3月17日8時40分、仙台行きの飛行機(10時20分発)に乗るべく愛車を駆り西風ICから高速に乗った。渋滞の掲示が有り、少し遅れるという印象。ところが広島中央ICを過ぎ、太田川上流を跨ぎ、坂を上り始めたところで大駐車場状態。
テレビでは八本松トンネルで5台が炎上する大事故が有ったらしい。次の広島東IC(1区間)まで1時間かかった。そこで、強制的におろされ、何をどうして良いか分からない。ナビに逆らい三次に向け走るがヤナセに電話すると1号線(反対方向)で一旦広島に戻り、東雲で降り、2号線を東に向かえという。
2号線がまた動かない。ANAの電話をスマホで調べ、何度か交渉、夜の仙台行きは満杯、仙台行きを羽田に切り替え、羽田から仙台までは当方負担で新幹線で行くことに。広島空港到着、13時40分には間に合ったが15時40分しか取れない。
バスで客はすぐ手を打てただろうが、こちらは運転しているから思うに任せない。羽田から、モノレール、山手線と乗り継ぎ、東京から新幹線で仙台に向かい、ホテル到着が22時。東北大学の会場下見も、発表練習もできず。
事故は7時50分の早朝。NEXCO西日本は通行止めをしておいて何で走れない道路に車を入れるのか?高速ラジオは何も喋らず、NHKテレビを見るまで何が何だかわからなかった。掲示では渋滞、実際には通行止め。時間は莫大に食うし、予算もかなりオーバー。ICで引き返せば、被害は少なかった。
翌朝、国際ホテルからタクシーで東北大学に向かう。若い新米の運転手で、東北大学工学部と伝えると息がハーハーと聞こえ始めた。緊張らしい。後でわかったのは、工学部を法学部と聞き間違えたようだ。最後までハーハー。東北大学に電話すると電気学会は防災センターの1回で開催していると言う。
新米は防災センターを3回ぐらい間違え、やっと到着、受付で登録しようと思ったら防災の発表。偉い人がタクシーを呼んで頂き、電気科事務所に行き、地下鉄駅で一つ向こうと告げられる。何とかたどり着き会場に入ると僕が発表する直前の時間。
帰りは東京で打ち合わせ、羽田に向かったが、ネットで調べてもらった時刻表より大幅に時間がかかり、19時30分の広島行きに3分遅れてしまった。ANAのカウンターで「もう締め切りました」と言われる。ホテルで宿泊も大変だから、「何とかお願いします」と伝えると若い美人が交渉してくれ、取れそうになった。
昔、新規事業立ち上げで日本中に飛んでいた時は、多い月で4回ぐらい飛行機出張していたから、空港到着がぎりぎりの場合も多かった。列の最後尾につくと遅れた。文句言うと「そんな時はそこら辺の職員を捕まえて伝えて欲しい」と言われていた。
乗り遅れた時のとっておきの手は、ビジネスクラスなどに切り替えることだ(空いていれば)。札幌ではこの手で助かった(当時は+6000円だった)。
ANAのフロント美人は「私についてきてください」と言うと、何と楽に20kgはある僕のバッグをその細腕で持ち上げ走り始めた。僕はびっくりして後ろについて走った。200mぐらい走ったのかな。彼女は一度持ち替えたが、もろともせずバス乗り場まで走った。
今から思うと、無理やりでも僕がバッグを受け取り負担をかけなければ良かったのだが、余りにも立派だったので甘えてしまった。頭を下げてお礼申し上げたが、もちろんそんなもので足りるわけがない。改めて、全日空さんにお礼申し上げます。
日頃、若い世代にはかなりの不安を感じていたが、凄い人もいるんだなと感心した。多分彼女は良い母親になられる。男性はああいう人を見つけて結婚して欲しい。まず母として、奥様として間違いない。全日空の教育や職場環境が素晴らしいのだろうなとつくづく思った。
17日の羽田行きではANAさんから放送で呼び出され、若い母親に席を譲ってくれと頼まれた時は、快く協力していた。そんな事は羽田の美人も知らなかったと思うが、十分過ぎる心温まる奮闘でした。
