人間がライオン退治に出向き、銃を構えると勇敢に襲い掛かって、真っ先に射殺されるのはオスだ。この間に、メスや子供たちは逃げのびる。本来オスとはこういうもので、用心棒でもあるが、消耗品でもある。片や、メスは子供と子供を育成する自分を守るという義務があるから、オスが死のうが意に介さず、自分中心にやってゆける。
カマキリは産卵時期が近付くと、オスがメスに近づき、メスは栄養分としてオスを食ってしまう。もっとも、オスとして哀れなパターンである。
翻って、これらのオスとメスの関係を人間の男と、女の関係に当てはめてみると分かり易い。男にとって、女性は追いかけるべき永遠のターゲットだが、彼の要望が十分満たされることは有りえない。何故なら、女性は本来的に自分中心で、自分への一方的なサービスを求めてくるからだ。男に優しくするとしたら、それは自分へのサービスに満足し、一部を返しているに過ぎない。
私が学生の頃、雑誌などで男が嘆いていたボヤキのパターンとして、「女は子宮で考える」からどうしようもないというのが有った。今やそのような表現に接することは無いが、古から言うではないか、子供と女は養い難いと。
私はひところ、女性(特に日本の女性)は客観的、あるいは論理的な考えができないのではないかと、大いに失望した時期が有った。そんな頃、櫻井よしこが発言するのを聞き、へーと思った。男よりよほど論理的で的を得た主張ができる。穏やかで、核心をついている。
然しながら、櫻井よしこ氏は数少ない例外というべきだろう。一般的には、今日も、日本の女性たちは健全にわがままで自己中心です。男はごちゃごちゃ言わず、女性に奉仕して、子供や韓国スターに行くべき愛情のおこぼれをいただきなさい。