愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

共産党の党名を発展的に解決していくことはダメか!マンネリ打破こそ、国民の期待に応えるものだ!

2014-11-06 | 共産党

「保革」論に代わる枠組みの物差しは憲法を活かすかどうか!

日本の人権民主主義のたたかいの伝統の継承者とパイロットは誰か!

日本型「共産主義」とは何か!

赤旗まつりに対して、産経の記事を紹介しました。今沖縄では、知事選挙がたたかわれていますが、「保革」統一候補に対して、共産党のレッテルを張って、攻撃している輩がいるようです。古臭い「共産党」論が通用すると思っているのでしょう。かつのソ連「脅威」論を、再使用しているのでしょうね。こうした事実をみると、この国の政権政党寄りの勢力は、外国の事例を持ち出さなければ、選挙で勝てないということを自ら暴露しているのですね。呆れます。

もう一つは、この「共産党」論は、中国共産党の蛮行と日本共産党を連想させる政治的意図が透けて見えてきますが、これは日々、垂れ流されていることは周知の事実です。愛国者の邪論はこうした、安倍首相に言わせれば「ねつ造」は止めるべきだと思っているのですが、なかなか止めようとはしません。恥ずべきことですが、目的のためには手段を選ばないのが権力者というものです。

問題は、主権者である国民が、こうした「ねつ造」情報に対して、「ノー!」を突きつける判断力を持っているかどうか、そのことが最大最高も課題であるということです。そのためには、当事者の共産党が、或は民主主義を求める国民が、このような「ねつ造」を許さないというシステムをつくることではないでしょうか。このような「ねつ造」を行った場合は、ペナルティーが課されるということを、どうやって国民的合意をつくるか、そのことが課題になってきているのではないかということです。これはヘイトズピーチ規制と、似ているところがありますが、解釈と運用によっては、治安維持法と同じような使われ方をすることにもなりかねませんので、実現については難しいと思います。

本来は、言論に対しては言論で対処するという「政治風土」をつくることです。さもないと、「政治風評」によって、相手を貶めるようなことが横行することになります。これは「政治風評」による被害は国民にあるということを、国民がどのように気付き、判断をくだしていくか、ということです。その際の最大の課題はマスコミです。言論の民主主義的チェック機能を強化していくことができるかどうかです。そういう意味では、マスコミの民主化は最大最高の課題と言えます。

そういう点で、日本における民主主義の土台づくりを広く固くしていくために、また日本の民主主義を発展させていく中で、文字通り民主主義を根付かせていくためにも、「共産党」という「党名」を検討していく時期に来ているように思いますので、以下まとめてみることにしました。

このことは、共産党の戦前の不屈なたたかいを確認したうえで、「コミュニストパーティ」、最近は「JCP」と略されていますが、その「C」に当たる部分について、訳語の仕方と内容を発展させる時だということです。しかも、これは、ソ連共産党や中国共産党などの「脅威」論や、人権と民主主義を抑圧していることを触れ回っていることを回避するための処方箋としてなどというものではないということです。

愛国社の邪論は、もっと積極的に捉えているのです。21世紀の日本の在り方を展望した「党名」とするということです。どんな党名にしようが、攻撃する側は、必ず攻撃してくるということを前提にしてなお、この党名の今日的発展を国民的に検討するということです。

ここで「共産党」という「党名」、「共産主義」「社会主義」という場合、日本においては、必ず他国の事例を持ち出して、日本共産党を追い落とすという構図が定着しているということです。この不条理については、誰も疑問に感じていないのでしょうか?或はマスコミが、「これって、おかしいよね」とならないようにしているのか、どちらかです。そうしたマスコミ報道が「政治風評」となって、なんとなく自民党政権を支持する世論となってきていたように思います。

「キョーサントー」という漠然とした響きに、なんとなくソ連共産党や中国共産党が連想されて、なんとなく選挙では共産党ではなく「自由民主党」の方が「いいよね」となってしまうのではないでしょうか?「自由」と「民主」を否定する人はいませんから。それに対して、「自由」と「民主」を実現するために命を懸けてきた「共産党」=「キョーサントー」に対しては、腰が引けてしまう国民が多数いるのです。90年代後半に820万もの支持を獲得した時、「キョーサントー」に投票した人の話として、「手が震えた」ということに、ある意味驚きと同時に「そうだよね」と、不思議と納得してしまったことがありましたが、このことは日本国民の意識状況を雄弁に物語っています。

そのような国民意識が形成されてきたのは、『共産党宣言』の最初の「妖怪」論を紐解くまでもなく、また明治において、この「共産主義」が紹介された時、当時流行っていた、恐るべきコレラに譬えられて、「コロリ」と言われていたことに観るように、如何に体制派、支配勢力にとって恐ろしい思想であったか、そのことが判ります。そうした思想・思潮が、今日も継承されているということを理解しておく必要があります。

こうした、「誤解」「偏見」をどのように「変革」「変換」していくか、そのことは、「日本型未来社会」を形成していくうえで、大きな課題ではないかと思うのです。他国の物まねではない、日本の歴史の中で形成されてきた人権と民主主義のたたかう伝統を継承して、現在に活かし、未来をつくるという視点です。

マルクスの見直しと同時にやるべきことは?

