愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

共産党は総選挙の後退=敗北に真正面から向き合った総括ができるか?!「党旗びらき」の志位発言に大喝を!

2013-01-10 | 日記

共産党の志位委員長が「党旗びらき」の挨拶の中で、総選挙の「敗退」の総括の部分に対して被災地の経験を以下のように述べたことに対して、「そうかなぁ~!」と思いましたので、いろいろ調べてみました。

 その結果、「これじゃ、いいとこ取りで、臭いものには蓋をしてるんじゃないか!?」「ホントの総括はできるのか?」「これじゃ、また同じことになるぞ!」と思いましたので、大喝を入れることにしました。

 以下、具体的に指摘してみたいと思います。まず、問題発言の部分について、です。

 2013年党旗びらき 志位委員長のあいさつ 参院選勝利へ“三つの国民的役割”発揮を2013年1月5日(土)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-05/2013010504_01_0.html

 東北ブロックの勝利から深い教訓を引き出し、全国のたたかいに生かしたい

 とりわけ、東北ブロックで、比例票を参院比例票の約1・2倍に増やして議席を守り抜いたことは、被災地復興の今後を考えても、きわめて重要な勝利であり、支援にとりくんだ全国のみなさんの喜びともなっています。この勝利は、何よりも、自ら被災しながら、被災者の苦しみに心を寄せ、一緒に運動にとりくみ政治を動かしてきた、被災地の党組織の奮闘が、住民の方々の信頼を得た結果であります。同時に、この勝利は、「国民の苦難の軽減のために献身する」という立党の精神にたち、国民に溶け込み結びつき、その利益のために奮闘するならば、全国どこでも前進が可能だということを示していると思います。そういう立場にたって、東北のたたかいから深い教訓を引き出し、全国のたたかいに生かしたいと考えています。(引用ここまで)

 全くそのとおりのことを述べています。しかし、ちょっと待ってください!

 この発言には、かなりのゴマカシがあるように思います。まず事実をみてみましょう。

共産党の東北6県の獲得票の推移を一覧してみました。

 東北ブロック内の共産党の獲得票の推移分析

 

青森

秋田

岩手

宮城

山形

福島

合計

92参

32,564

36,068

35,810

51,352

28,891

51,340

236,025

7.07

6.75

6.25

6.80

5.26

5.94

6.35

95参

32,493

31,846

36,237

51,154

31,126

52,693

235,549

6.51

6.28

6.48

7.67

5.83

6.76

6.59

96

60,362

59,643

58,175

113,840

57,219

93,551

442,790

8.72

9.95

8.26

11.76

8.86

9.23

9.58

98参

74,596

64,650

69,453

113,346

57,148

120,808

500,001

10.63

11.03

10.22

12.04

9.41

11.80

10.86

00

50,036

50,979

51,235

97,848

49,488

91,469

391,055

7.46

8.06

7.06

9.32

7.51

8.35

8.09

01参

34,036

33,588

37,928

64,305

30,637

62,440

262,928

6.05

6.15

5.46

6.54

5.27

6.52

6.08

03

45,361

43,382

44,954

71,809

35,900

71,879

313,290

6.98

7.17

6.21

6.73

5.51

6.72

6.57

04参

33,472

38,874

38,951

67,552

30,612

67,648

277,113

5.51

6.58

5.80

6.90

5.31

7.01

6.31

05

51,030

38,442

47,392

80,300

35,912

72,100

325,176

6.92

5.97

6.18

6.72

5.14

6.21

6.25

07参

33,067

38,706

37,859

68,263

32,517

58,298

268,710

5.41

6.38

5.60

6.65

5.16

5.95

5.86

09

48,912

37,108

47,647

76,138

36,973

68,423

315,201

6.34

5.63

6.07

6.06

5.25

5.82

5.89

10参

28,748

25,679

36,262

49,178

24,064

49,909

213,840

4.75

4.42

5.67

4.99

4.05

5.11

4.83

12

38,086

26,694

40,896

63,608

28,219

59,335

256,838

6.3

4.7

6.3

6.2

4.7

6.4

5.9

 この一覧表で判ることは以下のことです。

1.「比例票を参院比例票の約1・2倍に増やして議席を守り抜いた」。実際に増やした数は、42,998票。

2.しかし、前回総選挙からみると、289,563票も減らしている。

3.09年の前回総選挙と10年参議院選挙を比べると、101,361票も減らしている。

4.東北ブロックにおいて、過去の最高獲得票は98年参議院選挙の時、500,001票、この水準からみると、243,163票も減らしている。

5.東北ブロックにおいて、過去の総選挙の最高獲得票は96年。442,790票。これから見ると、185,952票も減らしている。

6.2012年現在の獲得票の水準は90年代初期の水準と言える。

 

志位委員長は、「東北ブロックで、比例票を参院比例票の約1・2倍に増やして議席を守り抜いた」ことの意味について、以下のように述べています。

(1)被災地復興の今後を考えても、きわめて重要な勝利であり、

(2)支援にとりくんだ全国のみなさんの喜びともなっています。

(3)この勝利は、何よりも、自ら被災しながら、被災者の苦しみに心を寄せ、一緒に運動にとりくみ政治を動かしてきた、被災地の党組織の奮闘が、住民の方々の信頼を得た結果であります。(4)同時に、この勝利は、「国民の苦難の軽減のために献身する」という立党の精神にたち、国民に溶け込み結びつき、その利益のために奮闘するならば、全国どこでも前進が可能だということを示している。

(5)そういう立場にたって、東北のたたかいから深い教訓を引き出し、全国のたたかいに生かしたい

 この発言の方向性は間違ってはいないと思いますが、議席は確保したものの、獲得票をみると、厳しい自己検討が必要ではないでしょうか?手放しでの評価をしている場合ではありません!その理由は、

 1.10年参議院の獲得票を「ものさし」にしていることです。ま、これについては、選挙前の懐疑で決まったことのようですから、仕方ないと言えば、それまでです。

 それにしても一番水準の低い獲得票を「出発点」として、「ものさし」にすることで、目標値のハードルが低くなってしまっています。このことの意味は重大です。

 2.本来であるならば、今回の総選挙における目標である650万票に見合う東北ブロック目標に対して、どのような活動をしてきたのか、その結果として獲得票の256,838が到達点です。したがって、ここから「総括」を始めるべきです。これでは、この650万目標は「お題目」に過ぎないものと言われても仕方ありません。

 3.しかも、今回の議席獲得は、前回の議席獲得票315,201から大きく後退して獲得した票の結果でした。前回の議席獲得に向けた活動と今回の議席獲得に向けた活動をリアルに分析する「総括」が必要です。

 4.総選挙は、参議院選挙と違って政権を決める選挙という性格があります。このことからみるならば、また高橋議員の議席を再度獲得するという見地から見れば、民主党に政権が交代した09年選挙の際の31万5,201票が今回25万6,838票に大きく減ったのです。得票率は、5,89%が5.9%ですから、投票率が大幅に下がった今回の議席獲得は、まさに薄氷を踏む思いだったように思います。手放しで喜ぶような水準でないことは明らかです。

 5.しかも民主党への政権交代の嵐が吹いた09年総選挙、その民主党の公約違反にかげりが見えはじめ、また公約になかった消費税増税を突如打ち出した菅政権に対する批判の選挙の中で、共産党は、民主党批判の受け皿になるのではなく、政権交代総選挙で獲得した31万5,201票を回復するどころか、10年参議院選挙では21万3,840票へ、10万1,361人も減らしたのでした。

 今回の総選挙では、その時の獲得票を上回るどころか、震災後の活動があっても、大きく減らしていることの意味を直視する必要がありますが、志位委員長の発言には、こうした視点はありません。

 6.こうした事実を無視して、今回獲得した25万6,838票は、2011年3月11日を境にして共産党が取り組んできた「被災地の党組織の奮闘」と「支援にとりくんだ全国のみなさん」のボランティアが、「住民の方々の信頼を得た結果」であると述べていることです。

 確かに、この指摘は間違ってはいないとは思います。しかし、「奮闘」の結果にしては、09年総選挙を大幅に下回ったのは何故でしょうか?そこにメスを入れなければ、共産党の活動の弱点、欠点から目を背けるということになりませんか?

 それにしても、志位委員長の言葉をもって「教訓」とするのであれば、今回の総選挙の政策と選挙活動における、また日常活動に係る共産党の活動の問題点を明らかにするという点から見ると、どうも問題がありすぎではないでしょうか?その理由は、以下のとおりです。

 (1)まず6県とも、被災前の獲得票を越えることができなかったことはどう「総括」するのか、です。

 (2)被災前の総選挙の際に共産党に投じた31万5,201の方々は、参議院選挙では被災後の共産党の活動に共感して一票を投じた結果が25万6,838で、5万8,363票も減らしていることは明らかですが、その点における深い分析、「総括」が必要でしょう。

 (3)別の視点から言えば、あれだけの支援活動をして、この結果ということもできるのではないでしょうか?参議院選挙で「逃げた10万1,361人」の方々が、東北6県で言えば、数字の上から見ると、4万2,998人しか、戻ってきていないのです。

 (4)さらに言えば、いっせい地方選挙で躍進した際に獲得した票と比較してどうだったか、このことも参考になるはずですが、志位委員長の挨拶を見る限りでは、触れていません。

 以上、共産党の「党旗びらき」において、志位委員長から、今後開かれるであろう中央委員会総会における総選挙総括の「視点」が述べられていましたので、この視点で「総括」がなされると、今後の共産党の活動は「展望がないな」と言わざるを得ない問題点を含んでいると思いましたので、愛国者の邪論なりに考えたことを述べてみました。

 その理由について、再度、別の視点から述べてみますと、

 1.今回の総選挙の議席の「敗退」の真の原因に対する追及が極めて曖昧であること、

 2.その曖昧さは中央の政治的・思想的・組織的弱点というか、欠点が浮き彫りになったこと、

 (1)政治的とは、自民はダメ、民主もダメ、「であるならば、共産党こそ」というアピールが弱かったことの真の原因についての自己検討が極めて弱いこと、

 (2)思想的とは、全小選挙区立候補は比例代表票の掘り起こしであり、一点共闘の発展にもかかわらず、暫定連合政権構想、よりまし政権構想を打ち出さなかったことは綱領的展望から見て問題があったこと、

 (3)組織的とは、一年半前から全党に提起して「大運動」を展開(この「大運動」も選挙の前後に毎回のように提起され、年中行事化され、マンネリ化しているように思います)してきたにもかかわらず、拡大が思うように好転していない真の原因を全党的に検討できない共産党の体質、問題を組織的に明らかにできない官僚主義的体質が浮き彫りになったこと、

 (4)増やしても減らしている現状の真の原因について、明らかにしていないこと、むしろ「党員のガンバリが足りない」という視点にたって、党員を叱咤激励していること、これは成果主義と精神主義を醸成していること、このことは選挙後も共産党の活動欄や本部の「訴え」などを見ると、ハッキリしています!

