清原容疑者の我儘を醸成させた糾弾と
安倍首相の身勝手を醸成させたものが重なる!
広岡達朗「清原転落の原因は入団以来の現役時代にある」
(PRESIDENT Online ) 2016年3月20日(日)配信
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/po-20160320-17642/1.htm
2016年2月、清原和博が覚せい剤所持で逮捕された。彼は巨人に入団した桑田真澄投手とともにPL学園のスーパースターで、プロ野球でも西武黄金時代を支えた名選手だ。セパ両リーグで日本一に輝き、指導者としての手腕が高く評価された広岡達朗氏が「清原覚せい剤問題」を語る。広岡氏の著書『巨人への遺言』(幻冬舎)から抜粋する。■清原を責めるだけでいいか
2015年11月の野球賭博事件で激震が走ったプロ野球界が、今度は清原和博の逮捕で衝撃を受けた。2016年2月2日の逮捕容疑は覚せい剤所持(2月23日、使用で再逮捕)ので、スプリングキャンプを始めたばかりの監督や選手たちは「寂しい」「残念だ」と驚いたが、野球界は元スーパースターの転落を他人事のように眺めるだけでいいのか。
清原転落の深層は、入団以来の現役時代にあると、私は思う。
清原がドラフト1位で西武ライオンズに入団したのは1985年(昭和60年)秋。私が西武の監督を辞めた直後だから、文字通りの入れ替わりだった。
あらためていうまでもなく、彼は巨人に入った桑田真澄投手とともにPL学園スーパースターだった。甲子園大会に5季連続で出場し、優勝2回、通算13本のホームランを打った。
西武でのプロ野球生活もデビュー戦の初ホームランで始まり、1年目から4番に座って打率.304、ホームラン31本を放って新人王になった。
西武の関係者によると、高校を卒業したばかりの清原の部屋は試合でもらった賞品で埋まり、訪ねてきた親がゴミ屋敷、いや賞品屋敷状態に驚いたという。
未成年のスターの鼻が天狗になるのに時間はかからなかった。清原の扱いにてこずり、将来を心配したコーチたちが森祇晶監督に「一度、社会常識などを厳しく教え込むべきではないか」と進言したが、森をこれを無視して放任したという。
それでも清原は、グラウンドでは主砲として活躍を続けた。11年間、ほとんどフル出場し、毎年20本台から30本台のホームランを打ち、西武黄金時代の8回のリーグ優勝と6回の日本一に貢献した。
この間、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞5回も獲得した。新人王以外のタイトルがなく、無冠の帝王といわれたのが不思議なくらいだ。
■お金の価値を忘れ、社会常識を忘れた清原
一方、人気と年俸はうなぎ上りを続け、西武時代の推定年俸は最高2億5000万円。
超高級外車を乗り回した高級クラブに通うセレブスターは、お金の価値を忘れ、社会常識を忘れた。
私がよくいうように、監督は若い選手を実家の親から預かっている。野球の技術を教えるだけでなく、社会人としてりっぱに育てる責任がある。賞品の山に埋まって奔放に暮らす清原をなぜ、監督は教育・指導しなかったのか。人気と金におぼれる清原を甘やかしたオーナー以下フロント、現場首脳陣の責任は重い。
人気と大金を武器にチームの番長になった清原は1996年(平成8年)オフ、憧れの巨人にFA移籍する。1年目の年俸が、西武最終年の2億4000万円から3億6000万円に跳ね上がったのを見ると、いったんは阪神入りに傾いていた清原を、巨人が資金力でゲットしたことが分かる。
しかし、西武の看板スターで29歳になった清原を巨人首脳陣がコントロールするのは大変だったろう。清原をもてあましたコーチ陣は長嶋茂雄監督に「一時、2軍に落とすなどして、巨人軍の野球をしっかり教え込んだ方がいいのではないか」と提案したが、監督は「三顧の礼を尽くして来ていただいた大変な選手に、そんなことはできません」と拒否したという。
確かに、大金を投じて獲得したスター選手を戦列からはずすのは難しいかもしれない。だが2軍に落とすかどうかはともかく、巨人ナインに与える番長・清原の影響を考えると、早いうちにしっかり巨人の野球と常識を教え込む必要があった。
結局、清原は巨人で9年間プレーしたが、この間、薬(筋肉増強剤)や筋トレでサイボーグのような体に変身し、最後の2年間は出場試合数が激減。打率も2割2分台に落ちて2005年(平成17年)オフ、自由契約でオリックスに移った。
西武や巨人の監督・首脳陣がまっとうな指導と教育をしていたら、清原もいま、こんなことにはならなかったかもしれない。
■不祥事続きのプロ野球界は本気の再発防止策を打ち出せ
清原の覚せい剤疑惑が最初に表面化したのは、2014年(平成26年)3月の週刊文春による報道だった。警視庁が清原の内偵を始めたのはそのころだという。捜査を担当したのは、歌手のASKAなど芸能人や有名人の麻薬事件を捜査する特命班だった。
ここで私がいいたいのは、週刊誌が報道し、捜査当局が動き出したのに、野球界は何をしていたのか、ということだ。
高級官僚が歴代就任するコミッショナーにその気と危機意識があれば、警視庁を通じて報道の信憑性や捜査の進展ぐあいをさぐることもできたはずだ。
そして、この事件の球界への波及や、現役選手に覚せい剤疑惑がないかどうかを調べたか、ということだ。
清原の逮捕後、熊崎勝彦コミッショナーは「元選手とはいえ、野球はとくに青少年の憧れのスポーツの一つ。現役を去ってからも、模範であり続けなければならない。有害行為の禁止、反社会勢力の遮断、薬物の拒絶等、一層施策を強力に推し進めるほかない」とのコメントを発表した。
米大リーグ初代コミッショナー・ランディスは、1919年のワールドシリーズでホワイトソックスの選手8人が八百長を働いたとされるブラックソックス事件の時、選手たちが裁判で無罪になったにもかかわらず永久追放した。
選手たちは大陪審で八百長の事実を認め、情状酌量で無罪判決を受けたが、判事出身のコミッショナーは「大陪審の評決に関係なく、八百長に関与した選手や八百長を知りながら報告を怠った選手はプロ野球でプレーすることは許されない」という断固とした声明を出している。
日本のコミッショナーも、不祥事続きのプロ野球界に本気の再発防止策を打ち出し、コミッショナーの権威と指導力を示すべきだ。
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広岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年(昭和7年)、広島県呉市生まれ。早稲田大学教育学部卒。
学生野球全盛時代に早大の名ショートとして活躍。1954年(昭和29年)、巨人に入団、1年目から正遊撃手を務め、打率.314で新人王とベストナインに輝いた。引退後は評論家活動をへて広島とヤクルトでコーチ。監督としてはヤクルトと西武で日本シリーズに優勝し、セ・パ両リーグで日本一を達成。指導者としての手腕が高く評価された。1992年(平成4年)に野球殿堂入り。
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元西武ライオンズ監督 広岡達朗 写真=時事通信フォト(引用ここまで)
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