日本の歴史における民主主義のたたかいは?

マルクスやエンゲルスなどの思想と理論を学ぶことは当然としても、日本における唯物論学の歴史、階級闘争の歴史から学びながら、更には日本における神道・儒教・仏教・道教などなど、様々な思想を点検しながら、それらが、日本の歴史を前進させるために、どのような役割を果たしてきたか、そして、それらの思想が現代人にどのような影響を与えているか、そして、これらの現代人が、「社会主義」「共産主義」思想をどのように受け止め、日本に具体化しようとしているのか、そのような問題意識の中から、真に「自主独立」の日本の歴史に当てはめた、創造的に適用した変革の道筋を考えていく時が来ているのではないかということです。

日本共産党は自主独立の、日本型「社会主義・共産主義・未来社会を」つくる綱領を持っている政党です。しかし、これらを観ると、以上述べてきたことは、重視されていないように思います。日本に根付いたものを使って、新しい社会をつくるという思想です。ところが最近はマルクス・レーニンなどの見直しが重視されていることは、赤旗などの刊行物を観ると判ります。現在使われている綱領改定の際に、そのことが強調されました。

しかし、かつての野呂栄太郎が『日本資本主義発達史』の中で述べた日本の歴史の分析の方法を使っているとは思えないようなものになっていることは以下を観れば明らかです。

日本共産党綱領全文

自由と民主主義の宣言 (1996年7月13日一部改定) 1996年07月13日

綱領・古典の連続教室

日本型未来社会の模索と展望のためには日本の歴史の中にこそ!

愛国者の邪論は、こうした思想が、日本国民の中にどんな影響を与えているか、その点を研究してみる必要があるように思っているのです。

それは一つには、外国の事例を言われても、NHKの大河ドラマ・時代劇の世界から日本の歴史を観ている国民にとって世界史、とりわけヨーロッパ史はわかりにくい、なじみ深くないという感情があるということ。二つは、こうした感情が、簡単に外国の共産党の蛮行を受け入れてしまうのではないかということ。三つは、日本独自の歴史の中からマルクスやエンゲルスが到達した「社会主義」「共産主義」論を導きだすことができていないことの弱点が、国民をして外国の共産党の蛮行を受け入れさせているのではないかということ。四つは、日本における史的唯物論を使った歴史分析から発展させた歴史の展望としての「社会主義」と「共産主義」像を、国民がイメージできないこと。

などなど、現状の綱領に明記されている理論的思想的研究の現状が反映しているのではないか、それが、国民が、「キョーサントー」を確信を持って支持できていない、大きな要素ではないかと思っているのです。共産党も、エンゲルスが、階級闘争は、「政治闘争、経済闘争、思想闘争の分野で行われている」と述べているにもかかわらず、この「思想闘争」の分野が遅れているのではないかと、愛国社の邪論は、共産党を観ていて思っているのです。

例えば、これだけマスコミが発展している中で、新自由主義の害毒が振りまかれているのにもかかわらず、この新自由主義に対する思想・経済・政治闘争は、中南米が成功したことと比べると、非常に弱いように思います。それは新自由主義とたたかって政権を奪取した中南米の政権との交流が非常に弱いことに象徴的です。

もう一つは、日々振りまかれている害毒に機敏に反撃する政策提起が弱いということ、「政策」の提案はするものの「政権選択」と「政権交代」のための「政権公約」を提案していないことです。これこそ、エンゲルスの「階級闘争の3つの分野」を具体化したものであるはずなのですが、これが弱いということです。更に「階級闘争の弁証法」論と「多数者革命」論にたちながら、広大な無党派層を視野に入れた政策提言と国民的運動を提起しているという点では、弱いということです。

「一点共闘」論から「統一戦線へ」論という「発展段階」論にたっていることです。一般的には間違っていませんが、日本の歴史においては、民主党の政権樹立という政治的経験を果たした国民の政治への「期待」と「失望」「不信」という状況を踏まえるのであれば、残された「期待」は、もはや「キョーサントー」しかないのにもかわらず、大胆な提起ができていないのです。むしろ「自力更生」論が支配的になっているのです。

「自力更生」に「苦戦」しているのは何故か!自己検討はリアルに!