 3.共産党の場合、全小選挙区に立候補することの理由は、比例代表票を掘り起こすためであったように思います。はじめから小選挙区における議席獲得は想定外です。ここにも大きな見当違いがあるように思います。

 しかし、実際に有権者目線は違っていました。小選挙区における獲得票は4,700,289票、比例代表の獲得票3,689,159を1,010,530票も上回っていました。このことは選挙戦略・戦術ミスではないのか、です。

 東北ブロックにおいても、比例代表では256,838票に対して、小選挙区では288,348票です。

因みに両方を一覧してみますと、

 

 

青森

秋田

岩手

宮城

山形

福島

合計

比例代表

38,086

26,694

40,896

63,608

28,219

59,335

256,838

小選挙区

41,087

24,206

45,639

70,205

33,426

73,785

288,348

 小選挙区候補に投じられた有権者のエネルギー=共産党への期待を結集できなかったのは何故か、その真の原因を、志位委員長の発言から読み取ることはできません。

 因みに、東北ブロックにおける小選挙区の票について、この間の経過を一覧しておきます。

東北ブロックの議席数は25議席、09年以外は全選挙区に立候補しました。

 

青森

秋田

岩手

宮城

山形

福島

合計

96衆

47,935

65,091

48,980

97,313

49,281

71,982

380,583

6.59

10.37

6.60

9.77

7.30

6.81

7.89

00衆

47,613

47,345

44,219

107,884

49,242

78,252

374,555

6.73

7.11

5.77

10.09

7.11

6.81

7.42

03衆

36,423

41,827

40,670

65,491

27,185

59,832

271,428

5.45

6.65

5.42

6.04

4.03

5.42

5,50

05衆

30,445

20,940

34,895

77,261

31,193

62,772

257,506

4.00

3.15

4.43

6.41

4.38

5.34

4.62

 

09衆

7,976

(1)

15,830

(1)

20,475

(2)

26,428

(2)

19,810

(2)

15,879

(2)

106,398

(10/25)

1.02

2.36

2.55

2.10

2.78

1.34

2.02

12衆

41,087

24,206

45,639

70,205

33,426

73,785

288,348

6.8

4.3

6.9

6.8

5.5

7.9

6.6

 4.このことに係わって、全小選挙区で立候補するということは、自民や民主がそうであるように、「政権を取る」ためのものでなければなりません。しかし共産党の場合は違っています。こうした姿勢・戦略が、比例代表票の伸張に、小選挙区候補のたたかい方に貢献しているかどうか、有権者目線から再検討をする必要があるでしょう。そのことは以下の点から証明できます。

 (1)「投票用紙は2枚あります。比例代表は共産党とお書きください」というコピーに象徴されているように、比例代表優先で、小選挙区への投票依頼、小選挙区地域における要求実現のための政策と運動はどうだったかを見れば明瞭です。赤旗の活動欄も、比例代表への訴え選挙中心です。テレビの政見放送においては小選挙区候補の政見は酷いものです。

 (2)さらに言えば、日常的に小選挙区候補者の選挙区内の要求実現運動はどうだったか、こうした視点に沿った「総括」が必要でしょう。

 5.全小選挙区で立候補し、議席を争うためには、日常的にどんな活動が「選挙準備」活動として求められてくるか、「俄か立候補」ではなく、その選挙区にへばりついて住民要求実現の先頭にたった活動です。こうした視点での「総括」は望めそうにありません。

 ま、小選挙区制が廃止されれば、違った展開になるかもしれませんが、不当にも比例代表を減らすと言っています。これが現実のものとなれば、壊滅的打撃を受けるでしょう。これは国民にとっても、日本の民主主義にとっても不幸です。

 それにしても、現在の共産党の「自力」構築型中心の活動では永遠に民主連合政府は???

どうでしょうか?

 以上、「赤旗」に掲載された志位委員長発言の前半部分についてのみ、愛国者の邪論の考え方を述べてみました。また、このような問題のある「総括」の「視点」から導き出される「日本共産党が果たすべき三つの国民的役割――意気高く新たなたたかいを」の部分については、別項にまとめてみます。長くなりましたので・・・・。


米軍基地撤去こそ「負担軽減」「沖縄振興」なのにムチとヒモ付きの血税投入で更なる負担おしつけ安倍政権!

2013-01-09 | 日記

沖縄県知事と安倍首相が官邸で会談したことが報道されています。「やっぱりな」でした。この件については、昨年、記事にしました。 

アメを与えて仕打ちのムチ、争点づらし「基地撤去より生活」と煽り、自立を阻んだ意味を考える2012-05-22 19:05:47

 

ところで戦後自民党政権がやってきたことは「沖縄棄民」論そのものでした。

明治期は「蛍の光窓の雪」で歌われているように「八州の護り」論でした。戦争末期の沖縄戦では国体護持のための「捨石」論でした。戦後は対ソ・対中戦略の「防波堤」論であり、天皇の「生け贄」論は、その集大成でした。その後ベトナム戦争期には「要石」論となり、現在は、対中の「つい立」論が横行しているようです。

以上のような「沖縄棄民」論に対して、非軍事・非暴力の歴史的伝統を生かした沖縄のハブ化を対峙していくときがやってきたように思います。

 そうしたなかでの沖縄振興予算報道がなされ、考えてみました。まず以下の記事の特徴をみてみます。

 仲井真知事:「沖縄振興3000億円」首相に満額回答要請毎日新聞 2013年01月08日 20時51分(最終更新 01月09日 02時29分)

http://mainichi.jp/select/news/20130109k0000m010053000c.html

 沖縄タイムス 首相、沖縄振興に理解 知事と面談2013年1月9日 09時44分

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-09_43717

 沖縄関係補正予算373億円2013年1月9日 09時38分

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-09_43733

 

沖縄県が求めたのは、

政府の13年度予算案について、沖縄振興のための3000億円を概算要求通り認めるよう要請。…那覇空港第2滑走路建設計画への支援も求め…沖縄県は9日から又吉進知事公室長が訪米し、「辺野古移設は自公政権に戻っても困難」と米国に伝える予定(毎日)

 仲井真氏は記者団に「可能な限り一生懸命対応したいという趣旨の話はいただいた」と安倍氏の取り組みに期待を示したが、要望する3千億円規模の確保には、実務的な調整が必要ではないかとの見方を示した。米軍普天間飛行場の移設問題に関するやりとりは一切なかったというが、基地問題を話し合う機会は「いずれ必要だと思う」と述べた。(沖縄タイムス)

 これに対して安倍首相など、政府の対応は

首相は「沖縄の投資は未来への投資だ」と前向きに応じ…在日米軍基地が沖縄に集中し、県民に大変な負担をかけている。沖縄振興は日本全体の問題だ。(要望を)反映できるよう努力したい」と語った(毎日)

安倍氏は「沖縄はアジアの中心であり、最も発展していく可能性が高い。沖縄の投資は未来への投資だと考えている」と述べ、沖縄振興の重要性への認識を強調し…「在日米軍の多くの基地が沖縄に集中している。沖縄県民の皆さんに大変なご負担をかけている中において、沖縄の発展、振興は日本全体の問題」と基地の存在による県民の負担に言及…那覇空港について「日本の魅力を世界に発信していく、アジアゲートウェイの拠点の一つ。できるだけ反映できるよう努力したい」と、滑走路増設の必要性に理解を示した(沖縄タイムス)

 山本一太沖縄・北方担当相も8日の記者会見で「(振興予算の)要求額が通るように関係各省としっかり調整する」と表明した。(毎日)

「要望を踏まえて反映できるように取り組むということに尽きる」と述べた(沖縄)タイムス)

 小野寺五典防衛相は8日、就任後初めてパネッタ米国防長官と電話で協議し、辺野古移設について「沖縄の皆さんの気持ちを踏まえながら対応していく」と述べ(毎日)…

 政府は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を、同県名護市辺野古に移設する方針。振興策などで沖縄県の要望にこたえつつ、辺野古沖の公有水面埋め立て許可を知事に申請する時期を探る構え(毎日)(引用ここまで)

 「前半のみ公開された会談」(沖縄タイムス)で見えてくるのは、一つには、タテマエとして、沖縄県のしたたかさです。基地とカネは別物として割り切っていること、しかしホンネは、そのカネで沖縄県民の「票」を囲い込んでおこうとするネライです。これは愛国者の邪論の推論ですが・・・。

 公開されない会談部分で何が話されたか、ここに興味がありますが、現時点では、何が「密談」されたのか、判りません。だからこそ「邪推」が出てくるのです。

 二つ目には、政府の思惑です。タテマエとしては沖縄県の負担軽減と振興を一体的に取り組む素振りを見せ、実際はオスプレイ配備の増強と辺野古移設を認めているのです。この相反することが両立できるわけはありませんが、沖縄の「民意」を揺さぶっているのです。ここに日米政府のしたたかさがあります。

 これについては、以下の記事を掲載しておきます。

 沖縄振興新法 国、計画策定に二重関与 首相 県へ変更要求も可能2012年1月3日

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-185839-storytopic-9.html

 沖縄関係補正予算373億円2013年1月9日 09時38分

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-09_43733

 沖縄タイムス 嘉手納にオスプレイ9機配備 米が伝達2013年1月9日 09時47分

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-09_43716

 まさにアメとしての振興費、それもヒモ付きで、そうしておいて、ムチで脅すのです。カネがないと喰っていけないぞ!中国が攻めてくるぞ!と。

そうしておいて、公共事業である基地政策、打ち出の小槌のようにここから湯水のように湧き出てくるカネをめがけて群がる輩の利権を温存しておいて、多額の血税を掠め取っていくのです。その輩とは軍需産業と政治家です。

 残された選択肢は沖縄県民の決意のみでしょう。ただ、ここに吐き出される「国民の血税」が、沖縄県民の「負担軽減」と「沖縄振興」にどのように結実していくか、その流れの検証が必要でしょう。この「血税」を基地あるが故の「負担」と秤にかけるのです。この「血税」によって利益を得る県民が多数である限り、沖縄から日米軍事同盟廃棄の声は上がらないでしょう。

 これらのヒモ付きアメとムチの構造は、実は日本的伝統のように思います。

 江戸時代の為政者の百姓観を示した言葉として使われているものに、「百姓は殺さぬよう、生かさぬよう」「百姓は財の余らぬように、不足になきように治める」「百姓とゴマは搾れば絞るほど出てくる」などの言葉があります。これまでの江戸時代観や百姓観、彼らの多様な生活などを考慮すると、事の真偽はともかく、こうした為政者の民衆統治論というか、統治観は、現在もなお生きているように思います。

 その代表的なものが沖縄振興策や電源三法ではないでしょうか?

