何故北朝鮮が日本攻撃するか!その目的は何か!
北朝鮮が日本を攻撃してどんな「得」があるか!
北朝鮮の脅威を攻撃を吹聴するのであれば
戦争・武力行使・武力による威嚇の目的は何か!
説明すべきだろう!
産経は「戦争目的」を隠ぺいするな!
日本はすでにノドン射程内
怖いのは「ミサイル慣れ」だ
2016.2.20 11:00更新
http://www.sankei.com/politics/news/160220/plt1602200004-n1.html
北朝鮮が「人工衛星」と称する事実上の長距離弾道ミサイル発射を強行した。ミサイルはほぼ予告通りのコースを飛び、「ただのゴミ」(政府筋)とはいえ、何らかの物体を地球の周回軌道に送り込んだというから、北朝鮮にとっては実験は成功したといえるだろう。
愛国者の邪論 上記の表現を視ると、日米軍事同盟の深化論として集団的自衛権行使のための「安全保障制度」を制定すれば、「抑止力」が高まると言い続けてきた安倍政権と安倍首相応援団の産経の混迷、コジツケが浮き彫りになります。「軍事抑止力」論が、あっという間に破たんしたことを自ら暴露してしまったのです。
一方、不測の事態に備える日本政府の対応は抜かりはなかった。発射の兆候を察知して以降、断続的に国家安全保障会議(NSC)を開いて情報を共有・分析し、破壊措置命令を発令して海上自衛隊のイージス艦や航空自衛隊の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を各地に展開した。北朝鮮は発射直前に予告期間を1日前倒ししたが、自衛隊は宮古島へのPAC3配備もギリギリ間に合わせてみせた。
愛国者の邪論 そもそも安倍首相の論理から言えば、「軍事抑止力」論は、「不測の事態」があってはならないはずです。この文章と思考回路は、極めて「受け身」です。「積極的平和主義」とは真逆です。
本来「積極的平和主義」とは、国際紛争を「戦争」「武力行使」「武力による威嚇」ではなく、話し合い=対話と交流=平和的に解決していくという思想であると国民は理解しているはずです。
ところが、安倍政権と産経の主張は、こうした「積極的平和主義」が、「軍事抑止力」論を正当化するための「隠れ蓑」として使われているのです。
本来であれば「積極的平和主義」を掲げる安倍政権にとって「不測の事態に備える」というのであれば、「抜かりなかった」という「日本政府の対応」は、「破壊措置命令」を「発令」するのではなく、また「ギリギリ間に合わせてみせた」というのではないでしょう。
北朝鮮との関係が平和的友好的関係になっていること、そのような関係を構築することこそが「積極的平和主義」というのではないでしょうか。
過去のミサイル発射の際には、日本政府は国民への情報発信でミスが目立った。発射が失敗に終わった平成24年4月には、発射の一報を覚知しながら裏付けに手間取り、すでに海外メディアが発射を伝える中で「発射は未確認」と発表。同年12月のケースでは、一部の自治体で発射を速報する全国瞬時警報システム(Jアラート)が作動しなかった。今回は過去の経験を生かした入念な準備で、粛々とノーミスで乗り切った。こうした一連の経過に既視感を覚えたり、一種の予定調和を感じたりした向きも多いだろう。過去の「人工衛星」発射と似た経過をたどったのだから当然だし、「いつものことか」という反応になるのも無理はない。しかし、その影で、重要なことが忘れられていないだろうか。
愛国者の邪論 「積極的平和主義」ではなく「受け身」の北朝鮮脅威論の「対応」でしかやっていないのですから、国民が「いつものことか」と思うのは当然です。ワンパターンの「対応」をしているのでは安倍政権と情報伝達手段であるマスメディアなのです。「粛々とノーミスで乗り切」ることを通して、ネラッているのは、軍事優先主義の「ミサイル対応システム」「迎撃態勢」構築に向けた税金確保のためのパフォーマンスなのです。
発射が予告された以上、日本政府が警戒態勢を敷くのは当然なのだが、今回の発射実験は日本というより、米国本土を攻撃するための長射程化や信頼性の向上を目的としたものだ。北朝鮮は日本全土を射程に収めるノドンミサイルをすでに200~300基、実戦配備している。今回、北朝鮮がミサイル技術を向上させ、日本への脅威が一層増したことは間違いないが、今回の発射と関わりなく、北朝鮮はとっくに日本をミサイル攻撃できる能力を獲得している。その事実に日本国民はどれだけ自覚的だろうか。北朝鮮が本気でミサイル攻撃を決意したとすれば、「人工衛星」と称してわざわざコースや期間を予告するはずはない。ノドンは車載発射装置から撃つことができる。発射直前まで山林などに隠し、偵察衛星の目を欺いておけば、事前の兆候を察知されないまま、奇襲的に日本を攻撃することもできる。着弾までの時間的猶予は10分前後しかない。迎撃の法的な枠組みも、実は心許ない部分がある。すでに防衛出動が発令された「有事」であればともかく、平時での迎撃を可能にするには、事前に破壊措置命令を発令しておく必要がある。では、命令が発令されていない間に北朝鮮が奇襲的にミサイルを発射し、日本に飛来してきたらどうするのか。
もちろん政府や防衛省・自衛隊は、そうした事情を百も承知で対応にあたっている。今回も、潜水艦発射型の弾道ミサイルや奇襲発射、ミサイル発射以外の挑発など「あらゆる事態を想定して」(政府筋)備えていたという。しかし、そうした危機感が国民の間にどれだけ共有されているか。悪い意味の「ミサイル慣れ」は禁物だろう。(政治部 千葉倫之)(引用ここまで)
愛国者の邪論 全く「妄想」というか、デタラメというか、知的レベルの低さを浮き彫りにした文章と言わなければなりません。このような馬鹿げたことを言って、国民に「恐怖感」を「垂れ流し」「植えつけ」、「軍事抑止力」論を正当化し、軍備増強を謀っているのです。こうした手法=手口は、安倍政権や産経の批判している中国や北朝鮮の軍備拡大と全く同じであると言わなければなりません!