このことは、今日の赤旗を観れば明らかです。それは9面の「党活動」版に象徴的です。

「10月の入党決意が237地区で584人、8月1日以降に党員を迎えた支部は6.9%です。『赤旗』読者は日刊紙719人減、日曜版2497人減となります」とあるように、「自力更生」に「苦戦」しています。その「苦戦」を突破していくためにいろいろな文献の「読了」を提起しています。しかも「党躍進の条件と可能性が客観的に広がっても、自力を付けることなしには選挙で勝利できないということが、この間の国政選挙や党大会後の中間選挙の最大の教訓」と「叱咤激励」をしているのです。

しかし「叱咤激励」をし続けてきてなお、このように「苦戦」を強いられているのは何故か、については、分析されていません。このように、全党員が「自力更生」のために、「党躍進の条件と可能性が客観的に広がっても」「苦戦」しているのは何故か、その点が曖昧なのです。「中央委員会書記局」の分析力・指導力の検証が必要ではないでしようか。

愛国社の邪論も、この文書が言うように、「党躍進の条件と可能性が客観的に広がって」居ることは事実ではないかと思うものですが、それに対する方針が、党員の「政治的な力」になっていないのは何故か、その点が問題ではないかと思うのです。それは、安倍内閣打倒を掲げながら、「政権選択・政権交代」を求めていないことにあるのではないかと思うのです。党員への方針は、この運動のために、職場や地域、学園で、どんな運動を提起しているのか、曖昧です。

内閣打倒を掲げ投げながら、次の政権はどんな政権をつくるのか、共産党は提起していません。このことについて党員の皆さんはどんな考えをおっているのでしょうか?中央委員会の方針をそのまま受けて実践していることは想像に難くありませんが、それにしても、国民の皆さんが、共産党の内閣打倒の声を聴いた時、どんな反応を示しているか、赤旗を観る限りでは、余り判りません。内閣打倒後に、安倍政権に代わる内閣は、自公政権で良いのか、亜流政権で良いのか、或は民主党政権で良いのか、更には政界再編劇に基づく新たな枠組みの政権で良いのか、共産党は何も語っていません。

このような曖昧さが、共産党員の皆さんのこころに火を燃やさせていないのではないでしょうか?判りませんが、今のままでは、「内閣打倒後、どうするの?」ということになりかねません。「いや、その時の情勢で決まるのだ」ということになっているのかも知れません。その時の情勢に枠をはめないように、今は「一点共闘」のたたかいを発展させて、「統一戦線を広げることだ」ということかも知れません。

しかし、安倍政権が解散・総選挙に打って出てきた場合はどうなんでしょうか?それでは従来どおりのたたかい方をするということになりますね。それでは「一点共闘下のたたかい」と小選挙区制下の選挙のたたかい方が、安倍内閣打倒の議席に結びつくものになるのかどうか、現状のたたかい方では、「一点共闘」論に基づくたたかいが安倍内閣打倒のたたかいに結実していくのは大変難しいのではないでしょうか?

安倍内閣の候補者に対して、対抗馬がバラバラでは、国民の「期待」は分断されてしまうことは、この間の選挙で明らかです。だからこそ、民主党の政権交代時の、無党派層の「期待」を集める選挙のたたかい方が求められてくるのだと思うのです。現在民主党の代わりを務められるの共産党であることは明瞭です。しかし、共産党が単独で、その支持を集められるかというと、それはできないでしょう。滋賀・福島・京都の知事選が、何よりの証拠です。

ではどうするか?圧倒的多数の「無党派層」の期待・要求を実現していくための「政権選択・政権交代・政権公約」を国民とともにつくるということを呼びかけるのです。この中で300の小選挙区に安倍内閣に代わる候補者を擁立するのです。こうした流れをつくるための方針こそ、「自力更生」が果たせるのではないでしょうか?

キョーサントーに込められている歴史を打ち破って

日本型未来社会を構築するために!

以上のような曖昧な共産党の方針に加えて、共産党の党名問題があることは、共産党を支持している国民の中からも寄せられていることは、この間の赤旗を観れば明らかです。しかし、これについての、共産党の回答は、まさに「頑固」そのものです。ま、別にその「頑固」さが悪いと言うつもりはありません。が、それにしても、この党名に対する自己検討を行う時期に来ていることは、言っておかなければなりません。

そもそも、この「C」を「共産党」と訳したのは、幸徳秋水と堺利彦と言われています。もう100年以上も前の話です。それを漢字文化圏の中国も使ったのですよね。外国では「共産党」とは表記していないと思いますの、これは漢字文化圏の日本と中国だけの使用かと思います。そこで、

「コミュ」=「共同」論を徹底していくことは民主主義を徹底していくことを意味していると考えています。いわゆる「未来社会」は、徹底した民主主義=「国民・人民が主人公の社会」であるとの認識からすると、コミュニスト=デモクラシストではないかと思っています。

「コミュンー」=「コミニュニティー」ということからすると、生産手段を私的所有をしている資本家=「有産者」と違って、生産手段を私的所有していない、生産手段を私的所有しないと言われている「労働者」=「無産者」の「共同」社会としての「共産主義社会」という意味は、「生産手段の社会化」が徹底された社会という意味からすると、それは生産手段の「社会化」というのは、本来は「生産手段の民主化」、すなわち「民主主義が社会の隅々にまで徹底された社会」ではないかと思います。

そもそも「デモクラシー」は「デモ」=「ピープル=人民・国民」と「クラシー」=「パワー」=「統治力」が一緒になった言葉だということを考えると、「人民が統治力を持つ」「人民が主人公」ということを意味していると思います。これは、国民・人民民主主義ということではないでしょうか?