 これだけ沖縄県民の命と財産が脅かされているにもかかわらず、日米軍事同盟廃棄派が多数にならない構造、これだけ原発の危険性が立証されたにもかかわらず、原発即時ゼロを選択できない国民、原発を推進していこうとする構造から脱却できない国民、これらには日米政府のイデオロギーがカネ玉となって県民の脳にしたたかに浸透しているのです。

 ここにメスを入れ大手術を、日本改革のポイントのような気がします。


安倍自公政権は米国のために他民族を殺し日本人の血を生け贄にするのか!湾岸戦争時の米国との約束に喝を!

2013-01-08 | 日記

参議院選挙まで「封印」するとしている安倍自公政権の集団的自衛権行使問題と憲法改悪問題ですが、これについては、実はかなり前に自民党政権がアメリカに約束していました。

 それはイラクのクウェート侵攻の直後の1991年9月9日から15日にかけて自民党国防三部会(安全保障調査会・国防部会・基地対策特別委員会)の議員がアメリカを訪問し、米国政府高官や議員と会談し意見交換を行い、そのなかで日本人の血を流すことを「約束」していました。

 その時の会談などを時系列的にあげてみると、以下のようになります。

 

日程は

9日(日)11:00 成田発~10:40ワシントン着(22:40?)

10日(月)12:30 カーネギー平和財団主催の有識者との懇談や、

10日(月)18:30 国防省IDA(国防分析研究所)主催の晩餐会

11日(火)10:00 ワロップ上院議員との会談

11日(火)11:40 キミット国防次官との会談

11日(火)14:30 IDA主催の有識者との懇談

11日(火)15:30 シンプソン上院議員との会談

11日(火)16:00 ベル上院外交委員長との会談

12日(水) 9:30 チェイニー国防長官との会談

12日(水)10:30 ローエン国防次官補との会談

12日(水)11:40 DIA(国防情報局)ブリーフィング

12日(水)17:10 ワシントン発~ホノルル着へ

13日(木)10:30 ハーディスティ太平洋総軍司令官表敬訪問

13日(木)11:00 総司令官主催太平洋軍事情勢ブリーフィング及び質疑応答

13日(木)12:00 総司令官主催昼食会

13日(木)13:30 米原子力潜水艦視察

14日(金)10:45 ホノルル発~成田着15日(土)14:45

 

参加したのは、

団 長 倉成 正 (安全保障調査会長)

副団長 山崎 拓 (安全保障調査会長代理)

同 上 高村 正彦(国防部会長)

同 上 鈴木 宗男(国防部会長代理)

同 上 魚住 汎英(国防部副部長)

同 上 田村 秀昭(国防部会委員)

 

これらの一連の会談で何が語られたか、自民党自身が作った報告書の一部ですが、共産党が手に入れ、国会でも追及しました。

 以下、主な部分について、掲載しておきます。詳しくは新日本出版社「文化評論」(1991年1月号)の「自民党国防三部会訪米報告 自衛隊海外派兵を煽ったアメリカ対日圧力」と、以下の国会質疑を参照してください。

 

第119回国会 国際連合平和協力に関する特別委員会 第3号 平成二年十月二十五日(木曜日)

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/119/0730/main.html

 

 

カーネギー平和財団主催有識者との懇談内容〔懇談日・九月十日、場所・カーネギーホール〕

○日本側出席者  倉成、山崎、高村、鈴木、魚住、田村

○米国側出席者  マクナマラ元国防長官、コルビー元CIA長官、アレン元大統領特別補佐官(安全保障担当)、他二十五人

(略)

今日の冷戦終了までに、第二次大戦以降百二十数回の紛争が生起。米国は数十回にわたり軍事出動を行い、紛争解決のため尊い人命と血を流してきた。今度は、地球環境保全、途上国援助等の問題が顕在化、これらに対する日本の負担いかん。

倉成 一部については既に実施しているところであるが、今後、環境問題、貧困問題等に対する日本の一層の負担増が必要と認識。途上国に対する援助については、真に国家建設の為、正しく使用されることが肝要。

日本は、生命を賭するような貢献策は、今まで打出していないが、十年後の日本人は自らの体を張って協力するようになっていると思うか。今回の国連協力法は、かくある為の第一歩か。

倉成 同法は、そのような方向を考えている。いずれにせよ国民の理解と支持が前提。それだけに国民に対する教育が重要。

(略)

血であがなう貢献を決意するためには、日本人の教育が必要とのことであるが、教育にはどの程度要するか。また何が大切か。

倉成どの位かかるか言えない。世界は相互に依存しており、各地の紛争等は直ちに我が国にも影響して来ることを子供達に教えることが必要。こうした観点から、例えば日本は、毎年二千名(うち女性五百名)の青年男女を海外協力隊として派遣(他に民間レベルの派遣あり)する等、知識だけでなく実体験を通じた教育に努めている。

一昨年十二月マニラでクーデター未遂事件の際、邦人救出の為、当然動いてくれるものと期待し手いた米国は何らの行動をとらなかった。このため、自らの手によりヘリ搭載空母等を派遣して救出できる態勢を整備すべきとの議論があったのではないか。

山崎―救出に至るまでの経緯等、事実関係は承知。但し、自らの手で救出隊を創ろうとの議論にまでは発展せず。我が憲法の下では、武力行使は我が国を防衛するに必要最小限の自衛の場合に限られることによる。そして、この憲法は、容易には変えられない仕組。憲法改正には、全議員の三分の二以上の賛成を要するが、未だかつて自民党が三分の二を占めたことはなく、参議院では、過半数割れの状態。このことは、国民は憲法改正を望んでいないということを示すもの。今回は、武力行使を伴わない非武装の自衛官の派遣を検討中。これが「国連平和協力法」案の中身。即ち、即ち、医療、通信、輸送等の後方分野について自衛隊を組織的に派遣できる方途を検討中。しかし、同法が国会で成立するかどうか予断は許さず、政権担当者は苦しい立場にあり、我々としては、この法案審議を通じて国民を教育していく所存。

日本人の教育の為、米国はどのような行動をとることが必要と考えているか

倉成我々はいつでも生命をかけて中東に行って戦う覚悟が出来ている。ただ、憲法等の制約があるためそれが困難であるということを知っていただきたい。戦後日本人は平和ボケしており、今日の繁栄が米国の防衛協力によってもたらされたものであることを認識している。従って日本国民の平和ボケの責任の半分は米国にあると考えている。

魚住我が国は金もうけのためだけを考えているのではない。いずれにせよ、既に国民の三分の二は昭和生まれであり、今後、我々は、日本を真の独立国とするべく努力して参る所存。(引用ここまで)

 

キミット国務次官との会談内容〔会談日・九月十一日、場所・国務省〕

○日本側出席者 倉成、山崎、高村、鈴木、魚住

○米国側出席者 キミット国務次官

キミット―自分のみるところ、日本は戦後最大の問題に直面している。この問題とは、申すまでもなく、現在湾岸地域でみられている、地域の脅威にどのように対応するかという問題である。これに対する日本の対応は、日本及びその将来のみならず、日米関係の将来にとっても極めて重要である。貴代表団御一行は、本日、ワロップ上院議員と会談されたものと承知しているが、上下両院において、フセインの脅威に対抗するため、日本に対して、その国力にふさわしい貢献を求める議論が高まることは必定である。この関連で、日本がMNF(多国籍軍)に対し、十億ドルの支援を行うことを決定したことを評価するが、その中味の詳細が明らかにされること、及び更なる支援の決定がなされることを米国は待っている。ベーカー長官から、とくに貴代表団に対しお伝えせよと指示を受けていることを申し上げたい。それは即ち、日本の貢献は、第一に実質的なものであるべきこと、第二に時宜に適したものであるべきこと、第三に目に見える形であるべきことである。この関連で申し上げれば、第一線で脅威に対処している国々に対する支援を日本が早期に決定すること及びMNFに目に見える形で日本が参加することが極めて重要である。最後に、この問題の処理に当たっては、日米関係にきずを付けることを避けることではなく、適切な対応により日米関係を更に高めることを旨とすべきであることを申し上げたい。

倉成―目に見える形での参加について申し上げれば、現在検討中の国連平和協力法の策定で可能となることを期待している。また、湾岸請国への支援策については、現在鋭意検討中であり、間もなく本代表団が帰国する頃にも発表されるものと思う。また、日本政府は既に難民援助の為、二千二百万ドルの拠出を行うことを決定していることもお伝えしたい。日本は、経済制裁をいち早く決定し、イラクの行為が許すべからざるものであるとの確固たる立場を明確にした。今後とも、事態の推移に応じて、日米間の緊密かつ率直な意見交換を通じ、平和回復のために努力する所存である。更に、HNSについて付言すれば、我が国としては、中東の事態に関連し、今後とも在日米軍にたいするHNSに対し、最大限の努力を傾ける決意である。(略)

倉成―イラク問題の対処に当たっては、短期的問題と長期的問題とがあり、ともすれば、前者にのみ目が向きがちであるが、両者は分けて考える必要があると考える。この関連で申し上げれば、日本が何か行動する際には、中国、韓国及びアセアン諸国等が注意深く日本を見ている事実があることを理解願いたい。

