9月11日の「朝日」12面に大変良い記事が掲載された。「わたしの紙面批評」だ。その指摘について、思ったことを記しておこう。最後に本文を掲載しておく。
新聞が書かないことを指摘したことに拍手を送りたい!全くその通りなのだが、だが、少し物足らないものを感じた。それは何か。
一つには、「両国の統治者がともに政権基盤が安定しており、高い国民的な人気に支えられている場合にしか外交交渉は行われない」という指摘だ。全くその通りだが、内田氏が指摘する小平副首相の78年談話を前後した中国はどうだったか、だ。そのことが気になったので、概観してみることにした。
文化大革命(1966年5月16日の「五一六通知」伝達から毛沢東の死の直後、即ち1976年10月6日の四人組逮捕まで)の名による権力闘争をはさんでみてみよう。
1971年 国連常任理事国へ
1972年9月29日 日中共同声明
1974年1月 西沙諸島の領有権を巡って南ベトナムと武力衝突
1978年8月12日 日中平和友好条約
1978年12月 第11期3中全会で小平が実権を掌握
1979年2月17日 ベトナムに侵攻し(中越戦争)
1984年4月2日―1984年7月14日 再びベトナムに侵攻した(中越国境紛争)。
1988年3月14日 南沙諸島海戦
1989年 六四天安門事件
「劉少奇に次ぐ党内第二の走資派」と言われ文化大革命では追放されていた小平だが、彼の時代は市場経済を導入していく、いわゆる改革開放が始まった時だ。
こういう経過をみると、一方では高飛車的な外交・軍事力を行使し、70年代に入って、その領有を主張した尖閣問題では慣用的な態度を取っていることがわかる。何故尖閣では慣用的な態度を取ったか、それは、市場経済を取り入れるためには、日本の技術力・経済力を必要としており、そのための「方便」だったのではないかということだ。事実、彼が権力を握った時、「全国的な歓喜の渦に包まれたという逸話が残っている」とウィキには書かれている。
政権基盤の不安定化を安定化させるために、愛国心を鼓舞させる、その愛国心で政権基盤が揺らぐという矛盾に、今中国があると言うのが、日本の見方だ。日本を見ていると、確かに、そういう面もある。だが、果たしてそうだろうか。それだけだろうか?
小平が日本の経済力や技術力に頼ったことと同じことが、今中国ではどうか、だ。日本に対する憧憬も、日本風に言えば、愛国に劣らぬほどあるのではないか?
小さい記事だが、興味深い記事が「東京」に掲載された。日本のマスコミが、ある意味「怒り」を込めて中国人の「愛国者」が歓迎される姿を報道していたが、香港市民の方が冷静だった。以下みてみる。
尖閣上陸の活動家落選 香港議会選2012年9月10日 14時54分
【香港共同】9日投開票の香港立法会(議会)選挙で、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)に8月上陸した香港の団体「保釣行動委員会」のメンバー曽健成氏の落選が決まった。 曽氏は直接選挙枠で、中国共産党や香港政府を厳しく批判する急進的な民主派、社会民主連線(社民連)から出馬した。 尖閣諸島に上陸して日本側に逮捕された後、強制送還となり、香港メディアには「英雄」として取り上げられたが、選挙戦での支持拡大にはつながらなかった。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012091001001600.html
(引用ここまで)
以前韓国の軍艦が攻撃された事件があったが、その直後の地方選挙では、北朝鮮批判一色だった日本のマスコミの思惑をこえて、また政権浮揚を狙う李政権の思惑を超えて、冷静な判断をした韓国民のことを思い出さずにはいられなかった。
万事がこうなのだ。日本のマスコミは。
日本と中国の政府と国民が国際連帯できる可能性は、多岐にわたっているように思う。特に経済を通した人間的交流の掘り下げ、ここに注目すべきだろう。しかし、このことについての多面的な報道は後景に退けられていないだろうか?
