原因と結果をアベコベにしている限り犠牲者は出る!
真の原因を追及しない産経の意図は?
【パリ同時多発テロ】フランスなぜ狙われた? 「イスラム国」の理想と正反対の社会、統合求める国に反発 2015.11.17 08:19更新http://www.sankei.com/affairs/news/151116/afr1511160034-n1.html
重大テロに相次ぎ見舞われたフランス。イスラム過激派はなぜ執拗(しつよう)にフランスを「標的」とするのか。
ティエリー・ダナ駐日フランス大使は16日、都内で記者団の取材に応じ、犯人が今回パリを狙ったのは、大都市であるという以上に「イスラム国として明確な意味がある」と強調した。ダナ氏は、現場となった劇場は「若者が集う現代性を象徴する」存在であり、カフェのテラス席も「開放的」で、「(仏文化で重要な)自由を謳歌(おうか)でき創造性を発揮できる」場所だと指摘。それらは「イスラム国の理想と正反対」のため攻撃されたと推測する。
フランス革命の「自由・平等・博愛(友愛)」は、フランス国民だけでなく、中東諸国の人民にとっても、また日本国憲法を戴く日本国民にとっても、アメリカ独立宣言を頂くアメリカ国民にとっても、更に言えば、国際連合憲章にとっても、共通する「価値観」のはずです。これは人類の到達した共通の価値観だからです。しかし、現実は大きく違ってしまっています。何故でしょうか。このことの解明を抜きに、「自由・平等・博愛(友愛)」が実現することはないでしょう。安倍首相が繰り返し述べている「自由・人権・民主主義・法の支配の価値観」論も同じです。全く逆のことが行われているのです。
自由、平等、友愛 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97
フランス革命 血塗られたる「自由・平等・博愛」の神話http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/savebox/sawada-fr.html
特集「“黒人初の共和国”ハイチ ~独立がもたらしたもの、そして未来 2005年5月1日http://www.hungerfree.net/special/08_1.html
ハイチ革命(1791~1804)http://www.k5.dion.ne.jp/~a-web/Gv-sHitiRv.htm
「イスラム国の理想」と「正反対」の場所である「(フランスの仏文化で重要な)自由を謳歌(おうか)でき創造性を発揮できる」場所という捉え方は、「自由を謳歌」する「フランス文化」と「自由を謳歌」できない「イスラム国」の「文化」という構図となり、あまりに短絡的です。「自由・平等・博愛(友愛)」思想は、中東には関係ないということになるのでしょうか。
フランスでイスラム教徒が置かれる環境も注目だ。欧州でも絶対数が多いイスラム教徒の社会への統合を仏政府は重視してきたが、河本志朗・日大教授は「社会から疎外感を感じる不満分子は一定程度出るが、過激分子になるのを防げるかが問題だ」と指摘する。さらに「ホームグロウン(自国育ち)」と呼ばれるテロリストの存在が浮かび上がってきた。差別や就職難などで不遇を感じる人物が、「欧米へのテロを呼びかける過激派の声に呼応してしまうことは十分考えられる」と河本氏はみる。(引用ここまで)
「イスラム教徒の(フランス)社会への統合」論は如何なものでしょうか。「社会から疎外感を感じる不満分子」が創りだされるのは何故か。「差別や就職難などで不遇を感じる人物」が創りだされるのは何故か。全く隠ぺいしています。
これらの「不満分子」「人物」が「欧米へのテロを呼びかける過激派」に「呼応」するということの前に、「過激派」が創りだされる背景と要因は何か、全く隠ぺい・思考停止です。9.11以後、この点が一貫して曖昧されてきたことが、今回の悲劇を生んだのではないでしょうか。
何故、このような隠ぺいと思考停止が創りだされるか!このことを抜きに、テレビは「テロを未然に防止する」などと扇動し、受身の対策だけに目を奪い、一億総思考停止状況に追い込もうとしているのです。この行き着く先に何があるか!テロの悲劇の拡大再生産であり、一億積極的平和主義総活躍社会ということになるのではないでしょうか。
今、日本国民にとって必要な視点は、憲法平和主義です。以下の言葉を噛みしめ、これを具体化する政治を作り出すことではないでしょうか。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
この憲法を使うことこそが、テロを防止する最大にして唯一の、最も効果的な、積極的平和主義と言えないでしょうか。
こんなことは「理想主義で、現実を視ていない』などという言葉が返ってきそうです。しかし、日本国民は、先祖自民党政権の下で、憲法を形骸化する政治の中で、この「崇高な理想と目的」を具体かする政治をサボってきたのではないでしょうか。だからこそ、憲法を「宝の持ち腐れ」にしないために、「一歩前に出る!」ということを呼び掛けているのです。