キミットその点はよく理解している。米国としては、日本の努力が近隣諸国との問題の原因となるようなことは希望していない。イラク問題に際し、日本の派兵を最初に主張した国がオーストラリアであった事実は、日本の過去四ヶ年間の努力の成果により、近隣諸国に日本に対する大きな期待があることを示している。自分としては、日本が過去を踏まえつつも、将来に向けて対処することを期待する。

山崎―この際、HNSの問題は歴史的なものであり、今般の事態とは直接的な関係がないこと、及びHNSの経費は防衛予算から支出され九一年度の防衛予算概算要求は既に提出済みである事実を指摘したいが、いずれにせよ、HNSについては今後ともできる限りの努力を払うことをお約束する。自衛隊員の海外派遣については、自衛隊医官の派遣に焦点をしぼり、国連平和協力法により可能とすべく最大限の努力をしているが、参議院における自民党過半数割れの状況の中で、その実現には極めて大きな困難が伴う点について理解を得たい。実現には大きな困難が伴うが、かかる法案を提出し議論すること自体が国民の啓蒙につながるものと考える。(引用ここまで)

 

IDA(国防分析研究所)主催 有識者との懇談内容〔日時・九月十一日、場所・マークプラザホテル〕

○日本側出席者 倉成、高村、鈴木、魚住、木村駐米公使

○米国側出席者 エンデイコット国際戦略センター所長(ジョージアス大学技術研究所)、ローレンス国防省日本課長、バトラー統合参謀本部第五部長(空軍中将)、デスプレス上級情報委員会上級研究貝、他二十名

(略)

一今までの討議を聞いていると、かかる対応は今後共困難と思われるが、そうすると今後の日米関係は大きな危機に陥入らざるを得ないと思われるが。

倉成米国民の関心は、財政赤字等国内の状況に移行しつつあり、その結果対外的行動(影響力)が縮小する傾向にあるのではないか。ソ連がもはや米国の脅威ではないという意見が大きくなると、米国民の中に、日本等に対する不満が広がり、日米間の感情的摩擦が大きくなることを懸念している。これは将来の日米関係にとって大変不幸な事であると思う。日本としては、可能な限り最大限の支援を実施したいと思っており、その為にここに来て皆様の意見を聞いている次第です。ペルシャ湾危機に対する対応だけを見て、近視眼的に将来の日米関係を議論することによって、両国にとって誤った結論を出すことによって、両国にとって誤った結論を出すことを危惧している。

鈴木今までの議論の中で、日本は危険負担をしない、リスクを冒さない、血を流さないという意見が多かったと思うが、現在の憲法下では、自衛隊派遣は不可能であり、その代わりに十億ドルの多国籍軍に対する援助、難民の救済、湾岸請国に対する援助といった経済援助を主体に支援していこうとしているものである。自民党の中には、憲法を改正する事も真剣に検討すべきだ、自衛隊法等の法改正によって自衛隊を派遣すべきだという意見もある。かかる意見を新聞等があまり大きく取り上げていない傾向があるが、自民党の大多数のメンバーがかかる意見をサポートしている事を申し上げたい。

魚住一皆様の意見を統合すると日本の対応は掻痒の感があるという事であろう。日本の憲法は米国のつくった平和憲法である。この憲法はいかに解釈すれば、国連軍に参加できるか検討し、日米安保体制を機軸にして、我々のでき得る限りの支援を実施したいと思っている。戦争に負けた経験の無い米国では必要と思われる事は何でも実施可能であるが、憲法を自分自身で作成していない日本としては、種々の制約の中で全力を尽くして努力をしていきたいと考えているので、大きな目で我々の行動を見守って欲しい。

倉成二十一世紀は大西洋から太平洋の時代に移行するものと考えている。世界のGNPの約四割を占める日米の協力が不可欠になるであろう。太平洋の時代となった時、アジアの安定を考える事が重要である。特に中国の存在、南北朝鮮の対立を忘れてはならず、ASEANも、日米関係がおかしくなれば直ちに影響するであろう。かかる状況から、アジアを視野に入れた日米関係を考えて戴きたいと希望する。

高村一国連平和協力法を自民党のみで決めるのであれば、自衛隊を派遣することは可能である。但し、現在の国会の状況は、参議院で野党が過半数を占めており、その野党第一党である社会党が自衛隊の存在すら否定している状況にある。我々自民党としては、法案を提出するだけでなく、かかる状況下で如何にして法律を成立させるかを考える必要がある。現在如何なる法案にすれば、成立させる事が可能であるかを検討しているところである。

バトラー一本日の討議を通じて、日本の憲法、日米安保条約等の枠内で日本として何かできるかという事に対して理解が深まった。現在の制約下で、その制約を取り除こうとして努力している皆様に一言申し上げたい。各国首脳に電話で、今般の危機に支援を要望している大統領の映像を見る機会が多いが、米国人としてかかる直截的な行動をとれる大統領を持っている事を幸せに思っている。もし今回の米国の行動が失敗に終われば、次の大統領が同様な行動をとる保障は無い。その時には、次期大統領に対して世界中の指導者が米国の関与を依頼する姿がテレビに映ることであろう。現在の様な状態が続くと、米国の大統領が電話で各国の貢献を求める姿を米国民が見るのも嫌になるであろう。理想の状態は、米国大統領が静かに決心し、各国から大統領に電話が来て静かに何をなすべきか調整する姿である。今回の処置の結果に依存する事であるが、日米関係がアジアの安定、太平洋の経済的繁栄、安全保障に重要な要となるものと考えている。自分の職務を遂行するうえでも、かかる理想の実現に向かって努力していきたいと考えている。倉成団長は私を日本へ招待して下さったが、喜んで日本を訪問したいと考えている。日本を訪問した際には、本件について引き続き意見を交換したいと思っている。

倉成一本日の会議は、大変有意義な議論であったと思う。我々の気持ちは皆様と変わらない。如何にして皆様の期待に応えられるか、東京へ帰ってから最大限の努力を傾注したいと考えている。(引用ここまで)

 

日本人記者との懇談内容〔懇談日・九月十二日、場所・ナショナルプレスセンター〕

○代表団側出席者 倉成、山崎、高村、鈴木、魚住、田村

倉成一今回の訪米を計画した時点では、次期防について米側と意見交換することが目的であったが、中東情勢に関する我が国の貢献策について集中的に意見交換を行う結果となった。本件に関する米議会を中心とした日本に対する雰囲気は悪く、米側の考えは、日本が中東から大きな恩恵を受けていながら、その貢献策はtoo little too lateであるという点に集約される。米政府関係者も、露骨な表現はしなかったものの日本は血を流す覚悟はあるのだろうかとの懸念を抱いていた。我々は、我が国の憲法等について説明を行ったが、米側には、日本が血を流すつもりはないのではないかと考えているように感じた。早急に湾岸諸国に対する援助を実施する必要がある。一日遅れるたびに効果は減少して行く。こうした点に鑑み、昨夜、海部総理に電話をし、米側の雰囲気を伝えると共に早急に第二次貢献策を決定するよう強く進言した。米議会、行政府等を通じた米側のすべての人々の考えは、我が国の憲法上の制約は理解しているものの、たとえば、難民輸送などのようにvisibleな貢献を行って欲しいということである。以上が今回の訪米の総括である。政府関係者との懇談概要については、山崎副団長から披露する。

山崎一(略)チェイニー長官は、両国にとって石油エネルギー資源の確保は重要であり、両国の発展と安全の為、本件の解決が不可欠であると述べた。日米は二大経済大国であり両国関係を全地球的なものに高めるべきであるとして、日本の多国籍軍参加出来る枠組みを作ることを期待する旨の表明があった。また、冷戦は終わりつつあり、アジア情勢にも反映されると思うが、アジア太平洋地域の安定の為、米国はコミットを続ける決意であるとして、日米安保体制の堅持、防衛協力の推進、在日米軍の駐留継続を明らかにした。(略)(引用ここまで)

 

 これだけの会談にもかかわらず記者たちの質問から憲法との矛盾を正す質問がなされていないのは、どうしてでしょうか?あまりの稚拙さに、内容は省きます!

ゴシックの部分、如何だったでしょうか?この1990年の時点で憲法上の制約を述べながらも、日本人の血を流すことをアメリカに「覚悟」として語っている、「約束」しているのです。

 総選挙で憲法上の「制約」を取っ払うチャンスが到来したというのが、自民党の思惑でしょう。その20年来のチャンス、いや自主憲法制定のチャンスがやってきたのですから、慎重にやるつもりでしょう。

 こうした事実を無視してマスコミは、集団的自衛権問題の本質、すなわちアメリカの戦争に日本が無条件で協力・加担し、利権のために他民族を殺し、日本人の血さえ流させる、このことを抜きに「朝日」がそうであったように、「権利があるなら使え」「日本を繁栄させてきた日米同盟を深化させろ」とすり替えて報道していくことでしょう。

 しかも、アメリカの戦争に協力するのは、石油など資源のため、マーケットのためであること、さらにはアメリカの財政赤字を補うことについても資料は語っています。

 あの時の10億ドルにみるように、戦争には「軍事費」がかかることは常識中の常識です。このカネは誰が支払うのか、そうです。国民です。増税になります。命ばかりかカネまで「国家の戦争」のために支払わされるのです。多くの国民は、このことを理解しているのでしょうか?

 こうした根本矛盾をどうやって国民に報せ、国民的議論を巻き起こし、二度と同じようなことを言わせない日本をつくっていくか、憲法を改悪していくための手法などについて、自民党の狙いは、この資料の中に十二分に示されています。

 後は、そのことを逆手にとって論戦していくだけです。そのためにも、以下のスローガンが「ものさし」になるのではないでしょうか?

 

1.戦争は命の奪い合い。

2.戦争は破壊であり、ものを生産するのではない。

3.戦争で儲かるのは国民ではない。軍事費の調達は増税でまかなう。

4.戦争を防ぐのは非軍事・非暴力の話し合いしかない。

5.紛争を起こさない為には文化・経済交流をふかめる。

6.戦争を起こさない政府を選択するのは国民の権利であると同時に責任。

7.戦争を求める利権集団を世の中からなくしていくのも国民の権利であると同時に責任。

8.人を殺しあう戦争の歴史から人を生かす話し合いの歴史への転換は、歴史に学んでこそ。


福島県民の原発廃炉の世論を選挙に結実できなかったのは何故か?米軍基地の是非構造と同じ!