さて次の指摘について、だ。
「米国は竹島、尖閣、北方領土のすべての『見えない当事者』」「米西戦争以来120年にわたる米国の西太平洋戦略の終焉」という指摘だ。全くその通りだ。だが、これだけで良いのだろうか。違うだろう。
それは日米安保条約=日米軍事同盟体制とアメリカの世界戦略のことを語らねばなるまいということだ。その点で、ジョエル・アンドレアス『戦争中毒』(合同出版)の指摘を思い出した。
「フィリピンは永久にわれわれのものだ。…そしてフィリピンのすぐ向こうには中国という無限の市場がある。…太平洋はわれわれの海だ。」「太平洋を制するものは世界を制す…その地位は今、そして永遠に、アメリカのものだ」「われわれは世界を支配すべき人種なのだ。…世界の文明化を担うべく神に託された人種としての使命がある。われわれはその役割を放棄すまい。…神はわれわれを選び給うた。…野蛮でもうろくした人びとを治めるために、政治の達人として創り給もうたのだ」(インディアナ州上院議員アルバート・ビベッジ1900年)という言葉が紹介されている。これが日米安保条約に流れているアメリカ的思想なのだろう。ペリー以来の思想だ。
こういう思想があるからこそ、「フィリピン人は、ちょうど彼らがスペイン人と戦った時のように、この新たな侵略者と戦った。アメリカは、軍隊を送り込み、残虐のかぎりを尽くしてフィリピンを征服した。アメリカ兵には、“焼く尽くし、殺し尽くせ”と命令がくだり、実行に移された。フィリピンは降伏するまでに、60万人のフィリピン人が死んだ」とあるように、原爆投下や都市の無差別爆撃、ベトナムインドシナ戦争、アフガン・イラク戦争が可能となったのだろう。今沖縄や全国各地の米軍基地の本質は、トモダチ作戦はあるものの、米軍の本質は、歴史的に捉えていかなければならないだろう。
こうしたアメリカの立場を視野に入れながら、千島・尖閣・竹島を捉えていく必要があるように思う。
同時に、明治期に調印された日英同盟=軍事同盟によってアジアへの膨張主義が実行に移されたこと、その膨張主義を守るために日独伊三国同盟が結ばれ、それによって戦争の惨禍が引き起こされたこと、その惨禍の傷は今も癒えていないし、根本的に解決もしていないことが、河野談話否定論の焼き直しなどをみると判るのだ。
そうして戦後は、戦前の膨張主義を正当化し、新たな権益を再生するために日米軍事同盟を調印し、「繁栄」を築いてきたこと、このことを、領土問題を通して検証していく必要があるように思う。
アメリカの膨張主義は「明白なる運命」主義、日本の膨張主義は「八紘一宇」の「大東亜共栄圏」思想、これは「脱亜入欧」論が発信源であった。欧米への劣等感の裏返しだった。こうした意識を本当の意味で克服していくためには、日本国憲法しかないことを再度確認しておきたい。
領土問題の緊迫化 背景に政権基盤と米国 新聞は報じたがらない
内田 樹 神戸女学院名誉教授 朝日新聞紙面審議会員
竹島と尖閣で領土をめぐる問題が緊迫化している。領土問題を論じる場合につねに念頭に置いておくべきだが、新聞があまり書いてくれないことが二つある。それを備忘のためにここに記しておきたい。
第一は領土問題の解決方法は二つしかないということである。一つは戦争。勝った方が領土を獲得する。もう一つは外交交渉。双方が同程度の不満を持って終わる「五分五分の痛み分け」である。
どんな領土問題にもそれ以外の解はない。ただし、両国の統治者がともに政権基盤が安定しており、高い国民的な人気に支えられている場合にしか外交交渉は行われない。
中国とロシアの国境紛争は先年「五分五分の痛み分け」で解決したが、これはプーチン、胡錦濤という両国の指導者が「自国領土を寸土とて譲るな」という国内のナショナリストの抵抗を押し切れるだけの安定した統治力を有していたからできたことである。
韓国の李明博大統領は支持率20%台に低迷していたが、竹島上陸で最大5回を稼いだ。政権浮揚のためには理由のある選択だったのだろうが、その代償に大統領は外交交渉カードを放棄した。本当に力のある政治家はこんなことはしない。
尖閣についても同様である。中国政府が今強い出方をしているのは内政に不安があるからである。
72年の日中共同声明で、周恩来首相は「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを官言」し、「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則」を確認した。
78年の談話で小平副首相は尖閣について、「こういう問題は、一時棚上げにしてもかまわない」と述べた。「次の世代は、きっと我々よりは賢くなるでしょう。そのときは必ずや、お互いに皆が受け入れられる良い方法を見つけることができるでしょう」
これはどんな政治家でも言えるという言葉ではない。政権基盤が安定しており、補償問題・領土問題でどのような譲歩カードを切っても、それによって国内の統制が乱れる不安のない「つよい政治家」にしか口にすることのできない言葉である。
どこの国でも、領土問題の炎上と鎮静は政権の安定度と相関する。その意味で領土問題はつねに国内問題である。これが第一だ。
第二も新聞が書きたがらないことなので、ここに大書しておく。それは日本の場合、領土問題は2力国問題ではなく、米国を含めた3力国問題だということである。
米国は竹島、尖閣、北方領土のすべての「見えない当事者」である。これらの領土問題について、問題が解決しないで、日本が隣国と軍事的衝突に至らない程度の相互不信と対立のうちにあることによって自国の国益が最大化するように米国の西太平洋戦略は設計されている。
もし領土問題が円満解決し、日中韓台の相互理解・相互依存関係が深まると、米国抜きの「東アジア共同体」構想が現実味を帯びてくる。それは米西戦争以来120年にわたる米国の西太平洋戦略の終焉を意味している。米国は全力でそれを阻止しなければならない。
私は米国が「悪い」と言っているのではない。自国の国益を最優先に配慮して行動するのは当然のことである。9月4日朝刊3面「米、尖閣対立に危機感」のような記事もあったが、私かここで言う視点とは違う。領土問題で、米国の国益と日本の国益が背馳することもあるという自明のことを新聞は報じたがらないので、ここに記すのである。(引用ここまで)