そういう点からすると、また文字通り、人権・自由・民主主義社会をめざすという意味からすると、「共産主義社会」「共産党」という名前も、その訳語・翻訳の仕方の検討に入るべきではないかと思っています。同時に、このことは憲法を徹底して活かしていくということをも意味していると思うのですね。

ということを考えると、「共産党」という名前を、「C」の持っている意味、歴史的に果たしてきた役割などを踏まえつつ、その伝統を発展させるという視点から検討し直して発展させていくことが検討されるべきではないでしょうか?それが「国民・人民民主主義党」かどうか、現在の私には判りません。

少なくとも、以前「ディクターツゥラー」を「独裁」「執権・執政」「権力」などと訳していたことを、訳語の意味そのものを検討した時の方法論を使って検討する段階が来ているように思います。

そのことは、共産党のたたかう歴史的伝統を貶めるものではありません。これは、これまでの人権と民主主義を実現するために命をかけてきた人民のたたかう伝統を発展させていくという視点で、独り「共産党」という「党名」の枠内に限定するのではなく、文字通り「デモクラシー」を「民主主義」と訳した時以来の大転換を図るという意味も考えながら、日本の、世界の未来社会の展望をも考えるという視点に立っていることを意味しています。

「コミュニズム」はコミュティーの「コミュ」であるからというような説明がなされることがありますが、「コミュニティーセンター」を「共産センター」と訳していないのは何故でしょうか?という簡単素朴な疑問にどのように応えていくか、などなど、共産党の躍進を願う国民の心配が、共産党攻撃がし烈になってきているなかで、名前変更を求めていることに集まっていることに、どのように親切に、どのように丁寧に応えていくか、共産党の、国民政党でありながら、革命政党として、また国民が主人公をめざす政党として、多数者の参加による社会変革=革命をめざす政党としての真骨頂が試されているのではないでしょうか?情勢は日々転換していきます。日米軍事同盟深化派=憲法改悪派=多国籍企業の利益護持派が、日々振りまく体制擁護と温存のイデオロギーをあの手この手と振りまく中で、それに真っ勝負しようとしている共産党が、これまた日々深化していくことを止めた場合、マンネリに陥った場合、国民の支持は得られないということになるでしょう。

以上の意味から、「党名」検討の時期、政権をどのように奪還していくのか、そのたたかい方の検討に来ていると思いますが、如何でしょうか?「自力更生」の果たせないままでは、「政権は奪還できません。党躍進の可能性を現実のものにできません」と国民に言っているようなものであることを自覚すべきではないでしょうか?

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認知症への不安にどのように立ち向かうか!自助・自己責任を超えて国家的プロジェクトでこそ解決を!

2014-11-06 | 認知症・健康

認知症の義姉を看ていて思うことのいくつかについて

以下のニュースを観ていて、現在、認知症にかかってしまった義姉と、その家族を視ていて、考えたことがありますので、記事にすることにしました。順不同ですが、メモ風にまとめてみました。ご覧ください。
1.認知症は他人ごとではないことです。関係ないことだと思っていましたが、少しずつ、そして急激にやってきました。それは他人事であったことと、不勉強のためでした。
2.義姉を看ていて思うのは、一番戸惑っているのは本人だということ、本人でさえも、どうして良いのか判らないということです。
3.また、介護をする家族の苦労は並々ならぬものがあるということです。現役で働いている真っ最中であること、子育て中であること、それぞれには生活があること、いわゆる核家族であることなどが、このような社会現象をつくりだしているのではないかということすら考えなければならないことです。
4.病院や介護に係る費用を考えると、それなりの所得がないと、この問題は援助の手は差し伸べれらないことです。カネがなければ、手は差し伸べられないということです。
5.認知症、少し前はボケ老人、痴ほう症、精神病などと言われていたため、この病気に罹っても、地域のなかで明らかにすることを憚ってしまうことがあることです。それが高齢者・家族を孤立させてしまうことにもなるということです。
6.地域と家族が連携しあって、高齢者を皆で守っていくこと、コミュニティーとしての機能が寂れていくか、復活させていくか、発展させていくか、という状況があることです。
7.こうした状況の中で、また認知症などの病気が、これまで経験したことがなかったことなどを踏まえて、対処の仕方に精通する人がいないこと、模索中であることなどが、愛国者の邪論を含めて、浮かび上がってきていることです。
8.ネットを調べると、このような状況は次第に改善されてはきてはいるものの、ようやく始まったばかりかなということを感じるのです。今後は大っぴらに、認知症問題が話題になるような地域や職場をつくっていくこと、認知症患者を皆で介護することが当たり前になる社会をつくることではないかと思っていることです。
そんな中で、以下のニュースと記事がありましたので、掲載しておくことにします。ご覧ください。