2013-01-07 | 日記

今日は時間がありませんので、記事を紹介しておくだけとします。それは以下の記事です。

 

「県内全基廃炉」75.4% 本社県民調査( 2013/01/06 08:54 )

http://www.minpo.jp/news/detail/201301065861

 福島民報社は県政の重要課題に対する県民意識調査を行い、5日までに結果をまとめた。冷温停止中の東京電力福島第一原発5、6号機、第二原発1~4号機の再稼働について、「全て廃炉にすべき」との回答が75・4%を占め、脱原発を強く望む県民の意識が浮かび上がった。今後、必要とされるエネルギー源・電力源は「新エネルギー」が47・7%となり、太陽光など再生可能エネルギーへの期待感の大きさをうかがわせた。 県民意識調査では、福島第一原発5、6号機、福島第二原発の再稼働の可否や将来のエネルギー源に対する考えを聞いた。 原発の再稼働についての回答は【グラフ(上)】の通り。「全て廃炉にすべき」が「福島第二原発のみ稼働すべき」(16・4%)と「全て稼働すべき」(3・2%)の合計19・6%を、55・8ポイント上回った。「分からない・無回答」は5・0%だった。 男女別の「全て廃炉にすべき」は男性72・5%、女性78・1%。女性の方が再稼働に対する拒否感が強いことがうかがえる。  年齢別で「全て廃炉」とした割合が最も高かったのは、男性が60代の79・3%。最も低かったのは20代の55・8%。30代は68・0%だった。一方、女性の最高は30代の82・8%。各年代とも70%台前半から80%台前半となっている。 原発事故を受け、東電は第一原発1号機~4号機の廃炉作業を進めている。これに対し、県は福島第一、第二原発の全基廃炉を求めている。県議会も県内原発の全基廃炉を決議している。 しかし、東電の広瀬直己社長は「今後、国のエネルギー政策の全体像が見えていく中で判断しないといけない」などとして態度を明らかにしていない。
■これからのエネルギー源「新エネ」47.7%
 県民世論調査では、これから必要となるエネルギー源、電力源について考えを聞いた。「新エネルギー」が47・7%で、「火力発電」や「水力発電」を大きく上回った。一方、「原子力発電」は6・5%だった。 これからのエネルギー源、電力源についての回答は【グラフ(下)】の通り。男女別に見ると、「新エネルギー」は男性で50・9%、女性で44・7%といずれも高い比率を占めた。二番目に多かったのは男女とも「その他」で、男性17・7%、女性19・1%。太陽光発電などの再生エネルギー技術が、まだ発展途上のため発電能力に限界があることなどが背景にあるとみられる。 「原子力発電」と回答したのは男性の20代と30代以外の全ての年代で10%未満だった。
 ◆調査の方法
 昨年12月4日午後から5日午後1時まで、県内の20歳以上を対象にRDD(ランダム・デジット・ダイヤリング)法で実施した。コンピューターで無作為に電話番号を発生させてかける電話調査法で、電話帳に番号を掲載していない人も調査できる。発生させた番号のうち2千人から回答を得た。東京電力福島第一原発事故により避難区域がある双葉郡は調査困難なため実施していない。(引用ここまで) 

衆院選比例東北 自民123万票、首位返り咲き2012年12月19日水曜日

http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1112/20121219_01.htm

 衆院選の比例代表東北ブロック(定数14)で、5議席を獲得した自民党の得票は123万8716票に上り、前々回(2005年)以来の首位に返り咲いた。3議席に終わった民主党の得票は80万5709票で2位に転落。政権交代を果たした09年の3分の1に激減した。2議席を得た日本維新の会72万5006票で、民主に肉薄した。 投票総数は433万8497票。投票率が戦後最低(58.9%)となり、前回に比べ約101万票(18.9%)減った。 小選挙区で躍進した自民の得票率は前回とほぼ横ばいの28.6%。2回連続で30%を割った。05年の「郵政選挙」の得票率は36.6%だった。 県別では、最高が秋田の32.6%で、民主に14.4ポイントの差をつけた。青森32.5%、山形30.9%、宮城28.3%、福島26.0%、岩手23.3%と続いた。各県の増加幅は0.7~2.5ポイント。山形は0.3ポイント、福島は1.5ポイントそれぞれ減った。 民主党の得票率は18.6%で、前回比26.9ポイントの大幅減。6県で23~34ポイント減った。下落幅が最大だったのは、小沢一郎氏(岩手4区)が離党した岩手で34.6ポイントの減。宮城は27.8ポイント、青森は26.3ポイント下げた。 県別の得票率は福島の20.1%が最も高く、岩手19.0%、秋田18.2%、宮城18.1%、山形17.8%と続き、青森は17.6%だった。
 第三極勢力を見ると、初参戦で2議席を獲得した日本維新の会の得票率は16.7%で3位に食い込んだ。日本未来の党(1議席)は9.0%で5位。得票数約39万票の4割近くを岩手が占めた。みんなの党(同)は約30万票で、得票率は前回比2.6ポイント増の7.1%。 既成政党は、公明党(1議席)が約40万票で全体の4位。得票率は0.5ポイント減の9.2%だった。約26万票を獲得した共産党(同)の得票率は前回と同じ5.9%だった。 社民党は得票率が2.2ポイント減の3.7%(約16万票)にとどまり、1996年の小選挙区比例代表並立制の導入以来、初めて議席を失った。(引用ここまで)

 こうした県民意識が全国民的意識にならなかったのは、米倉経団連を軸とした原発必要論とのイデオロギー闘争の結果ということになるのでしょうか?国民がどっちのイデオロギーを選択したかという意味で、なかなか教訓的です。

このことは沖縄の米軍基地の存続か、県内移転か、県外移転か、その奥底に流れている米軍基地による経済的効果というイデオロギーと、中国の脅威に対する抑止力からくる米軍基地の必要性というイデオロギーのどちらかを選択するか、という点で、県民が、日本国民が選択したということと同じ構造です。

 こうした争点が、常にぼかされているのも事実です。対決点は鮮明なのに、どっちを選択するかの段になると迷ってしまって、結果的には、原発存続派が、米軍基地存続派が、議席の上で多数派となってしまうという「日本型民主主義」が、横行しているのです。

ここを解明しなければ、同じことは繰り返されるでしょう!米軍基地が戦後存続してきたように・・・。或いは、日本国民自身が致命的な打撃を受けるまで、待つしかないのでしょうか?

 そうした悲劇を待ってはいられない!というのが率直な考えです。では、どうするか!


共産党は党内外の声を何回訊けば選挙で前進できるのか!「党旗びらき」の志位委員長発言を読んで思うこと

2013-01-06 | 日記

4日「党旗びらき」なるものが開かれ、志位委員長の挨拶が赤旗に掲載されました。

 2013年党旗びらき 志位委員長のあいさつ2013年1月5日(土) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-05/2013010504_01_0.html

 第6回目の総会が開かれるとのことですが、これを読む限り、参議院選挙も同じような「声明」が発表され、同じような反省の弁が語られるなと思いました。

 その理由について、以下述べてみます。

 1.自己検討について

「総選挙の結果について――自己検討をつぎのたたかいに生かす決意

後退は悔しい結果――中央として自己検討を深め、つぎのたたかいに生かす」という項目について

志位委員長は、以下のように述べました。

日本共産党は、この総選挙を、「650万票、議席倍増」という目標を掲げてたたかいましたが、結果は、比例代表で369万票、9議席から8議席への後退となりました。「今度こそは躍進を」という思いで準備を重ね、たたかっただけに、たいへんに残念で悔しい結果であります。情勢が求める結果を出せなかったことに対して、私は、委員長として責任を痛感しております。…どうしたら本格的な前進に転じられるかについて、党内外の方々のご意見に耳を傾けつつ、自己検討を深め、半年後に迫った東京都議選、参議院選挙のたたかいに生かす決意であります。(引用ここまで)

 今回は、「委員長として」と前置きして述べていますが、前回の参議院選挙の「総括」の際には、以下のように述べていました。

 日本共産党第2回中央委員会総会 参議院選挙の総括と教訓について 志位委員長の幹部会報告

2010年9月27日(月)「しんぶん赤旗」(以下引用する際には「2中総」と略します)

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-09-27/2010092701_09_0.html

選挙指導に日常的に責任を負う常任幹部会を代表して、全国のみなさんの奮闘を議席と得票に結びつけられなかったことについて、おわびします。 7月12日の常任幹部会声明は、今回の選挙結果を重く受け止め、政治論戦、組織活動などあらゆる面で、どこにただすべき問題点があるか、前進のために何が必要かについて、党内外の方々のご意見・ご批判に真摯に耳を傾け、掘り下げた自己検討をおこなう決意を表明しました。 この見地で、全国の都道府県委員長、地区委員長、比例代表・選挙区の候補者から意見と感想を寄せていただきました。私たちは、地方党組織に出向いての直接の聞き取りもおこないました。党内外の文化・知識人など、さまざまの分野の方々からも意見をお聞きしました。党内外の5千人をこえる方々から、電話、メール、ファクス、手紙などで、ご意見、ご批判、叱咤激励をいただきました。総括と教訓についての報告は、これらの意見の一つひとつを検討し、中央(常任幹部会)としての自己分析を明らかにし、国政選挙での巻き返しにむけて、今後の選挙活動を、いかに改善、強化、発展させるべきかについて、のべるものです。(引用ここまで)

 この2中総から、2年。共産党は何をやってきたのでしょうか?結果論としてみるならば、「政治論戦、組織活動などあらゆる面で、どこにただすべき問題点があるか、前進のために何が必要かについて、党内外の方々のご意見・ご批判に真摯に耳を傾け、掘り下げた自己検討をおこなう決意を表明し…中央(常任幹部会)としての自己分析を明らかにし、国政選挙での巻き返しにむけて、今後の選挙活動を、いかに改善、強化、発展させるべきかについて、のべ」た視点は活かされなかったということになります。