広島空港からの帰りは大雨だったが順調に走れた。どれかが八本松トンネルだったはずで、屋根から横まで全面的に黒のトンネルもあった、遅くなっていたので気にせず通り抜けた。山陽高速の事故ではひどいめに遭った。
テレビでは八本松トンネルで5台が炎上する大事故が有ったらしい。次の広島東IC(1区間)まで1時間かかった。そこで、強制的におろされ、何をどうして良いか分からない。ナビに逆らい三次に向け走るがヤナセに電話すると1号線(反対方向)で一旦広島に戻り、東雲で降り、2号線を東に向かえという。
2号線がまた動かない。ANAの電話をスマホで調べ、何度か交渉、夜の仙台行きは満杯、仙台行きを羽田に切り替え、羽田から仙台までは当方負担で新幹線で行くことに。広島空港到着、13時40分には間に合ったが15時40分しか取れない。
バスで客はすぐ手を打てただろうが、こちらは運転しているから思うに任せない。羽田から、モノレール、山手線と乗り継ぎ、東京から新幹線で仙台に向かい、ホテル到着が22時。東北大学の会場下見も、発表練習もできず。
事故は7時50分の早朝。NEXCO西日本は通行止めをしておいて何で走れない道路に車を入れるのか?高速ラジオは何も喋らず、NHKテレビを見るまで何が何だかわからなかった。掲示では渋滞、実際には通行止め。時間は莫大に食うし、予算もかなりオーバー。ICで引き返せば、被害は少なかった。
翌朝、国際ホテルからタクシーで東北大学に向かう。若い新米の運転手で、東北大学工学部と伝えると息がハーハーと聞こえ始めた。緊張らしい。後でわかったのは、工学部を法学部と聞き間違えたようだ。最後までハーハー。東北大学に電話すると電気学会は防災センターの1回で開催していると言う。
新米は防災センターを3回ぐらい間違え、やっと到着、受付で登録しようと思ったら防災の発表。偉い人がタクシーを呼んで頂き、電気科事務所に行き、地下鉄駅で一つ向こうと告げられる。何とかたどり着き会場に入ると僕が発表する直前の時間。
帰りは東京で打ち合わせ、羽田に向かったが、ネットで調べてもらった時刻表より大幅に時間がかかり、19時30分の広島行きに3分遅れてしまった。ANAのカウンターで「もう締め切りました」と言われる。ホテルで宿泊も大変だから、「何とかお願いします」と伝えると若い美人が交渉してくれ、取れそうになった。
昔、新規事業立ち上げで日本中に飛んでいた時は、多い月で4回ぐらい飛行機出張していたから、空港到着がぎりぎりの場合も多かった。列の最後尾につくと遅れた。文句言うと「そんな時はそこら辺の職員を捕まえて伝えて欲しい」と言われていた。
乗り遅れた時のとっておきの手は、ビジネスクラスなどに切り替えることだ(空いていれば)。札幌ではこの手で助かった(当時は+6000円だった)。
ANAのフロント美人は「私についてきてください」と言うと、何と楽に20kgはある僕のバッグをその細腕で持ち上げ走り始めた。僕はびっくりして後ろについて走った。200mぐらい走ったのかな。彼女は一度持ち替えたが、もろともせずバス乗り場まで走った。
今から思うと、無理やりでも僕がバッグを受け取り負担をかけなければ良かったのだが、余りにも立派だったので甘えてしまった。頭を下げてお礼申し上げたが、もちろんそんなもので足りるわけがない。改めて、全日空さんにお礼申し上げます。
日頃、若い世代にはかなりの不安を感じていたが、凄い人もいるんだなと感心した。多分彼女は良い母親になられる。男性はああいう人を見つけて結婚して欲しい。まず母として、奥様として間違いない。全日空の教育や職場環境が素晴らしいのだろうなとつくづく思った。
17日の羽田行きではANAさんから放送で呼び出され、若い母親に席を譲ってくれと頼まれた時は、快く協力していた。そんな事は羽田の美人も知らなかったと思うが、十分過ぎる心温まる奮闘でした。
広島空港からの帰りは大雨だったが順調に走れた。どれかが八本松トンネルだったはずで、屋根から横まで全面的に黒のトンネルもあった、遅くなっていたので気にせず通り抜けた。山陽高速の事故ではひどいめに遭った。