NHK 認知症の国際会議始まる 東京 11月5日 12時13分http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141105/k10015951821000.html
高齢化に伴い患者が急増している認知症について、「ケアと予防」をテーマに先進各国の政策担当者などが意見を交わす国際会議が、5日から東京で始まりました。
東京・港区の会場には、アメリカやイギリスなど主要な先進国の政策担当者や研究者、それにWHO=世界保健機関の担当者などが出席しています。はじめに厚生労働省の三浦公嗣老健局長が、「認知症に関し日本は多くの実績を積み重ねている。国際的な連携に向け有益な情報を交換したい」と協力を呼びかけました。高齢化に伴い認知症患者は急増し、世界で4400万人に上ると推計されています。治療薬の開発や効果的なケアの確立は各国共通の課題となっていて、去年12月には、G8の閣僚級が話し合う「認知症サミット」がイギリスのロンドンで初めて開かれています。今回の会議は、去年の認知症サミットの後継会議と位置づけられていて、サミットに参加した参加国が独自にテーマを決め、持ち回りで開くものです。
会議は3日間の日程で開かれ、最新の予防研究が報告されるほか、効果的なケアの普及に向けた国際社会の連携などについて意見が交わされることになっています。(引用ここまで

NHK 見つめて 触れて 語りかけて ~認知症ケア“ユマニチュード”~ 2014年2月5日(水)放送http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3464_all.html

「魔法のよう」と称賛!フランス生まれの認知症ケア「ユマニチュード」とは?  更新日: 2013年11月01日 http://matome.naver.jp/odai/2138269291555137601

医学書院/書籍·電子メディア/ユマニチュード入門  http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=87631
 
ありのままでと娘の決断-87歳認知症の母、徘徊の自由で戻った笑顔 Bloomberg 11月4日(火)7時56分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141104-00000022-bloom_st-bus_all&p=1
 11月4日(ブルームバーグ):酒井アサヨさんは大阪市内のマンションで玄関ドアをドンドンと両手のこぶしでたたき、外に出たいと一日中わめく。どうしてそこにいるのか、本人の記憶は定かでない。認知症を患っているので忘れてしまう。87歳になったアサヨさんと同居する娘の章子さん(55)が5年ほど前の出来事を振り返る。行く手を阻む章子さんをたたき、かみつき、暴れて抵抗するアサヨさん。こんな光景が日常茶飯事となっていた。疲れ果てた章子さんはその日、玄関のドアを開け、アサヨさんを会社員でごった返す大阪のビジネス街、北浜に解き放った。「出るのであれば出ていけ」。「叫んでわめき、かみつく悪魔のような母に、私の人生は終わったと思った」と章子さんは言う。行き着くところまで行き着いて、どうすることもできなくなった果ての決断だった。しかしこの後2人には思いもかけない物語が待っていた。親や配偶者を介護する人は増え続け、章子さんのように精神的に追い込まれている人も少なくない。警察庁のまとめによると、昨年は「認知症または認知症の疑い」による行方不明者が1万人を超えた。何年も行方不明になって発見される人もいれば、死亡していることもあるし、介護者が高齢者を虐待し殺害に至るケースもある。
通帳を破る
厚生労働省の調べによると、12年には27人の高齢者が介護者によって殺害されたり、介護放棄されたりして死亡した。同年の高齢者虐待件数は06年に比べ2割増え1万5000件を超えた。うちの半数は認知症を患っていた元看護師で結婚後は専業主婦だったアサヨさんは奈良県大和郡山市に住んでいて、今から10年近く前に認知症と診断された。その6年前に夫がすい臓がんで亡くなってからは落ち込み、上手だった料理もやめて出来合いののり巻やお好み焼きを買って食べる日々になった。頬骨が出るほどやせ細った。認知症と診断されたとの電話を地元の高齢者サポートセンターから受けたとき、章子さんはパニックに陥り、6年間やめていたたばこにも手を出した。アサヨさんは、隣近所のインターホンを鳴らして「夫がいない」「子供がいない」と言い、マヨネーズやバナナを台所にため込んだ。家の中を段ボール箱で散らかし、印鑑を持たずに銀行に行って現金を下ろせないとかんしゃくを起こして行員の前で通帳を破った。「通帳を無くした」「現金がない」と章子さんに何度も電話があり、後から調べると家中の引き出しから札束が出てきた。
大嘘
「本人が大丈夫と言うから信じていたけど、それが大嘘(うそ)だった」と章子さん。近隣の苦情が増え章子さんは引き取る決意をした。30年以上住んだ自宅から越すことを嫌がったので「遊びに行こう」と大阪のマンションに連れてきた。アサヨさんの安全を考えて家に閉じ込めた。デイケアにも通所したが、夕から朝にかけ二人きりで過ごす時間は長かった。認知症疾病啓発プログラムを運営する全国キャラバン・メイト連絡協議会の菅原弘子事務局長は、「認知症患者にどう対応すればいいかみんな困っていて、解決方法を知りたがっている。以前から現場では問題が起きていて切羽詰まっていたが、対応が分からなかった」と言う。日本の高齢化は急速で、国民の6%に当たる推計800万人が認知症を患っているか、発症リスクを負っている。国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、65歳以上の人口は現在4人に1人だが、2060年には4割になる。出生率が低く移民受け入れの合意もない中、納税人口は減り、高齢者を財政的、物理的に支えるのが難しくなっていく
予想外
玄関のドアを解放した日。アサヨさんは外に飛び出し、6キロも7キロも休むことなく歩いた。章子さんは距離を置いて後から様子を見ながらついて行った。この日を境に全く予想していなかったことが起こった。自由をつかみ取ったアサヨさんの怒りが静まったのだ。笑顔を見せるようになり、世間話や若いころの話をして、娘の友達や知り合いだけでなく、知らない人も楽しませ始めた。
「母が1日中家の中で叫び続けていると、私の精神がむしばまれ煮詰まってしまったが、外に出すことで本人も私もハッピーになった」と章子さん。「メリットとデメリット両方考えたとき、外に出す方がいいと思った。外で事故に巻き込まれるかもしれない心配はあったが、状況が少しでも改善されるのであれば、そのリスクは取ろうと思った」。
章子さんはメゾネットのマンション2階でギャラリーを経営していたが、数カ月閉めてアサヨさんが行くところにはどこにでもついて行った。「よく運動するからダイエットにもなる。いつも歩いていると、近所や店の人たちが助けてくれるようになった」と章子さんは言う。
母娘が暮らすビルの管理人の浅井重雄さん(75)は、エレベーターに乗り降りするアサヨさんをモニターで見つけると、管理人室に呼んで世間話をする。会話の後は落ち着いて笑顔で部屋に戻っていく。浅井さんは他の入居者にもアサヨさんの病状を説明。アサヨさんのことを尋ねる小学生にも事情を話してあいさつを促した。ビルの住人らはみんな理解し手を貸すようになったという。
他人事ではない
「普通は家の中に閉じ込めて外に見せないものを、アッコちゃんは全部外に出して見せた。それをみんな見ているから、大変そうやなと思ってできることは手伝う。認知症は他人事じゃない。僕は外に出して好きにやらしたらいいと思う」と浅井さんは言った。
アサヨさんが住むビルの目と鼻の先でコーヒー専門店「リヴォリ」を32年間営む堀敬治さん(67)は、午前6時から客に提供する朝食の準備をしながらアサヨさんを見守る。アサヨさんは肩からかばんを下げて、九州へ帰ると言って一生懸命に歩いている。コーヒーを飲んでいかないかと声を掛け、朝食を取るとアサヨさんは落ち着き会話が弾む。そのうち、母親がいないと気づいた章子さんが店に探しに来る。
堀さんは、2人が道の真ん中で口論をしているのを見て同情し助けるようになった。「いつも一緒に歩いて追っかけて、娘さんはすごいし大変だと思う。逆に娘さんが一緒にいないと心配になる。こちらも仕事や生活があるからそのリズムを崩すことはできないけど、その中では助けてあげようと思う。大丈夫かなと思って気にかけて見ている」と話す。
気持ちの良い距離
近所の人や飲食店で働く人たちが母親を受け入れ、深入りせず、気持ちの良い距離から見守ってくれていると、章子さんは言う。徘徊(はいかい)していても親切に道を教えてくれたり、警察まで連れて行ってくれたりする。近くには午前6時から午前3時までの時間帯に営業しているレストランやカフェがたくさんある。
自宅から3キロ圏の交番や警察署にはたいてい世話になっていると章子さん。申し訳ない気持ちでいたところ、ある警察官にお母さんのことは「任せておけ、安心しろ」と言われ、それが一つの転機だったかもしれないという。それからは何かあれば交番に行くようアサヨさんに口を酸っぱくして言った。警察が見守り探す。アサヨさんが交番を目指すようになると、章子さんも安心し1人で徘徊もさせた。
米国アルツハイマー協会によると、認知症患者の10人に6人は名前や住所を忘れ、自分がどこにいるか分からなくなる。英国ロンドン大学のユニバーシティー・カレッジ・ロンドンのスティーブ・イリフ教授(高齢者プライマリーケア専門)は、監視のない徘徊は危険だが、興奮する患者を散歩によって落ち着かせることができると言い、「歩くことは健康に良く、不安行動を和らげ、睡眠を手助けする」と話す。
賛否両論
単独での徘徊には賛否両論ある。多くの医師は患者が1人で出歩きけがをするリスクを嫌がるが、ソーシャルワーカーは患者がやりたいことを安全にできるようにする努力をするべきだという意見を持つ。「認知症が進行し自己意思決定する能力を失うと、周りが本人の利益を考えて行動してあげなければいけない。そこで最優先されることは、老人ホームのドアを施錠して閉じ込めてしまうことかもしれないし、必ずしもそうではないかもしれない」とイリフ教授。「自分の家が思い出せない、分からない人に対し、どこまでのリスクを許容できるかを判断することだ」とイリフ教授は話す。
章子さんにはもう一つ取ったリスクがある。アサヨさんが服用していた数え切れないほどの薬をやめたのだ。アルツハイマー病や糖尿病、高血圧、高脂血症、血栓などの薬だ。漢方薬もあった。驚いたことに、薬をやめるとアサヨさんが穏やかになった。「記憶はなくなるかもしれないけれど、それよりも母の興奮が収まった方が、私たちの生活はより楽になった」と章子さん。
薬の副作用
現在は高血圧、高脂血症など数種類の治療薬を服用している。アルツハイマー病の進行を遅らせるため頻繁に処方されるアリセプトは服用していない。米ミネソタ州のメイヨークリニックによると、アリセプトは20%の患者に嘔吐(おうと)や下痢などの副作用を起こすという。副作用がアサヨさんの興奮や暴力を引き起していた可能性もあるとイリフ教授は指摘する。「認知症患者は自分の体が体験していることを理解できず、表現できない。章子さんの選択は正しくとても大胆だ」と述べた。だからといって毎日の散歩が容易になったわけではない。一番ひどいとき、アサヨさんは12時間続けて家を出たり入ったりし、近所の高級イタリア料理店に入って娘を泥棒と呼び、警察を呼んでくれと叫んだ。章子さんは、真っ青になり暴れる153センチ、45キロの母をレストランの警備員と一緒に引きずりだした。
思い出の場所
アサヨさんは、マンションから5キロほど西の春日出という地区に向かおうとする。独身時代に住み込みで看護師として働いた思い出の場所だ。北九州の門司にも行こうとする。アサヨさんは1927年、門司で4人の末っ子として生まれ、大阪に出て看護師の資格を取った後、春日出にある親戚のクリニックで働き、負傷した兵士や、梅毒に感染した女性を手当てした。タクシーを拾ってこうした場所に行こうとするが、現金がないので最終的に警察に連れて行かれる。最高5000円の乗車料金を払ったと章子さんは言った。
家族が介護に奮闘する中、民間企業でも顧客に手を差し伸べ、独自の支え方を育んでいる。総合小売りのイオンやゆうちょ銀行では、販売員やフロア係が認知症患者の行動の特徴を学んでいる。全国キャラバン・メイト連絡協議会の運営事務局によると、全国では、小売りや銀行などの民間企業含めて約540万人を超える人たちが認知症講座を受けた「地域にいる認知症患者は生活者」と話すのは、同協議会でサポーター講座を運営する菅原氏。「年金を下ろしに郵便局や銀行に行くし、食料品を買うのにスーパーに行く。スーパー、理髪店、八百屋、魚屋、コンビニ、マンション管理など地域全体を巻き込んで啓発をして見守りを展開しないといけない」と話す。
同じ買い物
イオンのグループ環境・社会貢献部の塚田公香マネージャーによると、認知症の顧客は、同じ物を繰り返し購入したり、会計前に財布を見つけられなかったりするという。支払いせずに商品の封を切って食べたり、ショッピングモールで迷子になったりしてなかなか見つからないこともあると塚田氏。イオンは2007年から認知症教育に取り組み、現在では国内従業員40万人の1割が講座を受けたという。
金銭を取り扱う銀行にも苦労がある。東京の八王子長房郵便局で、局長を20年務めた浅原ユリ子氏によると、現金自動預払機(ATM)の暗証番号を忘れたり、現金を引き出したこと自体を覚えていなかったり、1日に何度も通帳を紛失したりする高齢者が増えているという。みずほフィナンシャルグループ広報担当の塩野雅子氏によると、同社では銀行のフロア係1400人が認知症講座を受けたという。住友生命保険相互会社も4万人の従業員のうち4分の1が講座を受けた、と広報担当の岩口和洋氏が述べた
攻撃的
