いつかは日本進化学会での発表と考えていたので、要旨を送付して申し込み、用意を始めていた。しかし、その後の確認では発表原稿の枚数には制限がないが、記録として残るのは要旨(500文字以下の原稿)のみで発表の価値が少なかった。元々、スケジュールが非常に厳しかったので見送らざるを得なかった。
生物・医学界は新しく登場したエピジェネティクス(エピゲノム)によりパラダイムシフトを余儀なくされているが、生物進化の分野ではまだ先のように感じられる。僕の場合は、エピジェネティクスに乗って展開するというよりは、僕の考えに合うエピジェネティクスが後から登場した感じだ。
素人が展開する新しい仮説とはいえ、幅広く深いので、とても500文字では書ききれない。僕(電子・システム系)が専門外の進化を考え始めたのは、現在の新ダーウィン説が進化を遺伝子変化と自然選択によるとし全世界の専門家が支持しながら、疑問が多すぎたからだ。
遺伝子変化は外部からの物理化学的な影響、遺伝子のコピーミスとされている。これに対して、例えば昆虫と花の関係の進化はアグレッシブで相互の戦略性が見える。外部任せ、あるいは他動的(非能動的、非内部機能)だけで人間のような非常に高度な生体システムができるとは考えられなかった。
能動的に内部機能で進化を推進するには評価システムを持つしかない。論理的な帰結だが、世界中の天才たちの文献ではこのような仕組みや概念が全く見当たらない。誰かの頭をかすめたかもしれないが、この考えを発展させるには方程式に対して全部の変数が未知数である。
このリスクだらけの仮説を追いかけ続け、考えられる論理や数少ない支援材料を素人的にまとめては2003年の電気学会・全国大会から発表し続けた。発表セッションの座長にとってあまりにも場違いで迷惑この上ない。申し訳ないと思いつつ、いつか実証可能な論文などが発表されるのを待っていた。
エピジェネティクスの文献に接するのは遅かった。出版されて2年近く経過した今年の1月に広島県立図書館でネッサーキャリーの「ジャンクDNA」を手にとった。ジャンクDNAはまさしく僕が展開する生化学的なソフトウェアによる進化のコアだったからだ。そこで、エピジェネティクスを知った。
コアの評価システムの存在を証明するものではないが、コアから導き出された3つ以上の重要な仮説を証明できるものと考える。ま、大変なことが起きたのだが、僕以外はまるで関心がない。その後、エピジェネティクス関連の書籍を読み多くの収穫を得ている。
エピジェネティクス研究は幾何級数的に発展しても とどまることはない。大変革が起こりつつある。ところが、従来の研究者はなかなか自分の城から出られないのだ。少なくとも従来研究者の大半がお辞めになるまで、画期的な「進化」は望めないのではないか。
生物・医学界は新しく登場したエピジェネティクス(エピゲノム)によりパラダイムシフトを余儀なくされているが、生物進化の分野ではまだ先のように感じられる。僕の場合は、エピジェネティクスに乗って展開するというよりは、僕の考えに合うエピジェネティクスが後から登場した感じだ。
素人が展開する新しい仮説とはいえ、幅広く深いので、とても500文字では書ききれない。僕(電子・システム系)が専門外の進化を考え始めたのは、現在の新ダーウィン説が進化を遺伝子変化と自然選択によるとし全世界の専門家が支持しながら、疑問が多すぎたからだ。
遺伝子変化は外部からの物理化学的な影響、遺伝子のコピーミスとされている。これに対して、例えば昆虫と花の関係の進化はアグレッシブで相互の戦略性が見える。外部任せ、あるいは他動的(非能動的、非内部機能)だけで人間のような非常に高度な生体システムができるとは考えられなかった。
能動的に内部機能で進化を推進するには評価システムを持つしかない。論理的な帰結だが、世界中の天才たちの文献ではこのような仕組みや概念が全く見当たらない。誰かの頭をかすめたかもしれないが、この考えを発展させるには方程式に対して全部の変数が未知数である。
このリスクだらけの仮説を追いかけ続け、考えられる論理や数少ない支援材料を素人的にまとめては2003年の電気学会・全国大会から発表し続けた。発表セッションの座長にとってあまりにも場違いで迷惑この上ない。申し訳ないと思いつつ、いつか実証可能な論文などが発表されるのを待っていた。
エピジェネティクスの文献に接するのは遅かった。出版されて2年近く経過した今年の1月に広島県立図書館でネッサーキャリーの「ジャンクDNA」を手にとった。ジャンクDNAはまさしく僕が展開する生化学的なソフトウェアによる進化のコアだったからだ。そこで、エピジェネティクスを知った。
コアの評価システムの存在を証明するものではないが、コアから導き出された3つ以上の重要な仮説を証明できるものと考える。ま、大変なことが起きたのだが、僕以外はまるで関心がない。その後、エピジェネティクス関連の書籍を読み多くの収穫を得ている。
エピジェネティクス研究は幾何級数的に発展しても とどまることはない。大変革が起こりつつある。ところが、従来の研究者はなかなか自分の城から出られないのだ。少なくとも従来研究者の大半がお辞めになるまで、画期的な「進化」は望めないのではないか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます