愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

大阪の体罰=暴力指導への、大津のいじめへの、共産党の組織のあり方も、共通するのは何でしょうか?

2013-02-03 | 日記

ロムさんへ

コメントありがとうございました。どれもこれも、仰るとおりです。問題意識は一致するところが多いように思います。ご質問もありますので、感想を含めて、まとめてみました。

 まず共産党について

 >「的外れ」が多く、やはりこの人たちは本質的に分かっていないと思います

仰るとおりですね。特に1月24日、学習・教育局長山谷富士雄「情勢の大局をつかみ国民のなかへ」の論文・訴えが出され、それを読み、「中央は判っていないのではないか」「このままでは参議院選挙も同じ結果になる」との思いをいっそう強くしました。

 簡単に理由をあげますと、

1.「情勢の大局的な流れに確信をもち、ねばり強く国民に働きかけていく、そこに党の役割があることを認識してもらうこと」と言うことのウラに何を言っているか、判っていませんね。

2.「国民との結びつきを強める努力と一体に、情勢をきりひらく根本の力、党勢拡大の前進のために手立て」というのであれば、「党勢拡大の前進」がない限り共産党の国政選挙における躍進はない、とうことを認めてしまっているのです。これでは民主連合政府は「遥か遠くになりにけるかも」でしょうね。

3.「支部が主役」と言いながら、支部が属している職場や地域、学園で、国民の要求実現の運動を多様に展開しているかどうか、共産党の幹部の発言などを紹介している「赤旗」を見る限り判りません。

 因みにどれだけの支部が、また地区委員会がホームページを開設し、それぞれの地域の単位として責任を持った運動を展開しているか、不明です。「草の根」は拡大の下請け「機関」化しています。

4.車の両輪の一方だけ強調しているのですから、まっすぐに進む訳がありません。

5.要求実現の大切さを強調していますが、実際は全国情勢の「要求」実現運動しか、「赤旗」に掲載されていません。新自由主義が国民生活の隅々にまで貫徹しているのですから、そこには多様な要求が蔓延しているはずですが、それらの要求を根こそぎ拾い上げ、地方議会や国会、行政や国、企業に、住民とともに持ち込む運動ができていない、というか、紹介されていません。

 共産党は「住民が主人公」「国民が主人公」というスローガンをよく使っています。これは未来社会における「生産手段の社会化」を展望したスローガンだと思いますが、そのためにも、現在において、「主人公」を実現していくために、何を準備していくか、具体的にしていく必要があるでしょう。

 それは何かと言えば、「住民自身が要求実現のために、政策をつくり、運動し、行政や国家や企業を変えて、要求を実現していく」「政治的組織的民主主義的訓練」をしていく、このような視点で、「支部が主役」の活動を展開していくこと、このことこそが必要でしょう。

 >佐賀県の唐津市会議員選挙、感動的な実例が紙面に登場しました。

確かに、この活動は感動的でした。しかし、今の共産党には、これしかない!?ということですね。1面に掲載されたことが、共産党自身の驚きぶりを示しています。

 井上さんは27歳、しかも2011年12月に入党して、昨年9月に立候補を決意。立派です!かつては、このような若者がたくさんいたように思います。

 しかし、中央や多くの党員の皆さんは、この「勝利」の意味を判っているのでしょうか?それは以下の記事を見ていて思いました。

浦田市議は、地域住民の要求を真摯に聞き、その実現・解決のために努力してきました」とありますが、具体的に判りません。判るのは、「若い世代が働けるよう唐津を活性化したい」「何歳になっても安心して暮らせる町にしたい」「若い人の仕事を増やして」「TPPなんかやられたらもう農家はやっていけない」「旧唐津市中心部に偏りがちな施策を批判」「周辺部も農林業で生活できる社会をつくろう」「再生可能エネルギー導入で雇用を生み出す展望」というものですが、この「住民の要求を真摯に聞」いて、「実現・解決のために努力し」た中身です。問題なのは。このことが解明されない限り、参議院選挙は同じことになります。「局地戦の勝利」と「大戦の勝利」を結びつける戦略・戦術が、これまでの「赤旗」を見る限りできていません。

 >小選挙区制度下の選挙闘争の方針が間違っていることが証明されているわけです。「高度に発達した資本主義」での闘い方をもう一度洗いなおしていただきたい

この唐津方式を小選挙区制度下の運動に適用することと「大局における勝利のための戦略」を結びつけることです。それはロムさんの仰る、「『社会主義への不安感』をぬぐい去る、ここから始めるしかないのです。それは中国共産党と真摯に向き合い国民に語ることしかない」ということと、「一点共闘」にねざした「限定的暫定政権=よりまし政権」構想の提起だと思います。

 

歴史認識と歴史教育について

 >今日の朝日の紙面「政治断簡」…

全く仰るとおりです。「朝日」は1月16日付けの34面(教育欄)に「歴史教科書を教師の手で」「約30人は研究重ね出版社設立へ」で紹介しましたが、このレベルにもならないお粗末そのものでした。

 >日韓の歴史学者などが双方の歴史的事実と解釈で報告書としてまとめたものがあります、

仰るとおりです。安倍首相は、侵略戦争か、否か、を問われ、「歴代首相の後世の史家に任せる」との認識を示していますが、国際社会では通らない馬鹿げた思想です。こういう政治家を選択する国民こそ問題にしなければなりませんが、これもアメリカが天皇制を容認したことが大きいと思います。こうした事実をどのように国民的認識にしていくか、まさに歴史学と歴史教育の課題でしょう。

 以下の書籍が、多くの国民が、教師が、学生が読み、特に授業で使われることを願っています。

歴史教育者協議会(日本)・全国歴史教師の会(韓国)編『向かいあう日本と韓国・朝鮮の歴史』上下』(青木書店)

日中韓3国共通歴史教材委員会編『日本・中国・韓国―共同編集 未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』(高文研)

日中韓3国共通歴史教材委員会『新しい東アジアの近現代史』(日本評論社)

 しかし、いくつものハードルがあります。

一つには、「教科書をつくっても、実際に子どもの手に届くには、学習指導要領や検定基準をふまえた内容で内容で検定に合格しなければならない。さらに教育委員会に採択されなければいけない」「朝日」(16日付)

二つには、このような「資料」「教科書」を現場の教師が選択できるかどうか、学校長の縛りもあります。

同時に三つ目には、進学重視の学校で、超底辺校の学校で、どのように使っていくか、教師の主体的な問題です。

 以上のようなハードルは、実は、大坂市立高校の「体罰」=「暴力指導」とも密接に関連していると思います。

 

大阪と大津の市長と教育委員会に共通していることについて

大変難しい問題で、簡単には言えない問題ですね。戦後の教育史、教育行政史などについて語らねばならないからです。とても荷が重い課題です。しかし、せっかくですから、挑戦してみます。

 >大阪も大津も学校教育界・教育委員会の本質、私には言葉が見つからなく言葉に尽くせない。橋下市長の強引な政治手法か大津の手法か、今回「実例」が明確に出されたと解釈しています。教育と政治の歴史的関係は戦前の反省から理解しています。要は大阪市、これまで共産党があらゆる分野で闘ってきても解決できなかった事態実例を「足蹴にした手法」で解決し始めています。無論逆の事態の方がはるかに多く進行しています。教育員会への対応どう思いますか。大津の実例は越市長だから出来たと思います。ここにも首長選挙の現代的課題が見えるのですがいかがですか。

 まず首長選挙で勝利することの大切さは、60年代から70年代の、いわゆる「革新自治体」づくりに成功したことで証明されています。例えば、京都の場合、蜷川民主府政下の教育委員会行政は、組合や各種教育団体を敵視せず、子どもの学力と評価のあり方について、相対評価とは違う到達度評価について、教育の専門家などとの共同研究が行われていたことに象徴的です。

http://toutatsudo.sitemix.jp/youroku.html

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/hase_314/toutatsu/rule21.htm

 地方自治体の首長の許認可権限の強さを住民のために使うか、どうかですね。最近では沖縄の宜野湾市長選挙や名護市長選挙などが好例です。

 次の問題は、教師、学校、特に校長、教育委員会、この場合は「地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命」された教育委員としての「教育委員会」と、「教育委員会の権限に属する事務を処理させるため、事務局」としての「教育委員会」、これらが「文部科学大臣は都道府県又は市町村に対し、都道府県委員会は市町村に対し、都道府県又は市町村の教育に関する事務の適正な処理を図るため、必要な指導、助言又は援助を行うことができる」文部(科学)省・大臣を頂点とするピラミッド型を支えるものとして存在していることについて、です。以下の法律はそのことを示しています。

地方教育行政の組織及び運営に関する法律

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S31/S31HO162.htm

 この構造を抜きに、今回の問題を語ることはできないと思います。マスコミも、橋下市長も、下村文部科学大臣も、この法律にもとづいて仕事をしていたであろう「教育委員会」を「指導」「助言」「援助」ができていなかったからこそ、問題の防止、発生、隠蔽など、すべてに関わっていたはずなのに、このことにいっさい触れていないのです。

 全く無責任ですし、マスコミも免罪していると思います。ここに橋下市長のネライ(=敵をつくりだしてマスコミを使ってバッシングし、職員や住民の人権侵害行政や教育を行う彼のネライが貫徹してしまう危険性が透けて見えてきます。

 以上のことをふまえて、ロムさんのご質問に応えるとすれば、

 大阪の場合は、現場の「自浄力」で解決すべき問題だと思います。現場の「自浄力」のなさを突いている橋下市長ですが、現場の「自浄力」を破壊しようとしてきたのは、他ならぬ橋下府知事・市長です。文部科学省、政府です。だからこそ、現場を尊重すべきなのです。労働組合の教育力・現場の教育力の再生復活です。

 しかし、今日のニュースをみると、桜宮高校のカリキュラムは教育委員会が説明したようですが、高校生、中学生の要望や職員の意向など無視したもので、教育の自主性という教育の根本からは、真逆の教育施策が行われました。現場を無視したカリキュラムで何を教育しようとするのでしょうか?しかも付け焼刃です。そんなに簡単にできるものなのでしょうか?学校のカリキュラムは?

 もしこれが許されるとすれば、今後問題を起こした学校のカリキュラムは、同じ手法で作られることになります。ということは、これまでのカリキュラムづくりは何だったのか?です。勿論これまでのカリキュラムがすべて良いと言っているわけではありません。

 もう一つは大津市の例です。第三者機関に委託して、尾木直樹氏なども参加して「真相解明」が行われました。しかし、これとて、現場の「自浄力」を抜きにした「やり方」という点では大阪の場合と同じです。そういう意味では、今後のことを考えると厳しい評価をせざるを得ません。戦前の「訓導」主義の再来を予想するからです。

 現在各学校に設けられている「学校評議会」なるものがありますが、これらの人選をみると、どうも怪しいと思わざるを得ないのです。

学校評議員について

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakko-hyogiin/index.htm

学校評議会

http://ja.wikipedia.org/wiki/

大阪府の学校評議会

http://www.pref.osaka.jp/kotogakko/hirakaretagakkou/gakkoukyougikai.html

大阪市立学校活性化条例について

http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000180264.html

学校運営協議会の権限は?

http://www.minpokyo.org/activity/2011/10/819/

 教育の営みは、上から目線の命令・指導ではなく、教職員の自主自立の尊重が、生徒の自主自立の土台であるからです。戦前と戦後の決定的違いがここにあります。天皇の官吏として、天皇のために死ぬことを教える教育から、個人の尊厳と個人の人格の尊重主義こそが他人を思いやることに連動していくのです。これこそが民主主義と言えます。

 こうした視点が、中教審路線によって形骸化させられてきたことによって形成された子どもらの実態にこそ目を向けていかなければならないと思います。

 学校に行けない子どもがどれくらいいるか、いわゆる「落ちこぼれ」た生徒がどれくらいいるか、などなど、全国津々浦々で共通して起こっていることは、教師個人の、学校の責任だけに目を向けても解決できないことは当然です。まさに日本的教育問題の原因・背景、そして責任を明らかにしなければなりません。

 まず、第一に、大阪市立桜宮高校のような「特色ある学校」は文部(科学)省が指示してつくってきたことです。中教審路線というものです。

第二に、その最大の特徴は普通教育の理念を形骸化し、多様な学科を時の経済政策に従属させながら、つくっては廃止し、つくっては廃止してきたことです。

第三に、その際のポイントは旧教育基本法に明記された教育の目標と旧学校教育法に明記された小中高の目標に沿って学校目標が立てられ、授業や特別活動などが行われてきたかどうか、です。

http://roppou.aichi-u.ac.jp/joubun/s22-26.htm

 

ところが、実際は、真逆の教育行政が行われてきた結果が、今日の子どもの実態、教育現場の実態です。

 こうした実態を、体罰を容認してきたこと同じように、「受験の学力」優先主義が国民によって容認、支持され、競争主義が徘徊していったのです。予備校や熟の氾濫は、そのことを物語っています。

 いい学校からいい企業に行かせるために、熟や予備校に。そのための資金稼ぎのために、親は長時間過密労働にのめりこんでいくのです。家庭の崩壊も出てくるでしょう。勿論すべてではありません。しかし、このようなライフスタイルの被害者が圧倒的ではないでしょうか?家庭の経済力が偏差値格差に比例しているということは70年代から言われてきたことですが、このことは新自由主義の氾濫とともに、いっそう拡大してきたのではないでしょうか?

 各県の、いわゆる「特色ある学校」の偏差値一覧を「普通高校」を基準にみれば明瞭です。この偏差値が子どものこころと人生を狂わせていることを、大人はどのように考えるでしょうか?

 平成25年度和歌山県立高等学校入学者選抜実施要項

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/500200/25youkou.htm

和歌山県 高校偏差値 一覧 2013

http://momotaro.boy.jp/html/KHI%20wakayamakenn.html

特に、以下の偏差値を調べていただければ、今回の問題の本質の一つがわかるのではないでしょうか?

大阪府の高校偏差値一覧

愛知県の高校偏差値一覧

 

 

以上長くなりましたが、これくらいで、お許しを!

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共産党は中国共産党と日米安保廃棄の最大の障碍である偽りの「抑止力」論を研究して廃棄を実現すべき!

2013-02-03 | 日記

昨日の「赤旗」5面の「政治・総合面」に小さな記事が掲載されました。このページの太文字の、大きな見出しは、以下の記事でした。

右に「原発の危険見誤った経営の失敗」「負担増は障害者の命にかかわる」「値上げは再稼動の脅し 九電公聴会で不信渦巻く」

左に「国保証取り上げ153万世帯」「短期・資格証は減 保険料軽減が効果」

真ん中上「米牛肉きょう輸入緩和 月齢拡大 危険部位も容認」

真ん中の中「税優遇の復興特区区域拡大 漁協要望認定早く」

さらに、左には「『奄美・琉球』世界遺産申請へ」

右には「秋田県がリフォーム補助継続」

下段には「2~3月 地方選挙」の候補者一覧

 その右上に「緒方副委員長が中連部副局長と懇談」と太文字で。最初は何のことか判りませんでした。恐らく多くの人が見落としたことでしょう。中身は以下のとおりでした。

 日本共産党の緒方靖男副委員長と森原公敏国際委員会事務局長は30日、都内で来日中の趙世通中国共産党中央対外連絡部アジア二局副局長、中国大使館の林欐参事官と夕食をともにしながら懇談しました。懇談では、日中両国関係の問題両党関係アジア情勢などについて意見交換しました。(引用ここまで)

 たったこれだけでした。

 夕食をともにしながら、「日中両国関係の問題両党関係アジア情勢など」、何を懇談したのでしょうか?

 具体的に言える段階ではないのでしょう。

 それにしても、鳩山氏、山口氏、村山・加藤氏らが共産党の志位委員長の先を越して中国要人と北京で会談しているのです。このことの深刻な意味について、共産党関係者はどのように評価するのでしょうか?

 そうした意味を踏まえて、日米軍事同盟廃棄を主張する愛国者の邪論として、以下の点について考えてみました。

 今、日本、中国、韓国、北朝鮮の政府は、

 日本で言えば、中国や北朝鮮の「脅威」を最大の理由として日米軍事同盟を「抑止力」として正当化し、すべての政策をこの軍事同盟を起点として行っています。

今日の安倍沖縄訪問も、このスタンスで、この間の沖縄県民の基地撤去に対する運動を無視をし、沖縄県民を愚弄する言葉を吐いていました。

 中国で言えば、日本帝国主義・軍国主義とのたたかいを政権の重要な政策のひとつとして「愛国教育」によって維持しています。とりわけ尖閣領土問題は、国民も、政府も引くに引けないところに陥っています。それもこれも、石原前都知事の冒険主義というか、挑発が原因でした。経済においては、「日本抜き」に語ることはできない段階にあっても、です。このことは日本にとっても「中国抜き」は考えられません。

 北朝鮮にとっても、休戦中のアメリカと結んでいる日米軍事同盟が北朝鮮を敵視していることを政権の最大限の口実、正当性に使っています。まさに日本帝国主義・軍国主義とのたたかいの先頭にたつ金正恩様ということになっています。

 韓国においても、独島の領有を阻む日本軍国主義とのたたかいが保守政権の正当性の根拠になっていることは李明博大統領の独島訪問が示していました。

 そうした動きに対して、日本のナショナリスト、とりわけ偏狭なナショナリストの動向は、中国の「愛国者」、北朝鮮国民、韓国の「愛国者」「反共主義者」などと同じ位置に属していることは、こうした人たちを煽り立てているマスコミによっても証明されています。

 日中韓の多くの国民は、彼らの動きを苦々しく思いながらも「非国民」「国賊」のレッテルを貼られることを恐れて、彼らを批判することを控えているのでしょうか、両国を罵りあう彼らをあまり批判していません。

 日本で言えば、石原都知事の妄言・挑発によって経済的被害を受けた観光地の人々などから、抗議の声があがったという話がないことが、何よりの証拠です。そればかりか、石原氏は衆議院議員となって、自衛隊の国軍化など、憲法の改悪を大声で叫んでいることを国民は容認しているのです。

 以上のような状況を踏まえて、日本の政党のなかで唯一、侵略戦争に命を懸けて反対し、日米軍事同盟廃棄を掲げている共産党が何を語り、どのような行動を取るか、いわば、アジアが注目するくらいの位置にいると思うのですが、どうもインパクトが弱いような気がします。

 共産党は以上概観してきた朝鮮半島と中国の関係を踏まえ、また日米軍事同盟廃棄を展望して、どのような「野党外交」を展開して日米軍事同盟廃棄派を国民の多数としていくつもりでしょうか?

 現在の共産党のやり方では、中国や北朝鮮の「脅威」を信じている国民の疑問や不安に応え、廃棄派を多数にしていくことは、難しいと思います。

 何故ならば、ムダな軍事費削減を政策に掲げても、それがどれくらいの国民に支持されているか、検証してみれば判ることです。しかし、このことについて、共産党は多面的に検証していません。沖縄など、基地を抱えた自治体における選挙で、共産党がどれくらいの支持を得ているかを見れば明瞭ですが、そのことについての総括文は見たことがありません。

 これだけ、財政危機が浸透しているなかで、「ムダを削れ」の声に「軍事費」が国民の視野の中にはなく、公務員削減や賃金、議員削減の方に向いているのは、マスコミの報道、政府の宣伝もありますが、国民的目線からすれば、「脅威」に対応してくれる、地震など災害に対応してくれる自衛隊の費用を削るとは、「ケシカラン」「トンデモナイ」と思っているのです。

 まして「トモダチ」作戦で日本人を助けてくれた米軍兵士を歓迎している国民は多いと思います。オスプレイ配備や普天間基地などを背負っている沖縄には申し訳ないが、日本のためには少しぐらいはガマンしていただこう、その分基地対策として税金を投入してもらって、少しでも負担が軽減できるなら、そちらの方が「現実的だ」と思っている国民の方が多いのではないか。オール沖縄においてすら、この間の選挙における票の出方をみると、日米軍事同盟廃棄派は、世論調査では多数になりかけてはいるものの、実際の選挙では違っているのです。

 以上の推論と評価は、マスコミによって振りまかれている情報を元にしているものですが、共産党の政策が、こうしたマスコミ情報(イデオロギー)によって、日々覆されているのだと思います。

 では、こうしたマスコミ垂れ流しの情報によって形成された国民意識をどうやって変えていくか、です。最大の課題は、国民の「不安解消」論の構築です

 現在の共産党のやり方は、大会決定などを読むと、基地の弊害、基地への要求から出発して一つひとつ解決していく政治的経験を積むことで廃棄派の世論が多数派となるようにしていこうというものです。

 同時に日米軍事同盟が深化されれば、憲法9条を変えて戦争する国になること、それはイラクやアフガンに侵略したような国になること、そうなれば日本人、とりわけ若者が血を流す、命を落とすこと、他国民を殺すこと、ということになるというのです。確かにそれは事実でしょう。

 しかし、それは基地あるが故の「危機」と「不安」を煽る手法にたっていることを意味しているのです。これでは「中国や北朝鮮が攻めてきたらどうする」式の扇動と同じレベルに立っていないでしょうか?

