ほぼいっせいに米軍の再編、特に岩国への「移設」に関する社説に出された。今日は、「朝日」に限って、この問題の「ギマン」について、語ってみたい。
沖縄負担軽減―見える成果につなげよ 「朝日」を読んだ。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1
「国の安全保障にかかわる負担は、国民全体で分かち合おうという観点に立てば、本土の基地で一部を受け入れることも検討すべきだろう。過去にも実弾演習を北海道や大分県などに分散移転させている」ある。
だが、これらの地域で、実は沖縄で起こしているような問題を米軍が起こさない保障はあるのか?「朝日」は語っていない。「沖縄の基地被害の全土拡大」は「想定外」というか、「隠蔽」なのだ。
http://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~kameyama/Table2.3.html
またこの「負担軽減」論は「実弾演習」にかかわる問題だけなのか、「朝日」の思考停止、想像力のなさ、想定の欠如ぶりが際立っている。具体的には「実弾演習」の「後始末」はどうなっているか、全く語っていない。「実弾演習」後の「不発弾」処理、「地形破壊」による「海の赤土汚染」問題など、環境の変化や破壊は、「想定外」なのだ。こうした問題が、本土で起こっていないのか、或いは起こさない保障はあるのか、「朝日」は語っていない。こうした手法が、国民をどこにもっていこうとしているのか、明らかだろう。
「愛国者」としては、この四季折々の風情を醸し出す、わが日本国本土を米軍によって踏み荒らされていること、このことはガマンの限界である。
日本の「右翼」を自認する全ての人々が、このような事実を放置しておいて、何が「日本国民か!」と思う。「愛国者」の名が廃るというものだ。どうだろうか?
以上の視点にたって、「県外移設」の問題点をいっさい語らず、幻想をふりまくことで「もはや、辺野古移設は白紙に戻すしかない。今回の方針転換を、堂々巡りの議論から抜け出す出発点にすべきだ」と語ることで、沖縄県民に寄り添っているかのように演出しているのだ。このことは、ギマンでしかない。
このことは沖縄の基地の矛盾、これは沖縄県民が、まさに血の滲む闘いをしてきたのだけれども、こうした闘いを「支援するか」のように装いながら、「県外」=本土移設によって基地問題が解決できるような「幻想」をふりまいているのだ。そのことを見破る必要がある。
同時に「ただ、米側に打診された山口県の岩国基地は、空母艦載機59機と兵員・家族4千人が神奈川県の厚木基地から移る。性急なさらなる負担には無理がある」など、「性急」でなければ良いのかという「幻想」をふりまく「朝日」の思考停止は、大大問題だろう。
「『事故が起きない方が不思議だ』という危険な施設を、放置することは許されない」というのであれば、「危険な施設」はどこに「移設」しても「許されない」のではないのか?
「本土の基地で一部を受け入れる」ことは「負担軽減」になるのか?ギマンだ。
撤去しかないのだ。
「朝日」の本質は、日米安保体制を温存し、日本国憲法軽視へ、改悪への地ならしへと国民を導いていると言われても仕方のない報道ぶりなのだ。今日は、敢えてこのことを強調しておこう。
この基地問題、「負担軽減」においては、「中間」はありえない。
岩国移設、今回の市長選挙の結果を見た米国政府が、間髪を入れずに、打ち出したのだということを、国民、特に岩国市民は肝に銘ずるべきだろう。このことを敢えて言っておく。
この問題をどのように報道していた、マスコミの姿勢が問われる。
http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201201290073.html
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201201290012.html
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20120129-896544.html
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20120129-896544.html
だが伝えられるところでは、現地では「反対」を表明したらしい。後の祭りだ!反省しろ!だな。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamaguchi/news/20120208-OYT8T00034.htm
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20120209-OYS1T00725.htm?from=popin
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120208-OYT1T00195.htm?from=popin
こういう問題、基地を撤去する、そのためには安保条約廃棄しかありえないというスタンス、それ以外の「移設」とか「日米地域協定のみなおし」などという「中間的」「段階的」主張では、解決はあり得ないという視点、これは、実は1960年代後半にもあった。
沖縄施政権返還の前に、「教育権返還をまず最初に」というスリカエだ。
こういうスリカエに対して、沖縄県民の闘いがあってはじめて「施政権返還」は実現したという歴史、このことを今、日本国民は、マスコミのネジマゲを乗り越えて想い起こすべきだろう。
このネジマゲ、マメとムチは、歴史の中で、常に振りまかれてきたことを、想起して、だ。
このことは、今後も明らかにしていく。
日の本の四季折々の国の質(たち)粋も粋をも足蹴にしおる
米軍の日の本守る抑止力我が故郷の大地を汚す
我が母の大地を汚す米軍のいかなる口実(わけ)の理(ことわり)もなく