ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

ゲゲゲの不平等

2010年07月14日 | 千伝。
子供の頃、漫画家水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」を読んでいると、不思議な気持ちにさせられた。

気持ちの良さ、悪さを超えていると言うべきユニークさ・・人間の味方となる妖怪の存在感である。

今日の夕方、書店に立ち寄ると、水木しげるさんの特別コーナーがあって、「水木しげるのラバウル戦記」があったので、早速購買して、今読み終えたところである。

水木さんの片腕が失われたニューブリテン島での戦場・・戦争や軍隊での地獄絵図を描いても、朗らかなユーモアや光がある。

ちょうど、水木さんがラバウルに到着した同時期に、私の父もラバウルに移動になっている。

この頃、ほぼ毎朝、NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」を観ている。

高視聴率も頷けるほど、面白いかな・・やっと貧乏神から抜け出せる状況変化に乞うご期待である。

舞台となる東京の調布は、思入れの強い場所である。

私も、数年間、調布に暮らしていたから、懐かしいのである。

戦争や日常で生死の境を体験した人間は、運、不運というものを必ず意識している。

生きていることが最上の価値ならば、この世は、大きなゲゲゲの不平等だ。

だからこそ、同情という言葉が、怪しく難しいのかもしれない。