細川非自民反共政権・民主党政権崩壊の教訓を
今こそ活かす政権づくりを!
憲法形骸化の自民党型政治よ、さようなら!
新しい連立政権の中心に
国民を据える政権づくりこそ
国民生活もアジアの平和も構築できる!
安倍自民党は選挙で決して「一強」ではない
衆議院北海道5区補欠選挙が「自民、公明、日本のこころ、新党大地」vs.「民進、共産、社民、生活」の対決構図になったことから、夏の参院選の帰趨を占う選挙としてメディアの注目を浴びた。
結果は「弔い選挙」に持ち込んだ与党が辛くも逃げ切る一方、野党は共闘の手ごたえを感じることができたようだ。ただこの結果だけから衆参ダブル選になるかもしれない夏の選挙の帰趨を論ずることはできない。むしろ昨今の選挙と政治の構図を改めて考えてみる必要がある。(政治ジャーナリスト・田中良紹)
得票数は減らし続けている自民党
与野党の現状を「一強多弱」と表現するようになって久しいが、それは国会での議席数のことで、選挙で安倍自民党が「一強」というわけではない。
自民党は公明党の選挙協力がなければ政権を維持できなくなってからの方がさらに久しい。
愛国者の邪論 細川非自民・反共政権以来、日本の「連合政権」が当たり前になっています。政策の「一致」が行われてきました。「妥協」が行われてきたのです。これには「国民の要求」実現が土台にあります。しかし、問題は、その「妥協」の『中身』です。それは現在の国民の実態を視れば一目瞭然です。
1999年に自公連立がスタートしてから、公明党は小選挙区に候補者を立てることを控え、公明党支持者が自民党候補に投票する代わり、比例区は自民党支持者が公明党候補に投票する方式が取られてきた。これが300小選挙区で威力を発揮する。
公明党支持者の基礎票は各選挙区に「平均2万7000票」あるといわれ、それが自民党候補の票に上積みされるから自民党は俄然有利になる。その見返りに公明党は与党として政策実現に関与してきた。
野党として与党を批判し、自らの議席を増やして権力を奪い、政策を実現する道を公明党はあきらめ、小政党で居続けながら「政策実現に関与する」ことを優先したのである。これは一つの見識である。ただ問題は自民党と公明党の政策には違いがあり、特に安倍自民党とは水と油であることだ。
公明党の党是は「福祉」と「平和」で、支持母体の創価学会は戦前「神道は邪教」と宣言して天皇制国家から弾圧を受けた団体である。安倍首相の「歴史認識」とは大いに異なる思想を持つ。それが安倍自民党と選挙協力し、その政策遂行を助けているのである。
愛国者の邪論 「見識」とは何か!公明党と創価学会の、いわゆる憲法違反の「政教一致」をゴマカシ・スリカエるための「方便」として「妥協」を選択したのです。
自民党にしてみれば、政権から野に下った細川政権以後、社会党とさきがけとの連立政権を組むことで、政権に復帰しましたが、それを維持するために、「合従連衡」を策し、その行き着く先が、いったんは解党した公明党との連立に到着したのです。それは「創価学会員」の「一票」が欲しかったからです。
ここに、ギブアンドテイクが成立し、以後連立政権が続いたのです。民主党政権で、いったんは「休止」しますが。
第二次安倍政権を誕生させた2012年総選挙で、自民党は小選挙区で237議席と全体の8割を獲得したが、比例区は57議席で全体の3割しか獲得していない。小選挙区は「大勝」だが比例区は「大敗」である。ここに自公選挙協力の実態が表れている。
この総選挙で小選挙区に当選した自民党議員の票数から公明党の基礎票を引くと77人が落選となり、安倍自民党の議席数は過半数を割るというデータがある。公明党が協力しなければ自民党は権力の座にいられないのである。しかも自民党は政権を民主党に明け渡した2009年総選挙より、政権を獲得してからの選挙は得票数がすべて下回り、かつ減少の一途をたどっている。
愛国者の邪論 この事実が、その後の公明党の「強気」を創りだすことになりました。しかし、実際は政権の「おこぼれ」をいただくことで、「創価学会員」の「要求」を実現することで、政権の「うまみ」をばら撒くことで、政権の座に居座ることに成功しているのです。
悪政に対しては「歯止め」になったと言うことを吹聴することで、国民生活破壊、社会保障制度の破壊に加担してきたことを正当化してきた。現在問題になっている介護保険制度・労働法制改悪などは、その典型です。
17年間磨いてきた「政治テクニック」