 2.「全党と後援会員の奮闘によって、第一歩だが前進への足がかりをつかんだ」という視点について

 志位委員長は、「この総選挙を、『650万票、議席倍増』という目標を掲げてたたかいましたが、結果は、比例代表で369万票、9議席から8議席への後退」させ「得票数では3年前の440万票(7・5%)から356万票(6・1%)に後退し」たが、「私たちが、「出発点」と位置づけた2010年参議院選挙との比較では、わが党は、比例代表で得票を356万票から369万票に、得票率を6・10%から6・13%に、わずかですが前進させ」「小選挙区で、『全区立候補』に挑戦し、470万票、7・89%を獲得したことも、積極的意義をもつもの」であり、かつ「前進への足がかりをつかんだことは、重要」「全党と後援会員の奮闘によって、第一歩だが前進への足がかりをつかんだ」と述べました。

 こうした指摘は事実を述べてはいるものの、その「評価」については、以下の点で問題と言えます。

 (1)今回の結果の「評価」について、「後退」「悔しい結果」と言いながら、13万票(0.03%)について「わずかですが前進」と述べています。確かにそうでしょう。しかし、有権者比でみると、13万票はどのような位置を占めているのでしょうか?全く不思議な視点と「評価」です。

 ま、物事を「総括」する際には、積極的側面と消極的側面、正の側面と負の側面の両方を見ていくという視点が正しい見方考え方だとは思いますので、間違ってはいないと思います。しかし、妥当かどうか、大いに疑問です。

 それは、「政権選択」「政権獲得」をめざす総選挙と参議院選挙とでは、そもそも性格が違います。そうした性格の違いを前提にすると、「出発点」と位置づけた2010年参議院選挙の獲得票からみて、「わずかですが前進」などとする「評価」は如何なものでしょうか?

 確かに、最も低い獲得票を基準にして見るのは当然で、間違ってはいません。しかし、それにしても前回総選挙で獲得した494万4千票からみると、今回の獲得票369万票は、その差約125万票が大きな後退であることは明らかです。このことをこそ、「総括」の最も重要な部分として位置づけるべきではないでしょうか?

 そこで、「「出発点」と位置づけた2010年参議院選挙との比較」を見る上で、基準となった視点について、調べてみました。以下の4中総にありました。

 第4回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告2011年12月3日)

http://www.jcp.or.jp/web_jcp/html/25th-4chuso/20111203-4chuso-hokoku.html

次期総選挙の政治目標は、「比例を軸に」をつらぬき、650万以上の得票、10%以上の得票率を獲得し、すべての比例代表ブロックで議席獲得・議席増をめざすことであります。現在議席のない北海道、北陸信越、中国、四国での議席獲得、東京、北関東、南関東、東海、近畿、九州・沖縄での議席増、東北の議席確保をめざしてたたかいます。 私たちが出発点とすべきは、2010年参院選比例票の356万票(6・1%)であります。この水準では、現有9議席のうち、東北と近畿で議席を減らすことになります。650万票(10%)の得票目標の獲得のためには、参院比例票を1・8倍(得票率では1・6倍)に伸ばすことが必要となりますが、これに正面から本腰を入れて挑戦しようではありませんか。(引用ここまで)

 以上のような視点から、共産党は、「私たちが出発点とすべきは、2010年参院選比例票の356万票(6・10%)」(4中総決定)であることを銘記して、このたたかいにのぞみました」(「総選挙結果について」の「声明」12月17日)と述べているように、今回の総括の「視点」と「基準」がつくりだされているのです。

 この参議院選挙結果からみて前回総選挙の到達点は出発点は排除されたのでした。確かに総選挙で獲得した票494万4千票より、356万票の方が現実味があるのは当然です。しかし、だからと言って、これをものさしにして「わずかですが前進」と評価するのは、「『650万票、議席倍増』という目標を掲げて」たたかったことはどうなるのでしょうか?

 それでは前回総選挙の獲得票についての「評価」は、どうだったでしょうか?調べてみました。以下のようになっていました。

 日本共産党創立87周年記念講演会 歴史の大局で到達点をとらえ、未来を展望する

――総選挙の結果と「建設的野党」の役割 志位和夫委員長の講演  2009年9月11日(金)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-09-11/2009091107_01_0.html

日本共産党――試練の選挙で勝ち取った善戦・健闘の結果について

この歴史的選挙で私たち日本共産党は、比例代表選挙で9議席を獲得し、現有議席を確保することができました。また得票では、投票率が上がるなかで、得票率は前回総選挙の7・25%から7・03%に後退したものの、得票数は491万9千票から494万4千票へと前進させることができました。…こうした激しく厳しい選挙で私たちが得た494万票という得票は、前回票にただ2万票余を積み上げたというだけのものでは決してありません。メディアの出口調査の結果を見ると、比例選挙でわが党支持者の約12%が民主党に流れたとのデータがあります。そうした人々は、決して、わが党に「愛想がつきた」というものでないと思います。「自公政権を倒したい」という思いからのものでしょうし、ひきつづきわが党を期待をもって見てくれている人々だと思います。同時に、おそらく100万余という規模で、新たにわが党に投票してくださった人々が生まれた。全国各地から、保守層もふくめてはじめて日本共産党に思い切って投票したという声が数多く寄せられました。そうした激しいたたかいの結果、全国の党と後援会のみなさんの大奮闘の結果が、この2万票余の得票増だということを、私は強調したい(引用ここまで)

 09年総選挙時には、今回同様650万の目標に対して、得票数は前回491万9千票から494万4千票へと「2万票余」増、前進をもって、志位委員長は「善戦・健闘」と評価しました。しかし、今回は直近参議院選挙の獲得票をもって「わずかですが前進」と評価したのです。

 このように総括の基準が、コロコロ変わるのは、どうでしょうか?自分の都合の良い数字を探していると言われても仕方ありません。勿論、志位委員長にはそれなりの言い分があるでしょうが、一つの基準で「評価」し、「総括」することで見えてくるものがあるはずです。

 ところで、今回の基準の「出発点」としていた参議院選挙の目標650万は、以下のように、もっと前に決められていました。

 第9回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告2009年10月15日(木)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-10-15/2009101501_05_0.html

今回の総選挙は、5中総で決定した比例代表での前進に力を集中する新しい選挙方針を、最初に実践するたたかいとなりました。新しい選挙方針の基本は以下の点にありました。

 ――比例代表で「650万票以上」を獲得することを衆参の国政選挙の共通の全国的目標として掲げ、その達成をめざすこと。

 ――現在の党組織の力を最も効果的に比例代表での前進に集中するために、「すべての小選挙区での候補者擁立をめざす」という方針を見直し、小選挙区での擁立は一定の要件を満たした選挙区とすること。比例代表の候補者は、ブロック全域で活動する候補者にくわえて、全県からそれぞれの県で日常的な活動をおこなう候補者を擁立すること。

 ――この方針を成功させる要は、比例選挙で前進するためのとりくみを、あらゆる選挙戦と党活動全体の中軸にすえ、文字どおり日常不断のとりくみにしていくことにあります。すなわち選挙活動の日常化ということであります。

 第五回中央委員会総会 志位委員長の幹部会報告 2007年9月11日(火)「しんぶん赤旗」

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-11/2007091117_01_0.html

参議院選挙で日本共産党は、比例代表選挙で五議席獲得、二〇〇五年総選挙比の130%、六百五十万票以上を目標に奮闘しました。選挙区選挙では、現職の東京での議席確保とともに、三年前の参院選で議席を失った選挙区での議席奪還をめざしてたたかいました。 選挙の結果は、比例代表での獲得議席は三議席、選挙区では議席を失い、改選五議席から三議席に後退しました。力およばず、目標が達成できず、議席を後退させたことは残念であります。わが党に暮らしと平和の切実な思いを託して投票してくださった国民のみなさんに、党中央を代表しておわびするとともに、つぎの機会での前進の決意を申し上げるものです。 同時に、比例代表で、前回、前々回の参議院選挙の到達点を基本的に維持する四百四十万票(得票率7・5%)を獲得したことは、貴重であります。…国政選挙は、衆議院選挙と参議院選挙が、だいたい三年に二回程度、多くの場合には交互にたたかわれます。どちらの場合も比例代表選挙がたたかいの軸となるわけですが、当面は「六百五十万票以上」を衆参の国政選挙の共通の全国的目標として掲げ、その達成をめざす。そして衆議院であれ、参議院であれ、六百五十万票を達成したら、あるいはこの目標に接近したら、次の国政選挙から目標を新しい段階にひきあげますが、それまでは同じ目標を全国的な目標として追求するようにする。これは新しい問題提起でありますが、こうしたたたかい方を導入することは、比例代表選挙の準備を日常不断の活動にしてゆく基盤となり、国政選挙を「自らの選挙」「おらが選挙」にしていくうえでも力を発揮するでしょう。 ただし比例ブロックによっては、「六百五十万票以上」にみあう得票目標では議席目標にとどかないブロックもあります。そうした比例ブロックでは、議席目標達成に必要なより高い得票目標を決めることにします。(引用ここまで)

 どうでしょうか?「衆議院であれ、参議院であれ、六百五十万票を達成したら、あるいはこの目標に接近したら、次の国政選挙から目標を新しい段階にひきあげますが、それまでは同じ目標を全国的な目標として追求するようにする。これは新しい問題提起でありますが、こうしたたたかい方を導入することは、比例代表選挙の準備を日常不断の活動にしてゆく基盤となり、国政選挙を「自らの選挙」「おらが選挙」にしていくうえでも力を発揮するでしょう」とまで言って決めた方針から5年の間、その間、2回の国政選挙をたたかってきたのです。

 しかも650万という目標を掲げ、活動し、選挙をたたかい、その結果に「お詫び」し、「反省」し、内外の声に耳を傾け、活動してきたようですが、その一旦を見えてくる文書を辿ってみると、深刻さが浮き彫りになってきます。

 「650万」という目標を掲げながら、前回総選挙ではなく、直近の参議院選挙の低い目標を「出発点」として位置づけて「総括」のものさしに設定しているのです。これは目標の基準の2重性という意味から曖昧な設定ではないでしょうか?中央の言い分としては、党の実力・到達点を踏まえたものとして「スジ」は通っているように見えますが、「二枚舌」と言われても仕方のないものです。

 こうした視点での総括は、「政権交代」「政権奪還」「政権獲得」を争う総選挙で、共産党が「政権を取るつもりのない政党」と観られても仕方ありません。しかも、志位委員長は、今後の方向について、「日本共産党が『防波堤の党』『変革者の党』『国民共同をすすめる党』として意気高く奮闘し、国民に溶け込み結びついた強大な党へと成長することが不可欠」と述べているのです。

 このことは一般論としては間違ってはいませんが、一つには、「強大な党へと成長」しなければ「政権は取れません」と言っているようなものです。したがって二つ目には、これではアメリカも財界も、ちっとも怖くない政党としてみるのではないでしょうか?