 同時に日米軍事同盟を廃棄すれば、どのような展望が切り開かれるかを強調しています。しかし、廃棄するまでの国民意識の変革の方法が、「要求実現」と「狼が来るぞ」式の訴えが中心となっていることも国民的支持を得ることができるかどうか、問題です。何故ならば、「要求実現」には並々ならぬ時間と決意、運動が必要だからです。

 多くの国民にとって、日米軍事同盟廃棄より、日米連携で中国や北朝鮮の「脅威」を「抑止」する方が「現実的」で「手っ取り早い」方法で、「日本が戦争なんてするわけない」とマジに思っている国民も多いのではないか、それよりもむしろ国内の景気や雇用の方が心配だと思っている国民の方が多いのではないでしょうか?総選挙時の世論調査などをみると、そのような国民意識が透けてみえてきます。

 そこには、自分たちの税金が戦争に関係するすべてのものに使われる、増税があるなどという意識は微塵もありません。

 以上のような国民意識の実態把握を踏まえると、共産党のやるべきことは、現在のやり方に加えて、国民が納得・確信できる段階へ、すなわち「中国脅威」論にもとづく「抑止力」論の廃棄に向けた運動を、さらに深化させていかなければならないと思います。

 志位委員長の第25回大会報告 改定50年――日米安保廃棄を多数派にするために

http://www.jcp.or.jp/jcp/25th_taikai/01_25th_ketugi.html

http://www.jcp.or.jp/jcp/25th_taikai/02_25th_houkoku.html

東アジアに平和的環境をつくりあげていく平和外交と一体に、日米安保条約廃棄の国民的合意をつくりあげていく努力が大切」「日米軍事同盟の実態を広く明らかにし、その廃棄をめざす世論を広げていくために、あらゆる知恵と力をそそぐ決意を表明」するのであれば、このことを具体化していくべきです。

 では、それは何か。

 それは中国共産党と中国政府との関係の改善・発展しかありません。国民の「不安・不信」の根拠を根っこから取り出して廃棄していくことです。国民意識の目線の分析と対応です。そのことを日本共産党が中国共産党と中国政府に提案し、交流し、理論的に深めていくのです。具体的には、以下のことです。

 一つは、日米政府の「抑止力」論を乗り越えて日米軍事同盟廃棄に向けてどのような連帯をつくりだすかということ。

二つ目は、侵略戦争の負の遺産をどのようにして国民的レベルで克服していくかということ。

三つ目には、日本国憲法第9条、国連憲章、さらには東南アジア平和友好条約、日中平和友好条約、もっと言えば、バンドン十原則など、紛争の平和的解決と民族自決の理念を東アジアに適用・構築するためにはどのようにするかということ。

四つ目には、核兵器「抑止力」論を廃棄して、核兵器廃絶の道にどのように踏み出すかということ。

五つ目には、ドイツとフランス、ロシアと中国などの事例を踏まえて領土問題の解決のための方策を構築すること。

六つ目には、両国の国民の中に潜むナショナリズムを国際連帯の方向に向かわせるためにはどのような方策があるかということ。

七つ目には、東アジア平和共同体づくりのためにはどのような方策があるかということ。

八つ目には、北朝鮮問題の解決のためには、日朝平壌宣言や六カ国協議の共同声明の立場をどのようにして具体化していくかということ。

 以上のことについて、「それぞれの国の共産党は、科学的社会主義(マルクス主義)のとらえ方の点でも、独自の歴史と特質をもっている。理論交流は、独自の歴史と特質をもったものが、共通の世界的な諸問題へのとりくみを通じて、双方の見地を接近させていく形態としても、独特の意義をもちうる。わが党はこのとりくみを引き続き発展させる努力をはらう」(第25回大会決定)というのであれば、それぞれの立場を尊重しながら、公開で論争し、国際的に問題提起を行っていくことです。

日本共産党の野党外交の発展について

http://www.jcp.or.jp/jcp/25th_taikai/01_25th_ketugi.html

 以上のような内容で、「夕食をともにしながら懇談」したのであれば、了としましょう。さもなければ、共産党は、その存在意義を喪失したと言われるでしょう。何故ならば、これだけ連日中国の「領海侵犯か、侵犯まがい」のことが、これでもか、これでもか、と国民に報道され、「中国の脅威」が国民意識の中に浸透させられているのです。

 そのことを分析研究せずして、科学的社会主義はありえないでしょう。かつてソ連にも、中国にも、北朝鮮にもハッキリものをいう「自主独立」の共産党の歴史的伝統が泣くというものです。

 今東アジアの15億人を越える人々の平和と連帯が発展していくのか、再び過ちを繰り返してしまうのか、これほど試されている時はないと思います。安倍自公政権の誕生と共産党・社民党の凋落という事実は、その危機の一つの現象でもあるのです。

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