愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

歴史を歪曲し民の知恵をも否定する無知を公然と事実と偽る産経の時代錯誤・うぬぼれ史観

2012-02-24 | 日記
いつものことだが、「正論」ぶった産経の「主張」=社説を読んだが、黙っていられなくなったので、一応邪論を吐いておこう。

産経の言うようなことを「真実」であるかのように信じている国民がいるのも「事実」だから、あえて触れてみる。以下そのまま掲載しておく。

建国記念の日 歴史への誇りこそ底力に2012.2.11 03:02 [主張]
 昨年3月11日の東日本大震災のあと初めて迎えるきょうの「建国記念の日」は、例年にもましてその意義が一段と強く胸に迫ることだろう。
 大震災と原発事故によってわが国は未曽有の困難に直面し、今は復興と並んでさらに多くの難題が加わっている。内に経済不安や急激な少子化による国力の衰退懸念を抱え、外との間では、領土・領海が中国などによって脅威にさらされ、日米同盟の弱体化が国家の安全保障を不安定なものにしている。
 わが国の存立基盤は危機的状況にあるといわざるを得ない。
 しかし、危機をはね返す底力は日本人に備わっているはずだ。先の敗戦後でも、日本人は一致団結して復興を成し遂げた。
 思い起こしたいのは、被災地で命懸けの救援にあたった自衛隊の活躍だ。救出した人は1万9千人を超える。国家と国民を守る組織があったればこそだ。絶望の中で冷静に行動して助け合った日本人の姿も、目に焼き付いている。
 国民の多くがそこに民族の精神の柱を見たはずである。その淵源(えんげん)は、紀元前660年の建国に求めることができるのではないか。
 『古事記』や『日本書紀』などには、国生みの神話などに続いて神武天皇即位の記述がある。現在の「建国記念の日」につながるものだが、残念ながら戦後、神話も建国のいわれも皇国史観や軍国主義に結びつけられ排除された。
 代わって反日的な自虐史観が勢いを増し、健全な愛国心が希薄になった面もある。自国の歴史を否定する国家にどうして民族の誇りや自信が育ち得ようか。
 わが国では、建国当初の国家が一度の断絶もなく現在まで継承され、神武以来125代にわたって一系の天皇を戴(いただ)いてきた。日本人は、神話や建国の物語とともに、この世界にもまれな歴史に畏敬と誇りをもち、幾多の国難を凌(しの)いで国造りに努めてきたのである。
 今年は古事記の完成から1300年にあたる。国民が神話を見直し、古代人のものの見方や国造りに対する考え方に触れる契機にしてほしい。
 苦しいとき、人は故郷(ふるさと)を思い出して試練に耐えることができる。日本人が現下の国難に立ち向かって底力を発揮すべく誇りと自信を取り戻すには、国家と民族の故郷ともいうべき建国の経緯を振り返ることが必要ではなかろうか。

さて検討してみた!
>国家と民族の故郷ともいうべき建国の経緯
これって九州から遠征にやってきたお人が征服して奈良の橿原のあたりで即位したって話だが、これが民族の精神の柱の淵源(えんげん)って、このこと確かに「教育勅語」に書いてあったな。

それを「紀元前660年の建国に求めることができるのではないか」って、このお人が橿原で即位したのが、「紀元前660年」って、今の教科書には、このころはどんな時代だったか、書いてあったはずだ。とても「天皇」が即位したって話は出てはこない。

この話が中国大陸からもってきた辛酉革命説によるものであることを産経が隠すのは何故だろうか。敵視する中国だからか?

紀元前660年に大変革が起こったのであるならば、紀元660年はどうだったのだろうか?神武天皇が即位したほどの大変革は起こったのだろうか?さらにその660年は?そしてさらに660年は?きりがないね。このウソには・・・。

もう一つ、「天皇」という言葉が日本国の「淵源」ということのようだが、そもそも、この呼び名は中国の思想だ。何故このことを産経は語らないのだろう。

紀元前660年ごろの、現在の日本列島はどんな状態だったか?何故隠すのだろうか?だいたい卑弥呼を飛び越してしまって、歴史をどう説明するのだろうか?