 何故ならば、現局面における日本の政治情勢からみた国民の期待、すなわち自民もダメ、民主のダメ、という怒りと期待が渦巻いているのにもかかわらず、「現段階では政権は取れませんし、取るつもりはありません」と国民に「公約」しているのも同然だからです。

 「総選挙後、日本共産党のこの役割に注目し、政治的立場の違いを超えて、『ここは共産党に頑張ってもらわないと」という新たな期待が寄せられる状況があります』」と述べ、「ある保守の有力政治家」「別の、ある保守政党で有力な役割を果たしてきた政治家」の声を紹介しています。しかし、これらの「期待」は共産党の「政権担当能力」に対する「新たな期待」ではなく「共産党の存在自体が右傾化の動きに対する歯止め・ブレーキ役になっている」との声なのです。

こうした「期待の声」は、現在の共産党の置かれた位置を雄弁に物語っています。

 さらに、このことは「一連の政策提言――『経済提言』、『外交ビジョン』、『即時原発ゼロの提言』、『尖閣問題の提言』、『いじめ問題解決の提案』、『震災・災害政策の転換の提案』などを提起するとともに、それらを集大成し発展させた総選挙政策を掲げてたたかいました」と述べたことや、コピーとしては「提案し、行動する」と訴えたことにも示されています。

 これらは「反対政党」として見られている国民目線に応えたもののようにも思えますが、07年の参議院選挙後の国民の「期待」、すなわち「国民が新しい政治を探求する時代が本格的に到来した」(9中総)時代に応えるためには「共産党が政権を担当した場合には、こうやるぞ」というメッセージ、「公約」「提案」「提言」は、極めて希薄です。これでは民主党のような「風」を吹かせ、「躍進」を実現することは難しいことでしょう。

 このことは「政治不信」「多党化で政策が判りにくい」を原因とした投票率の低下にも、見られています。「政治革新」「革命」をめざす共産党としては現段階の階級闘争のもっとも熾烈な表現である選挙戦に、国民の参加を獲得できなかったことは、大きな失態、教訓と言わなければなりません。

 しかも「一点共闘」が前進したにもかかわらず、その共闘の「成果」が選挙戦で党への支持に結実しなかったこと、いや党的には、参議院選挙からみれば、「わずかですが前進」しかできなかったのでした。事は深刻です。

 そして何より、「自公政権を倒したい」という思いが、「比例選挙でわが党支持者の約12%が民主党に流れたとのデータ」に見るように、国民目線と噛み合っていない選挙活動、日常活動をしているがために、今回に活かせなかったことの教訓こそ、政治的、政策的、組織的、思想的検討が必要ではないでしょうか?

 (2)別の面から「わずかですが前進」という「評価」の問題点を指摘すれば、共産党以外の政党には、「自公圧勝と言われるが…比例は自219万減、公94万減 信任されたとはとてもいえない」として「自民は小選挙区でも前回比166万票減らし得票率は43%なのに、議席占有率は79%にもなりました。民意を大政党本位にゆがめる小選挙区制の欠陥を示しています。自公両党の「圧勝」は、民主党の公約破りによる“敵失”と、選挙制度に助けられてのことです」(「赤旗」12月18日付け)などと述べ、さらには「総選挙で自民党が獲得した得票は、有権者比では小選挙区で24%、比例代表で15%にすぎません」などと、批判しているのです。

 ところが、共産党自身に対しては「有権者比」を目標としていたことを忘れ?て、参議院選挙の獲得票を基準に「わずかですが前進」などと語っているのです。これでは「委員長として責任を痛感」「党内外の方々のご意見に耳を傾けつつ、自己検討を深め」と語るものの、「本当にそうか!」という「不信感」を払拭できるものではありません。

 (3)以上のように、「わずかですが前進」という「評価」を、ではなく、「敗退」の真の原因を抉り出すような視点で、自己検討と総括をしなければ、参議院選挙も同じことになるのではないでしょうか?

 以上みてきたように、「党内外の方々のご意見に耳を傾けつつ、自己検討を深め」ると語っているのですから、どのような声が寄せられているかを明らかにすることを含めて、大いに「自己検討を深め」ていただきたいと思います。そういう意味で共産党自身の統治能力が試されているのだと思います。

 志位委員長の発言は、まだありますが、長くなりましたので、これで一旦切ることにします。


自公政権の偽り「大勝」に新聞人は「新聞が敗北」した理由を噛み締め、「勇気」ある健筆を振るうべし!

2013-01-05 | 日記

元日の各紙の社説を読んで感じたことを書いてきましたが、小選挙区制におけるマジック的・トリック的装置によって安倍自公政権が獲得した議席は、圧倒的な国民的支持を得ていないことがいくつかのマスコミによって明らかにされています。

 しかし、公然と現行憲法の改悪を政策に掲げている安倍自公政権に対して、マスコミは、過去の歴史を踏まえて果敢に批判を展開しているかと言えば、この間見てきたようにそれはノーといわざるを得ません。一つ紹介します。

 「国民は社会保障の確立や雇用の増大など、暮らしに密着した課題の解決を切実に望んでいる。安倍晋三自民党総裁が新首相に就任するのは確実だが、安倍氏には、真に国民が望む政策を着実に実行するよう望みたい」「今回の選挙をめぐり共同通信社が実施した5回の全国電話世論調査によると、有権者が重視する課題は「年金や医療など社会保障」と「景気や雇用」が常に1位、2位を占め、他を引き離した。有権者の望みのありかは明確だ。自民党はそれを銘記してほしい」(琉球新報)という言葉に象徴されています。

 これは、国民は景気や雇用など暮らしの改善を求めているので、優先順位を間違えるな式の「提言」や「転機に針路を決めるのは政治の役割だ。しかし、有権者は政治家に白紙委任を与えたわけではない」などの「警告」を発し、「憲法を暮らしに活かす」という点にたって、安倍自公政権などの「憲法改正」派を批判していないことが判ります。

 そのことは「そんな中で、日本の針路変更を正面から訴える安倍晋三新政権が本格的に動きだす。日本をどう立て直し、暮らしの安心を実現するか。国民は傍観者ではいられない。果実の分配ではなく、負担の分かち合いの時代でもある。国民一人一人の工夫もまた、問われる」(北海道新聞)などと、国民に責任を転嫁するかのような論陣をはっているのです。

 これは現在の日本国の諸事実を現行の憲法というものさしでチェックし、現行の憲法のルールに国民生活に接近させて、活かしていく努力を怠る役割を果たしていると言わざるを得ません。

 元日の社説のなかで、戦前の石橋湛山の例を使いながら、今日の政治を論じた新聞、憲法を論じた新聞が少ない中で、憲法を論じた新聞にして、然り、なのです。このことをどうのように考えるか、考えてみました。

 そこで、以下の前坂俊之『太平洋戦争を新聞』(講談社文芸文庫)の中の一節を掲載し、現在のマスコミが置かれている状況について、考えてみたいと思います。

 

 新聞が敗北した理由

 『東京日日』の社説はどうだろうか。

 二月二七日   「独占国善処の外に途なし」

   二八日   「仏露相互援助条約」

   二九日   「日米間の経済依存」

 三月 一目   「騒擾全く鎮定す」

 三月 二目   「国民保健の一問題」

    三日   「後継内閣組織と軍部」

    四目   「慎重なるべき財政策」

 三月一日の「騒擾全く鎮定す―転禍為福の一大決心を要す」と、同じ日に高石主筆による「事変に直面して」を掲げ、以後は判決のあった七月五日付「二・二六事件の判決、国民の今後の覚悟」のわずか三本だけである。『朝日』とほぼ同じ数であり、事件への高石の論調も軍部の責任追及よりも、国民の自覚へと論点をズラしたものであった。

 「かくの如き非常手段をもって、国家の政治を変更せんとするものが、皇軍のうちから現れたことは、まさに重要軍職にあるものの責である。しかしながら純真なる青年将校が憂国の志に駆られねばならなくなったような事由は、どこに存したか。……大乗的にいえば、わが国民生活の構成員であるわれわれ国民自身が、自ら罪を犯した心特になって自省反思しなければならぬ。この大きな欠陥を修正して、社会正義が平和裡に、立憲的に行わるる社会を現出するの任は、まさに今後のわが国民に下された重大な使命である」(「事変に直面して」)

 新聞がこうした節目の一つひとつの事件ではっきりものをいわず、問題の本質を衝かずズルズルと事態を追認していき、気がつけばすでに銃口を眼前に突きつけられ、全面屈伏に追い込まれていたのである。

 『時事新報』編集局長で戦前、日本を代表する軍事評論家であった伊藤正徳は、満州事変から二・二六事件までを国運興亡の重大事件が連発し、社説の価値を発揮する絶好の機会が到来したと思った。ところが、残念なことに社説が最も活躍すべきときにしなかったと、伊藤はホゾをかんだ。

 伊藤は新聞が敗北した理由を三つ挙げている。

新聞人の勇気の欠如

②言論に対する抑圧

③新聞の大衆的転化

言論抑圧の日増しの強さ、新聞の大衆化を痛烈に感じながらも、「それでもなお新聞人が勇気を欠いたことは争うを得ない」と断罪している。

 「筆者自身もそれを感じたことがある位だから、第三者からみて、主張すべきを主張しなかった怯儒の評を受けることは当然であろう。自ら意気地がないと意識しつつ、渋々ながら筆を矯める必要に迫られたことを筆者自身も体験する。言論生命の為に、一社の運命を一論に賭するの進攻的勇気は敢て求めないにしても、防禦の筆陣を包囲的に展開する程度なら、当然に新聞人に要求されてしかるべきであろう。昭和六年-九年の社説は、この点に遺憾があり、以て社説の社会的価値を増すべき時に減じた観がある」

