通りすがりさん
コメントありがとうございます。昨日に続いて、こちらのほうにご返事を書くことにしました。
通りすがりさんのおっしゃっていることに、ほぼ同感です。
>的は得ても皆さんがあまり振り向いてくれない、悪いのはマスコミのせいだ、声が届いていない、届いたところは…本日の赤旗さんも「大義と展望をしめした」と胸を張っておられます。何時も雄叫びは素晴らしい。
そのとおりですね。こういうご指摘に耳を傾ける。そうして自分たちの活動を再検討する。この姿勢と態度、行動力が大事だと思います。選挙に敗北した時だけの言葉にはしてほしくないですね。日々の活動について、国民がどう思っているか、そのことは共産党の活動の「ものさし」としなければ、と思います。
確かに「何よりもこの行動は、『消費税増税をやめてほしい』という国民の多数の声にこたえた、国民的大義を持つものであったということを強調したいと思います」と言う志位委員長の視点は正しいと思います。マスコミも「みんなの党など中小政党」という言い方で報道していました。共産党の「共」の字と言葉はほとんど、というか、全く出てきませんでした。あの問責決議で局面が変わったのは確かです。共産党が議会内と議会外で運動をリードしたのは事実です。これで消費税増税の推進に歯止めがかかったことは事実です。
また、こうした動きをマスコミが報道しないのは、確かに問題です。公平に、有権者が政党の違いが判るように報道するのは公器として当然です。民主主義・文化の問題として重大です。ソ連や中国、北朝鮮のメディアが、政権に反対する運動を国民に報せないことを批判する日本のマスコミは、同じことをやっているのですから。
しかし、これだけインターネットが流行っている時代です。発信力をどのように向上させるか、それは共産党自身の責任に属する問題です。
たとえば、あの官邸前行動は、どうだったでしょうか?共産党が、あの行動から学ぶとすれば、「赤旗」に頼りすぎるあまりというか、日本のマスゴミを過大評価するあまりというか、インターネット現代のメディアをどのように意味づけ、自分たちの活動を独自のメディアで国民に報せていくか、ここにすべてがかかっていると思います。
大体、野田首相の再稼動発言など、国民にとって重要な政治的局面に遭遇しても、共産党がどのような見解を発表したのか、赤旗にアクセスしても、次の朝というか、直後に見解は出ていません。大体お昼ごろかな?ネットで見えるのは?
これでは情報戦の世の中、遅れますよね。こういう情報力を革新していかないで、メディアのことを批判しても、国民のニーズと違うな、と思います。愛国者の邪論は、6.29官邸前の市民パワーについて「まさに『既成』の政党・団体・マスコミが、いわゆる『市民パワー』によって大きく乗り越えられてしまったのだ。これは、すごい教訓だ」と書きました。
6.29官邸前、情報伝達手段の革命が市民パワーを引き出し、「国家権力」を震撼させた!
(2012-06-30 23:24:02
これは共産党を含めて、このパワーの意味を指摘したつもりでした。
ま、そういうことを言う愛国者の邪論は、パソコンを使いこなしていないのですが…。でも、少なくとも、共産党には、新しい情報伝達手段を駆使して、共産党隠しのマスコミに一泡も二泡も喰らわしてほしいものです。
>何故同じ社会主義的展望を語る赤旗さんが「敵地」…
全くおっしゃるとおりです。かつては「ソ連にも、中国にも」と正々堂々、胸を張って「自主独立の日本共産党」と言って論戦していたのですよね。親書や書簡を送るとか、実際に乗り込んでいくとか、ですよ。今、その方法を使えば、共産党の株が上がると思いますよ。「この点で目に見える奮闘があれば「国民的拍手喝さい」で一躍声が届くと思います」という通りすがりさんのご指摘は「大アッパレ」ではないでしょうか?
こういう国民の声に耳を傾けることこそが、共産党が国民の中に草の根として浸透していく最良の方法だと思います。草の根共産党の真骨頂は、国民の声に耳を傾け、その要求を実現していくことだと、共産党自身が言っているようですから、こういうことについても、研究・解明してほしいものです。
そうでなければ、中国共産党政権の政治を批判している「朝日」のやりたい放題となってしまいますよ。中国や北朝鮮が人権無視をする、或いは日本国民を逆なでする度に、同じ共産党を名乗る日本の共産党の株が下がっていることを、共産党はどれだけ自覚しているか、全くノー天気だと思いますよ。天安門事件の時のことを忘れてはいないと思いますが、あれほどの事件ではないにしても、国民のなかに、「中国と日本の共産党は違うとは思うけれど、でも」と言う感情が浸透していっているとしたら…。
愛国者の邪論が、昨日の「赤旗」で、思ったことは、前々から言っていることですが、通りすがりさんからご指摘がありましたので、敢えて言うことにしました。それは、委員長自らが、「今の自力では、選挙に勝つ保障はない」と宣言してしまったのです。あれって思いましたよ。以下の部分です。
「党勢拡大では、この間、全党の大きな努力が重ねられていますが、まだ、いまの自力では、選挙に勝つ保障はないということを、冷厳に直視する必要があります。いま、本当に党の自力をつけて、その自力をもって、どんな状況になっても選挙で前進・躍進をかちとる。この取り組みを必ず成功させる必要があります」(引用ここまで)
この言葉、共産党内の人たちに向かって言うのだったら、まだ、まだ判ります。「叱咤激励」の意味もあるのでしょうから。しかし、「赤旗」で、インターネットで「いまの自力では勝つ保障はない」と言ってしまったら、国民はどう思うでしょうか?
