。
そして、いよいよラバウルの港に入港すると思うと、又新たな気持ちにもなり、何故かそれまでと違った気になった思いがした。
そう思い気分を取り戻して、まもなくラバウルへの入港時の際に見た港の近辺の光景は、素晴らしかった。
今になっても忘れずに、その光景をよく覚えている。
港内は広かったけど、入り口は狭く、その両側には活火山が見えていた。
然も、一方の山では、当時噴煙が立ち昇って、その麓には、露天掘りの温泉があったのだ。
そこを通り抜けて港内に入ると、素晴らしい天然の良港だった。
だが、市街地は、日本軍か敵軍の攻撃によるものか、又は火山噴火で破壊されたものなのかは、分からない侭だったが、激しい傷々しい戦闘のあとを物語っていた。
港内には、大型船舶数隻が、沈んだままに放置されてあり、その上、岸壁も壊れたままであり、船舶の荷役は、困難だった。
航行中は特に注意するようにと言われていたが、日本の船舶が、度々敵の魚雷を受けるようになっていたのである。
その為、特に見張りを厳重にして航行を続ける事になっていたが、当時は、まだ日本海軍は健在であり、制海権は、いまだに我が方にあるものと信じていた。
そう思い込み、恐れるに足らんと思いながらも、若しドカーンと魚雷が命中したら、一巻の終わりと思うと気が気でなく、怖かったのは事実だった。
そんな事を考えていると、何故か急に故郷の事が目に浮かんでくるのである。
そんな思いの中で、航海は続き、心配なく潜水艦からの攻撃は一度もなかった。
ニューギニア島沖を通過して何日か過ぎて、目的地のニューブリテン島のラバウル港の近くになると、何故か又心配になった。
それは、空襲が毎日のようにある事を聞いて知っていたからかも知れない。
そして、いよいよラバウルの港に入港すると思うと、又新たな気持ちにもなり、何故かそれまでと違った気になった思いがした。
そう思い気分を取り戻して、まもなくラバウルへの入港時の際に見た港の近辺の光景は、素晴らしかった。
今になっても忘れずに、その光景をよく覚えている。
港内は広かったけど、入り口は狭く、その両側には活火山が見えていた。
然も、一方の山では、当時噴煙が立ち昇って、その麓には、露天掘りの温泉があったのだ。
そこを通り抜けて港内に入ると、素晴らしい天然の良港だった。
だが、市街地は、日本軍か敵軍の攻撃によるものか、又は火山噴火で破壊されたものなのかは、分からない侭だったが、激しい傷々しい戦闘のあとを物語っていた。
港内には、大型船舶数隻が、沈んだままに放置されてあり、その上、岸壁も壊れたままであり、船舶の荷役は、困難だった。