科学とジャズを一緒くたにするなと言われそう.
ここで「終焉」と言っても,科学者やジャズメンが失業するという意味ではなく,同じようなことをやっていればいい...同じようなことならできるが,それしかできないという意味.
先日我が家に大学ジャズ研の面々が集まって,ジャズをやって遊んだ.カラオケだと知らない曲ばかりだが,ジャズならなんとか仲間に入れてもらえる.ここ何十年か同じ,のおかげである.
黒本1,2というのをサークル会費 ? で何冊かずつ揃えているようで,ここに出ている曲には共通の認識がある,あるいは,あって然るべしということになっているらしい.ほとんど演ったことがある...とは言わないが,聞いたことがある曲ではある.
このサークルは近年新入生に人気らしいが,ジャズがこのようにシステムとして確立したこともその要因だろう.
自分の学生時代を振り返ると,コルトレーンやオーネット・コールマンなどが発展途上で,何をやっているのか解らなかったが,熱気は伝わってきた.
ジャズは良識派が眉をひそめる音楽であった.ぼく的な「ジャズ終焉」の解釈は,かっての誇り高き不良の音楽が,クラシック音楽同様,お稽古事になっているということ,
よく言えば完成されてしまったということである.まぁ悪いことではない.
科学の方も,相対論と量子力学以降はたいした発展はない.高エネルギー物理学などはオタクの世界だ.
それでも巨大科学にはまだ「国威高揚」という意味がある.核融合装置に金を注ぐのは「軍事費に回すよりまし」とは,
吉川庄一さんの言である.北朝鮮もミサイル・水爆でなく,あの開発のためのエネルギーを巨大加速器建設にむければ世界から尊敬されるのに,そういう知性はないらしい.
左端の本
ジョン ホーガン, 竹内 薫 訳, 筒井 康隆 監修「科学の終焉」徳間書店(1997/10)
でおもしろかったのは「科学的神学あるいは機械科学の終焉」の章で,AI が職場を奪う,あるいは AI に任せておけば働かなくていい,政治経済すべて AI のほうがうまくやるといった説が,前世紀末の視点で紹介されていた.
ジャズのアドリブも AI のほうがうまくやる?
相倉 久人 「ジャズは死んだか - ジャズ100年史」音楽之友社 (1977).
は「ジャズは死んだ」という流行語の元だと思う.白状すると,タイトルしか覚えていない.画像はネットで拾った.
加藤 総夫「ジャズ最後の日」洋泉社 (1993/06)
は手許にあり,内容充実の良書.