自公の政策は水と油である。水と油の政策を一つにして選挙協力をするには自公の間で妥協が必要になる。それはそれぞれの党の支持者にとって不満である。従って支持者を説得するごまかしが必要となる。安保法制で安倍首相が「平和」という言葉を多用し、「限定的」を強調して改憲アレルギーに配慮したのは、そのためのテクニックである。
そのテクニックを自公両党は17年にわたって磨いてきた。まさに熟練の領域に到達したとみることができる。妥協は民主主義の基本である。理想を追求する政治は全体主義と独裁政治を生み出すが、不満を持ちながらも妥協して一致点を見出すところに民主主義政治の本質はある。そのためには政治テクニックが必要になる。
愛国者の邪論 ここにゴマカシの典型があります。国民の実態をスルーしているのです。日々繰り返されている国民の犯罪事件。介護難民、子どもの貧困と学校における暴力、介護疲れによる殺人と自殺などなど、これらの悲劇が日々報道されている諸事実には、「民主主義は妥協」論にあるからです。「妥協」の「中身」をスルーした「妥協」論こそ、「政治の劣化」と「政治不信」「投票忌避」を創りだしてきました。「自公」の「妥協」は、実は、国会における「強行可決」の温床だったらかです。
その「妥協」による「強さ」に対抗するということを正当化して「政界再編」が繰り返されてきたことも指摘しておかなければなりません。これが「第三極」ブームを創りだし、それが、「政治不信」へと転化していったことは、「みんなの党」「橋下維新」を視れば明らかです。
政治は権力を獲得しなければ何もできず、また政治は「論理でなくアート(技術)の世界」と言われるが、旧民主党にはこれまでそうした技術を磨く思考がなかった。ひたすら政府与党を批判し、理想を追求して国民の支持を得、政権を倒すことしか考えてこなかった。そして“風”が吹くのをひたすら待っていた。
それが一時の国民的熱狂によって権力を獲得する。しかし何の政治技術も身に着けていない旧民主党は唯一、政治技術に長けていた小沢一郎氏と対立し、党を分裂させた。あまりの未熟さを見て国民の熱狂は嫌悪に変わる。それが、その後の選挙で戦後最低の投票率と得票数を減らしているのに自民党を圧勝させるという選挙結果をもたらした。つまり安倍自民党の生命維持装置は公明党の選挙協力と、政治技術を持たない旧民主党への嫌悪感にある。
愛国者の邪論 「風」「国民的熱狂」は、誰が創りだしたものか!また何のためか!全くスルーしています。最大の要因は、90年代後半、新進党の分裂によって、政権の受け皿を失った政界に、820万もの支持を獲得し登場してきた共産党の大躍進です。新進党に代わって民主党を育てることが必要でした。このことは民主党を結党した鳩山氏が「共産党を抑える」ためにと、明け透けに語ったことを視れば事足ります。
これが小渕・森政権の不信をスリカエ・ゴマカシ、大ウソを大芝居をうつことと機を一にすることになるです。「自民党をぶっ潰す」として小泉政権を誕生させる最大の要因だったのです。2000年総選挙の時の共産党に対する異様なネガティブキャンペーンを視れば一目瞭然です。
その後、民主党と自民党が「新自由主義」政策でデッドヒートを繰り返す。その化けの皮が剥がれてきたとき、、大型開発に税金を湯水のように使ってきた弊害が顕在化してきた中で共産党の政策を取り込んだ小沢氏が登場して、小泉政権誕生とは別の視点からの民主党への「風」「国民的熱狂」を創出したのです。いわゆる「コンクリートから人間へ」論です。これが「理想」と言ってしまうところに、論者の問題点が浮き彫りになります。
しかし、民主党政権は、「国民的熱狂」を政権担当と政権維持に使いませんでした。「霞が関」と「永田町」政治に終始したのです。ここに民主党政権の自民党政治への先祖返りと公約裏切り、「国民とともに」論に立てない最大の欠点が浮き彫りになるのです。これらが、「民主主義=妥協」論ということで説明できるとすれば、それなりに意味はあります。自公政権と本質的に変わらないという点で、まさに「妥協政治」が浮き彫りになるからです。問題は、国民が民主党を支持したのは何故か!その点をスルーして「永田町・霞が関ムラ」の論理の「妥協」論で民主党政権が政権を担当したのです。
だから、その後の政治において、国民は投票忌避をしているのです。忌避されているのは「民主主義=妥協」政治なのです。
野党の選挙協力の今後は?