「そうか、自力がないから勝てないのか、勝てないと思っている共産党に投票してもしょうがないな」と思うのではないでしょうか?
或いは、「それは大変だ、共産党が勝てないのはどうしても変えていかねばならない、赤旗を取ってやろう、いや共産党に入って活動しよう」という人が出てくるかもしれません。
或いは、「そうか、自力がないから勝てないって言っているか、だったら、共産党を勝たせないためには、自力をつけさせないようにしよう」とか、「自力がつく前に選挙やってしまおう」なんて事を考える財界や政権があってもおかしくはないですよね。
事実、一年前に「大運動」という作戦が立てられ、ずっと取り組んできたようですが、「成果」はどうだったでしょうか?志位委員長が語っているように、「選挙に勝てる」として立てた目標から観ると、大きく水が開いているようです。これでは志位委員長なりに言えば「選挙に勝てない」ことは明らかですよ。
このことは、別の意味を持っているのではないかと思います。それは、最初から、勝てるか、勝てないかの条件として「自力不足」を言ってしまったら、「なんだ、委員長は選挙に負けた時は自力がついていなかったからという言い訳を、すでに言ってしまったな」ということにならないでしょうか?
まさか、そんなことは言っていないと思いますが、それにしても、「勝つための条件」が狭すぎないでしょうか?確かに党員や「赤旗」は少ないより多いほうが良いに決まっています。しかし、それだけ?でしょうか?
共産党は被災した福島や宮城、岩手の県議選で躍進したと言っていました。これは全国からボランティアが行って県民の皆さんの生活を支援したからだと思います。この部分で言えば、「人間」の数と動きが決定的に重要だと言うことが判ります。しかし、その奥にあるのは、志位委員長も言うように、「国民の苦難」にともに立ち向かう共産党の姿だったのではないでしょうか?
このことについて言えば、6日の赤旗3面に「共産党の果たす役割 党の人たちが考える以上に大きい」という見出しで北海道十勝の活動が紹介されていました。その中で「元来保守的な政治風土の十勝地方では、25人の地方議員団が地域の要求を取り上げて住民と結びつきを広げてきました」として市議会で諸団体と力を合わせて決議や条例を可決してきた帯広市の話が掲載されています。
こういう活動のなかで、共産党のいう「自力」がついてきたということでしょうか。東北3県や十勝のことは、進んだ事例として紹介されていたようですが、それでも「大運動」には成功していない。これが共産党の実態なのでしょうか。しかし、だからとって、「自力がないから選挙には勝てない」ということにしてしまうのには疑問です。
もう一つあります。90年代後半に、820万人の国民が共産党を支持した時は、共産党の「自力」はあったということでしょうか。だが、今はその半分以下になってしまった。だから今は「自力がない」ということで、あの時の「自力」を取り戻そうと言っているのでしょうか?「本当に党の自力をつけて、その自力をもって…選挙で前進・躍進をかちとる」って、つけなければ前身・躍進をかちとることはできない?820万に支持が増えたのに、その人たちが支持しなくなったのは、共産党の自力がなくなったから?自力がなくなったから、それらの支持を留めておくことができなくなった?だから、まず自力を!
>「民主集中制」が創造力を阻害している証左の様
民主集中の最初は、民主、すなわち党員が主人公ということではないかと思います。まず党員が自分の考え方を表明して、みんなで決める、決まったことは皆で実行する、ということを民主集中と言っているようです。
どんな会社でも、ま、トップダウウンで決まることは多いかもしれませんが、一応各部署でいろいろ生産計画とか、販売計画とかを決めると思います。そうしたら、皆が一緒に働くと思います。決まった商品を皆で売っている時に、「これは良い商品ではないよ」なんて言えませんよね。
ところが、生産しても売れなかったら、他社に負けたら、皆で責任を取るか、トップが責任を取る、その取り方は辞職するか、或いは製品をつくるか、売り方を変更するなど、こういうやり方が当たり前ではないでしょうか。商品販売や生産をしながらも、いろいろな意見は言うことはできると思います。
共産党の場合は、その「売り」はどれだけの有権者が支持をするか、そうして議席を得ていくか、そこにかかっているように思います。獲得票は、共産党への支持のバロメーターですから、それが増えなければ、どこかに問題があるのです。いい商品(赤旗・政策・理念)を生産したが、有権者の届かなかった、届けなかった社員が悪いということになります。他社のCM戦略に負けたというのであれば、共産党のCM戦略が悪かったのです。CM戦略は良かったが、届かなかったのは、動かなかった社員である党員が悪いのです。ま、こういうことを言っているのでしょうか?