このことを指摘する情報伝達手段であるマスメディアは皆無です。自分の軍備拡大は正しく、中国・北朝鮮は間違っている!という論法は説得力は皆無です。
更に言えば、「北朝鮮が本気でミサイル攻撃を決意したとすれば、『人工衛星』と称してわざわざコースや期間を予告するはずはない」と言い切っていることです。この言葉は、上記で書かれていることを、自ら自己否定していることを示しています!しかし、当の本人は全く気付いていません!笑止千万というか、知的劣化に同情してしまいます。
この言葉は、この間、事前に「予告」してきた北朝鮮の「本気」度が浮き彫りになっているということですから、「ミサイル攻撃を決意」「していなかった」、ということになります。
「破壊措置命令を発令して」「不測の事態に備える日本政府の対応は抜かりはなかった」というが、全くのウソであったことを自ら暴露するものです。
産経の主張のデタラメ・スリカエ・ゴマカシ・大ウソが浮き彫りになります!トリックです。
同時に「北朝鮮が本気でミサイル攻撃を決意」し「奇襲的に日本を攻撃する」。そもそもの「目的」は何か!です。戦争をするわけですから、戦争「目的」がなければならないことは常識中の常識です。
あの侵略戦争だった大日本帝国においても「戦争目的」はありました。それは、「戦争目的」を明らかにしなければ、国際社会も国民も説得できないからです。戦争をする場合は、人間の命を奪うことになります。武器を買うための税金が必要になります。軍需物資を運搬するために人間も物資も「動員」しなければなりません!
北朝鮮が日本を本気で攻撃するという「仮定」=「妄想」の場合、そのような「想定」はどうでしょうか?産経の主張というか、安倍政権の主張には、このことは、一貫して不問です。
あるのは、「北朝鮮は恐ろしい」「何をするか判らない」式の「恐怖感」だけなのです。これでは子どもの「戦争ごっこ」話と言わなければなりません。
北朝鮮政府にしてみれば、自らの政権の正当性を国際社会と国内に認知させ、政権を維持することが最大の課題です。それは安倍政権にしても同じです。
そのことを踏まえれば、北朝鮮の金政権が自ら政権を失うような「ミサイル攻撃」を「本気」でするでしょうか!?そもそも「ミサイル」だけで「戦争目的」は達成できるでしょうか?
それとも、そんなことはないと産経は考えているのでしょうか?全くのデタラメと言わなければなりません。国民を欺く「妄想」「トリック」と言わなければなりません。
更に問題なのは、戦争目的もハッキリしない北朝鮮が戦争を本気で仕掛けてくることが事実とするのであれば、そのような行為を起こさせないための外交努力がなさればならないはずです。しかし、このことも、一貫して不問です。安倍外交の無能無策無責任が浮き彫りになるだけです。しかし、このような指摘は情報伝達手段であるマスメディアも、一貫してスルーです。政党も然り!
ここに、安倍政権の改憲の既成事実化を容認させてしまっている現代日本の思潮が浮き彫りになります。これが国民に展望を指し示していない!混迷のみを与えている事実と憲法を活かす外交政策の想像力と創造力の欠落ぶりが浮き彫りになるのです!
北朝鮮の目的は、アメリカと対等平等の関係を構築し、敵視政策を止めさせること、朝鮮半島の終戦を実現し平和条約を締結することです。
この目的のための手段としてあれこれの軍事行動を「抑止力向上」として行っているのです。
しかし、ここに一致点があります。朝鮮半島の「非核化」です。非軍事の朝鮮半島を構築することです。そのためには、日米中韓露がどのような「事態」を構築するのか!そこにかかっているのです。日本で言えば、日「米軍事同盟」と「核の傘」からの脱却と日本国憲法の完全実施です。
相撲で言えば、両者は土俵の上で、ふんどしだけで相対し、起ち合うということです。
これを政治の世界に当てはめることです。