ところが昨年の安保法制強行採決は、国民の中に分断と対立を生じさせ、幅広い階層の国民が安倍政権の政治手法に「NO」の声を上げた。「一強」の暴走を食い止めるのに何が必要か。それがいま問われている。
答えははっきりしている。水と油の自公選挙協力と同じことを野党も行い、さらに旧民主党に対する嫌悪感を拭い去ることである。すると日本共産党が英断をもって選挙協力に乗り出した。公明党の役割を共産党が果たすようになれば、まさに自公の選挙協力の効果を野党も手にすることができる。
愛国者の邪論 この視点は愛国者の邪論も指摘してきたことです。憲法改悪の自民党と活憲の公明党が連立政権を維持しているのです。安保条約の違い、大企業に対する違い、憲法に対する違いなどなど、自民党が攻撃している民進党と共産党の違いなど、全く問題にはなりません。自民党が、民進党と共産党を攻撃すればするほど、先に述べた自公の「妥協」の問題点が浮き彫りになるだけです。
最初のケースが衆院北海道5区の補欠選挙であった。結果は手ごたえを感じる程度に終わったが、問題はこれからである。自公は選挙協力のうまみを17年にわたって知り尽くしているだけに内心の脅威は相当なものだ。それだけに分断工作に全力を挙げるはずである。それに打ち勝つ政治技術を野党側が持てるかどうかが第一である。
政府与党は反共宣伝と民進党の切り崩しに全力を挙げるだろう。しかしそれは所詮、水と油の勢力がその内実をテクニックで覆い隠しながら行う攻撃である。これに対抗するには熟練の政治技術を持つ人材を糾合することである。旧民主党時代の執行部の未熟さはいやというほど見せつけられたので、そうした人たちにはお引き取りいただき、熟達した知恵者にシナリオを委ねることである。
折から安倍首相周辺の描いてきた衆参ダブル選のシナリオが再構築を迫られる情勢になった。こちらはあとひと月足らずでシナリオを書き直さなければならないが、野党側は慌てることはない。二段構え三段構えのシナリオを作成し、あの一時的な熱狂で政権交代を果たし、それ故に熱狂が嫌悪に変わった二の舞を踏まないようにすることは可能である。
何よりもこの17年間の自公選挙協力のカラクリを止めるだけでも野党の選挙協力の意味はある。その時に政策的違いや思想的違いなど大した問題でないことは、自公がすでに教えてくれている。これからは政治技術をどれだけ磨くかの勝負になる。そしてそのことは政権交代に慣れていない国民にも、民主主義とは妥協であり、論理ではなくアート(技術)の世界であることを教えることになる。その時代が到来したのである。
愛国者の邪論 「政治技術」の最大のキーポイントは、政策の一致点と不一致点を国民に明らかにして、国民目線で、国民の要求を実現していくためには、どうすれば良いのか、国民とともに議論し、実現のための運動を組織することです。これこそが、民主党がやってこなかったことです。
幸い、この運動は安倍政権のお陰で、この間、戦後の歴史の中で経験してきたことがないほど発展してきています。政党が、ここに依拠することです。
前回の民主党政権が攻撃されて、ぐうの音も出なかったことを教訓にするのです。基本は国民の要求と運動です。これこそが政治の劣化から脱却していく唯一の途です。
政党間の「妥協」ではなく、国民の間における要求実現のための「最大公約数」を、どこに置くのか!その議論を国民とともに、国民の前で行うのです。
このことでこそ、自由民主党と公明党の支持者をも参加する政治、無党派の国民とともに政治を実現していくことができる!ここに、新しい政治が始まるのです。その点でこそ、「民主主義=妥協」論は生きてくるのです。
その際におけるルール=錦の御旗は日本国憲法です。
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■田中良紹(たなか・よしつぐ) ジャーナリスト。TBSでドキュメンタリー・ディレクターや放送記者を務め、ロッキード事件、日米摩擦、自民党などを取材する。1990年に米国の政治専門 チャンネルC-SPANの配給権を取得してTBSを退職、(株)シー・ネットを設立する。米国議会情報を基にテレビ番組を制作する一方、日本の国会に委員会審議の映像公開を提案、98年からCSで「国会テレビ」を放送する。現在は「田中塾」で政治の読み方を講義。またブログ「国会探検」や「フーテン老人世直し録」をヤフーに執筆中(引用ここまで)