米国アルツハイマー協会によると、認知症患者は物理的な不快感や人混み、知らない人たちに対して攻撃的になる。アサヨさんほど進行すると、施設に送られ、興奮を抑えるために薬剤を投与されることもある。厚労省研究会の調査によると、日本では認知症患者の12%が入院している。かかりつけ医、看護師、老人ホームでさえも、異常行動を持った認知症患者とうまく付き合うアドバイスができなかったり、人材不足だったりするためだ。英国やフランスの入院率は1%以下と低い。医師は認知症患者の興奮を抑えるために、抗精神薬を投与することがある。たとえば、ブリストルマイヤーズが販売するエビリファイや、アストラゼネカが販売するセロクエルなどだ。患者が自分自身を傷つけないように、また介護者の身の安全を守るために使用すると、メイヨークリニック・アルツハイマー病研究センター長のロナルド・ピーターセン氏は言う。英国と違い、日本では意思決定能力を失った人や、介護者を保護する法律がないため、損害賠償請求をされることもある。91歳の認知症男性が列車にはねられ鉄道会社に発生した損害について名古屋高裁は4月、妻に賠償を命じる判決を下し、「認知症の人と家族の会」に失望を与えた。アサヨさんの場合、幸運なことに外で大きなけがには至っていない。転んで顔を切り、青あざを作った程度で済んでいる。
アサヨ劇場
アサヨさんは新たな人生を楽しんでいるように見える。徘徊をしていないときは、レストランやバーで家族や親戚の話、一緒に働いていた医師や看護師の話、娘の恋愛話をあれこれして楽しませている。時には女性にはボーイフレンドや夫の話を聞きたがる。実話であれ作り話であれ、聴き手は大笑いし、口が達者な母の話は一段と弾むと章子さんは言った。「人に注目されているとうれしくて、無視されるとすねて帰ろう、帰ろうという。外に出ると、女優アサヨ劇場、その場に任せて嘘八百を言う。こんな面白くて可愛い母を見たことがなかった、知らずにいたかと思うと恐ろしい」と章子さん。今夏のある日、デイサービスから帰宅後、章子さんがケアマネジャーに相談をしている間に、アサヨさんは世話になりたくないから出ていくと言い出した。部屋を歩き回り、2階のギャラリーへの階段を上り下りし、死んだ愛猫ジェフの名前を呼びながら、山の方に住む友人のところへ行く、腕に自信があって仕事が得られるから心配無用、出してくれと叫び始めた。午後6時40分ごろに章子さんが玄関の扉を開けると、湿気と熱気が残る街に飛び出した。ワイシャツ姿のサラリーマンが仕事帰りの一杯のため並ぶ飲み屋街を歩きながら、アサヨさんは娘を泥棒と呼び、どっかに行けと叫んだ。見知らぬ人の腕を平手打ちし、乗用車やトラックで混雑する道路の信号を無視して横切り、どんどん歩いて行った。
ボーイフレンド
40分ほど徘徊したあと、アサヨさんはレストランに入って休むことに同意。シロップを入れたアイスコーヒーをストローで飲み干し、マルゲリータピザのトッピングだけを箸でつまんで食べた。外に立っていたウエーター2人を娘のボーイフレンドだと指差した。章子さんと帰宅したの午後8時ごろだった。
「認知症は言うことを聞かない子供が一人増えたようなもの」と章子さんは笑う。「病気がどんなものか分かるまでが一番大変。進行するとまた行動パターンが変わる」と6年の同居経験を語る。「介護者は自由という犠牲もあるけど、メリットもたくさんある」とも話す。新しい生活から思いがけなく得たものは、近所の人たち、レストランの店主、警察官らの新しい友人だった。アサヨさんの介護で、独身の章子さんの生活は180度変わり、母を中心に回る。午前8時に母親を起こし、デイサービスに送り出す。その間、仕事、掃除、買い物を済ませ、アサヨさんが帰宅すると晩御飯を作り、母親のとめどない話や徘徊に付き合う。
成長
同居前の章子さんは「独身を謳歌(おうか)して、好きなことをして、時間もむちゃくちゃ」な生活だったという。母親を介護していると自分のやりたいことをあきらめ始め、自分のための欲望もなくなった。「母が私の生活に入ってきたことで、言いたくないけど成長させてもらった。接点がなかった人たちと仲良くなって、親切にしてもらった。こんなにいい人たちがたくさんいると気づいた」と話す。アサヨさんは時々、着替えを拒んだり、服を逆さまに着たり、下着に粗相をしたり、キャンディーを食べ過ぎたり、歯を磨いたと嘘をついたりする。章子さんはほとんどアサヨさんがやりたいようにさせている。
先の人生がある子供でなく、残りの命は短い。そうなら清潔にすることに努めて、あとは楽しく暮らしたらいい。向こうのリズムでやって完璧にしようとしない」のが秘訣という。「ママは過去は忘れて先も心配しない、今を生きている。喧嘩(けんか)しても次の日全部忘れて可愛いらしいママになるから、私がどれだけ腹が立っても忘れることにした。だって引きずっているほうが損だから」。章子さんがたどり着いた結論だ。
母と娘の物語
日本政府は認知症患者に優しく、普通に暮らしができるような社会を目指している。2012年に認知症施策推進5カ年計画(オレンジプラン)を発表し、認知症が長く地域で暮らしていけるようなアプローチを取り入れた14年度政府予算では同計画に32億円が計上された。西欧諸国が発表した認知症対策への投資額と比べるとまだ少ない。人道的でよりコストのかからないなケアを推進するという概念を掲げた日本政府の政策がどこに行き着くのか、今後どれだけの道のりがあるか。アサヨさんの物語から垣間見える
記事についての記者への問い合わせ先:東京 Kanoko Matsuyama ,kmatsuyama2@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先:大久保義人 ;Rick Schine 谷合謙三 ,yokubo1@bloomberg.net,eschine@bloomberg.net(引用ここまで)

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