>わが国では、建国当初の国家が一度の断絶もなく現在まで継承され、神武以来125代にわたって一系の天皇を戴(いただ)いてきた。
その「一系」は親兄弟姉妹など血みどろの戦いがあったのだが、それはどう説明するのだろうか?「一系」にまつわる「性」の話もいろいろあるようだが、これを説明することでこの「血族」の有り様が判ると思うが、このことを産経には説明してほしいものだ。

一方では、以下のような表現で、民衆の苦難の歴史、輝かしい闘いの歴史を語ることはないのだが、どうしてだろうか?

>先の敗戦後でも、日本人は一致団結して復興を成し遂げた。
先の戦争の苦難の歴史をどう総括するか、全く無視している。

>被災地で命懸けの救援にあたった自衛隊の活躍だ。救出した人は1万9千人を超える。国家と国民を守る組織があったればこそだ。絶望の中で冷静に行動して助け合った日本人の姿も、目に焼き付いている。
自衛隊だけじゃないだろう!作為的だな。これでは却って善意の自衛隊員を貶めているな。

>日本人は、神話や建国の物語とともに、この世界にもまれな歴史に畏敬と誇りをもち、幾多の国難を凌(しの)いで国造りに努めてきた
「世界にまれな」って、世界と差別するなよな。人民は、どこでも平等だ。大陸の東の果てに位置する列島の歴史を正確に見ないのは、却っておかしなことになりはしないか?

以上、自国の歴史に「畏敬」「誇り」を強調する産経の史観は、うぬぼれ史観だな。

そういえば「自虐」的についてだが、これは産経の「うぬぼれのこころ」が、却って出てい手面白い。
>反日的な自虐史観が勢いを増し、健全な愛国心が希薄になった面もある。自国の歴史を否定する国家にどうして民族の誇りや自信が育ち得ようか。
産経は自国の歴史の負の面を「自虐史観」と歪曲するのがお得意だが、人間は反省が第一だ。反省なくして前向きなこころは育たないだろう。子どもには「うぬぼれ」ではなく、謙虚さだな。「うぬぼれ」と確信、自信は違うんだね。

自国の歴史を分析し、そのなかの負の面を否定してこそ他民族への尊敬と連帯感が生まれるのだ。そうしてこそ自国の歴史に誇りがもてるようになる。
人間は己への「うぬぼれ」のこころでは他人を尊敬できないだろうな。憲法の前文に書いてあったな。

だが、歴史には負の面だけがあるのではない。プラスの面もあるはずだ。例えば、戦前の戦争の歴史に対して、皇国史観にもとづいて戦争を推進していった勢力は負の面だ。だが、その負の面に対して果敢に闘った人々は正の面、プラスの面だ。産経は、こうしたプラスの面をどうみているのだろうか?


この両者をしっかりみることこそ、「うぬぼれ史観」を排除する道だろう。こうした見方を排除して自国の歴史の負の面を述べると「自虐的」とする手法は正確な言葉ではないな。

最後に、産経のお得意の手法であるスリカエについて、以下の文をみてみよう。
>内に経済不安や急激な少子化による国力の衰退懸念を抱え、外との間では、領土・領海が中国などによって脅威にさらされ、日米同盟の弱体化が国家の安全保障を不安定なものにしている。わが国の存立基盤は危機的状況にあるといわざるを得ない。
こうした「衰退」を作り出してきたのは、産経のお友達である自民党ではなかったか?戦前は鬼畜米英、一億層玉砕を叫んだ人々の先輩達は、戦後は命が惜しかったのか、反共で一致するアメリカに媚を売り、命乞いをして、日米同盟を推進してきたからこそ、国土が荒廃してきたのではないのか?領土・領海を侵してきたことには無反省で、戦後、サンフランシスコ条約でアメリカ陣営に所属することで、反共を口実に、自主独立を否定してきたからこそ「領土・領海」問題を曖昧にしてきたのではないのか?

「国家の安全保障を不安定なものにしている」ものは、実は日米同盟という軍事抑止力論ではないのか?

ホントに最後だ。
愛国者の邪論は、古事記や日本書紀に書かれていることをすべて問題だとは思わない。民俗的視点から、民衆の生活と、ものの見方考え方を想像して、その時代像を創造していくことは大事なことだと思う。そのためにも、文献史学と考古学、民俗学の連携こそ重視していかなければと思う。

例えば、陵墓の発掘と古事記・日本書紀の連携だ。

生業の中に見えたる民の顔うぬぼれ顔の自信のなさを

コメント
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