これもひどいような気がします。社員が悪いのは、そうかもしれませんが、社員が動かない、動けない理由があるはずです。例えば戦争に勝つためには、それなりの武器弾薬が必要ですし、それを運搬するための道具も必要です。そうして最前線でたたかう兵士の士気、それを支える国民の支持、何せ国民は命とカネを出すのです。そのためには、戦争の正当性、相手の不当性が国民的に支持されていなければ、戦争はできません。
このことを共産党の活動に転用すると、どうなるでしょうか?良い武器である政策や赤旗があっても兵士である党員が動かない、兵士が集まらない、ということになるのです。だから戦争である選挙に勝てないということになります。
>貴方のブログと赤旗さんとは距離がありすぎるように思います。会社にしても組織にしても有る部位から腐ってきます。これを正すのが良くも悪くも派閥というか反対勢力、健闘を期待しております。
今、日本の政党の中で、一番まともなことを言って、実行しているのは、全体として見れば、赤旗と共産党でしょう。しかし、その良さが、どうして国民の中に浸透していかないのか。「妖怪」と言われていたヨーロッパ、明治期にはコレラと同じように言われてきた歴史、戦前の昭和では「非国民・国賊」と言われてきた歴史、ソ連や中国、北朝鮮と同列に見られてきた歴史、会社の中では会社を潰す輩、独裁などと言われてきた歴史、共産党と見られると、仲間はずれにされるなどなど、たくさんの誤認があると思います。その誤認を振りまいてきたのは、他ならぬ権力者たちだったように思います。
しかし、現在の体制を変えていこうとする集団である共産党ですから、そういうことを言われるのは、ある意味覚悟しなければなりません。そういう現状を受け入れた上で、そうした誤認をどのように変えていくか、それは他ならぬ共産党自身の責任の問題です。多くの国民の皆さんの支持が広がる中でこそ、共産党への見方考え方が変わっていくのだと思います。
そのためには、日々の活動のなかで、党員の皆さんの生活のなかで、人生のなかで、共感を広げて、連帯の輪を広げていくしかないのではないでしょうか。それが日々の活動のなかで、十勝や東北3県のように、国民の切実な要求を実現していくこと、これしかないと思います。
ところが、そこのところが、今の共産党には、弱いのではないでしょうか?良い商品である政策や赤旗を作っても販売する党員が確信が持てない、あるいは、政策・商品そのものに対して、党員をして売っていこうという気にさせないものかもしれません。或いは、国民そのものが共産党の政策と赤旗を良い商品だと感じていない、或いは良い商品だとは思っていても、とても買えない、品質は悪いが、民主党とかみんなの党とか維新の会の商品の方が良さそうに見えてしまう。しかも手ごろに手に入りそう、などなど、こういう国民的ムードがあるのではないでしょうか?
「党の自力がないから選挙に勝てない」「だから自力がつくまでは国民にはガマンしてもらう」ということになってしまうとしたら、共産党への支持と共感は広がらないでしょう。今こそ、こういうことを研究した上で、どうするか、ではないでしょうか?
愛国者の邪論と赤旗の距離、それはあるでしょう。共感する部分はたくさんありますが、何でもハイそうですかとはならないと思います。そりゃそうです。赤旗を書いている人とは人間が違うし、立っている場所も違います。赤旗や共産党を妄信などはしていません。そもそも共産党の哲学である弁証法的唯物論というのは、違いがあるから、発展・進歩があるのではないか、そう思っているのです。
ということで、思わぬ展開となりましたが、これからも愛国者の放つ邪論を宜しくお願い申し上げます。今日のところは、長く、長くなりましたので、これでおわりとさせていただきます。
それにしても、自分では良いと思っていても、それを他人が良いと思うということは別なんだということ、別だからこそ、それを分析研究して、一致させていく、政党の仕事の多くの部分は、ここにエネルギーをかけていくのだなということを、改めて感じたということです。感謝感謝です。
ま、愛国者の邪論は、政党ではありませんので、日本の愛国者のハシクレとして、これからも邪論を吐いていきたいと思います。宜しくお願い申し上げます。
ありがとうございました。