 伊藤がこう嘆いたのは一九三四(昭和九)年の段階であるが、新聞人が何ものかを恐れ、自粛して、言うべきことを言わぬ“義務の放棄”は以後もいっそう顕著になってくる。五・一五事件と比べ、二・二六事件の論説は大きく後退し、軍部のテロを厳しく批判追及する言論はすでになかった。

 新聞の勇気の欠如はついに八百長、悲しきピエロになり下ったと批判される始末となる。『中央公論』(一九三六年三月号)は事件の特集を組んだが、その中の稲原勝治「この頃の新聞」はこう書いている。

 「この頃の新聞は、誠にダラシがないと、十人寄れば、七、八人までは言って居る。ここに政党に対すると同じく、慢性的不信任の声が、挙げられて居ると見るべきであろう。…この間も或る席で、政治家と、新聞記者との間に、一場の問答が行われた。記者の方では、この頃の政党のザマは何んだ。なっていないではないかと言ったところ、政治家の方では、新聞記者だって、個人的に話して見ると、傾聴すべき議論を持って居るのに、それが少しも紙面に反映されて居ないのは、何ういう訳なのだ。結局水掛け論に終った」

広津和郎も「八百長的な笑い」と題して次のように書いた。静かな口調だが胸に刺さる。「第一の不満は、今の時代に新聞がほんとうの事を言ってくれないという不満です。日本のあらゆる方面が、みんなサルグツワでもはめられたように、どんな事があっても何も言わないという今の時代は、……新聞が事の真相を伝えないという事はたまらないことです。

 信じられない記事を書く事に煩悶している間はまだいいと思います。併し信じられない記事を書かされ、『何しろこうより外仕方がないから』と、いわんばかりに八百長的な笑いをエヘラエヘラ笑っているに至っては沙汰の限りです。最も尊敬すべき記者諸君が、これでは自分で自分を墓に埋めてしまう事になると思います」

二・二六事件で言論の自由は完全に息の根を止められた。

新聞が。“悲しきピエロ”になり下がった中で、唯一、真正面から批判したのは東京帝人教授の河合栄治郎(1891~1944)であった。河合は3月9日付『帝国大学新聞』で

「2.26事件」という論文を書き、国民の防衛のために武器を託されている軍人が、その武器によっで国民の信頼に反して、テロに走った点を厳しく批判。「(暗殺された斎藤実、高橋是清らは)ファシズムに対抗する一点に於ては、吾々の老いたる同志」と述べ、「今や国民は国民の総意か一部の暴力かの、二者択一の分岐点に立ちつつある」と書いた。

 「暴力の前にいかに吾々の無力なることよ。だが、此の無力感の中には、暗に暴力讃美の危険なる心理が潜んでいる、これこそファシズムを醸成する温床である。暴力は一時世を支配しようとも、暴力自体の自壊作用によって瓦解する」

 テロで誰もがふるえ上がった中で、直言批判した河合の勇気はおそるべきである。しかし、批判はマトを射ていただけに、軍の恨みを買い、一九三八(昭和一三)年には『ファシズム批判』『時局と自由主義』など四著が発禁となり、翌年に起訴された。(引用ここまで)

 

 

 新聞が安倍自公政権に言うべきことを言わぬ「義務の放棄」「悲しきピエロ」「新聞の大衆化」、「節目の一つひとつの事件ではっきりものをいわず、問題の本質を衝かずズルズルと事態を追認」「国民の自覚へと論点をズラし」していく事態は、まさに現代的に言っても教訓的です。

 その点で言えば、以下の「朝日」の「社説」は良い教科書です。以下ポイントの部分のみ掲載しておきます。

企業の挑戦―個性に裏打ちされてこそ2013年1月4日(金)付

http://www.asahi.com/paper/editorial20130104.html

だが、日本企業はモノづくりへの自信に溺れ、売る努力の方向性を見失った感がある。正価で売れず値引きし、デフレに苦しむ。 いま一度、自らの製品やサービスの価値を世界に認めさせる力、つまりブランド力を取り戻すために知恵を絞らなければならない。新興国が台頭し、ますます「個性」が競い合う世界の中で埋没しないために。JR九州は、今秋から豪華な周遊列車「ななつ星」を走らせる。由布院(大分)や霧島(鹿児島)、阿蘇(熊本)など5県をめぐる3泊4日コース(2泊は列車泊)は2人で最高110万円。海外の旅行会社からの引き合いも増えている。 移動手段である鉄道を「滞在場所」と位置づけたことで新境地が開けた。ヒントは豪華客船の旅だ。 もっとも、立派な車両や車内サービスだけでは完結しない。立ち寄り先のさまざまな接遇との相乗効果こそ生命線だ。 世界の金持ちを相手にごまかしはきかない。「本物は何か」という厳しい自問と、何より優れた着想力が求められる。 これまでユニークな観光列車で経験を積んできたJR九州にとって、ななつ星は集大成だ。同時に、アジアからの観光客誘致に取り組んできた個性ある地域を結んで、新たな価値を創造する使命も帯びる。(引用ここまで)

 民主主義を考える―「私たち」を政治の主語に2013年1月5日(土)付

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

政治不信は深まり、政党の支持者は細った。人々は「支持」よりも「不支持」で投票行動を決めているようにみえる。根の枯れた政党は漂い、浮き沈みを繰り返す。 不支持という負の感情を燃料に、民主主義はうまく動くのだろうか。…どうすれば、人々と政治は、正の感情でつながれるのか。 政治はサービス産業で、私たちは顧客。不満なら業者(政党)を代えればいい――。 そんな感覚なら、幻滅を繰り返すだけだ。少子高齢化が進むいまの日本。だれが政権を担っても、満足なサービスを提供し続けるのは難しいのだから。…期待に応えぬ政治を嘆き、救世主を待つのは不毛だし、危うい。簡単な解決策を語る者は、むしろ疑うべきだ。  市民みずから課題に向きあい、政治に働きかける。政治は情報公開を進め、市民の知恵を採り入れる仕組みを整える。  投票するだけの有権者から、主権者へ。「民」が主語となる本来の民主主義へと一歩、踏み出すしかない。横尾さんは、街を掃除する若者たちのNPO法人「グリーンバード」代表でもある。全国や海外で43チームが活動する。 「みんなで汗をかき、周りから『いいね!』と言ってもらえるのは楽しい。政治もみんなで楽しく、かっこよくやりたい」  賛成だ。私たち自身が主語ならきっと、民主主義は楽しい。(引用ここまで)

 この「社説」の問題点は、以下のとおりですが、如何でしょうか?

1.「日本企業は」という「主語」が曖昧です。企業の中身が不問ですが、何故でしょうか?このことは総選挙の際の「各党」論に典型的に表れていました。

2.「世界の金持ちを相手に」という対象にみるように、目線が問題です。働く貧困層や働けない貧困層の激増にあって、さらには限界集落や限界町会などの激増、しかもこれらのコミュニティーがどのような政治の下で大量に生産されてきたか、そこにマスコミはどのように関わってきたか、そこに関わっているピープルを対象からはずしているのです。

3.「日本の企業」がものづくりに「溺れた」原因は何か、「立ち寄り先のさまざまな接遇」を作り出してきたのは何か、その原因を作り出す上で、政治とマスコミはどのような役割を果たしか、不問です。

4.そのことは「政治不信は深まり、政党の支持者は細った」原因解明についても同じです。

5.「どうすれば、人々と政治は、正の感情でつながれるのか」について、「朝日」の記事はどうか、検証が必要でしょう。原発と基地、「日の丸」を考える際にどのような記事を掲載してきたかを見れば明瞭です。「」の記事の紹介より「負」の記事を強調することで、「政治不信」を醸成してきたのでないのか、です。今「朝日」自身の問いかけに答えるとすれば、「」と「負」の相互浸透と克服の事例です。そういう意味で、この「社説」は「」を強調しているようでいながら、「負」に至った経過や原因を無視して「」を取り上げていますが、改めて、ここでも「朝日」の「上から目線」を象徴しています。

6.確かに「『本物は何か』という厳しい自問と、何より優れた着想力が求められる」「市民みずから課題に向きあい、政治に働きかける」「新たな価値を創造する使命」という命題は間違ってはいません。しかし、こうした視点が、総選挙報道に貫かれたのかどうか、検証されなければなりません。

 以上の述べてきた問題点について、戦前のマスコミの犯した過ちは、最大の回答を与えてくれています。


憲法9条と軍事同盟は共存できない!マスコミは戦前の歴史を学んだ論陣をこそ!

2013-01-03 | 日記

昨日につづいて、今日は元日の地方紙の「社説」をみてみます。多くの社説が憲法や日米安保を書かなかった中で、愛国者の邪論が一覧した限りでは、安倍自公政権の「憲法改悪」が大きな焦点になってくるであろう今年の日本の課題にあって、憲法と日米軍事同盟について触れたものは、極めて少なかったというのが、感想です。

 その中で、具体的に憲法と「日米同盟」を論じている沖縄の2紙と北海道、共同の「東京」「中日」に注目してみました。

 北海道新聞社説 転機の日本に 国の針路と安倍新政権 政治に任せきりにすまい(1月1日)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/430908.html

安倍首相は、憲法改定、国防軍の創設などを掲げ、平和主義など日本の戦後の路線を否定する意思が鮮明だ。外交では「断固として」などの言葉を繰り返して威勢がいい。 安倍氏の登場そのものが日本の転機をつくりだす可能性がある…声高に自国の立場のみを主張する外交姿勢では、国際社会で支持を失いかねない。仮に国民の喝采を得たとしても、それは危険な道である。 領土問題はあくまでも「理」を尽くして説得する。平和主義に徹して世界の人々と手をつなぎ、貧困や病苦の克服に役割を果たす―誇りを持ってそんな国づくりを進めるべきだと、わたしたちは考える。 転機に針路を決めるのは政治の役割だ。しかし、有権者は政治家に白紙委任を与えたわけではない。(引用ここまで)

 ここまで書きながら、憲法9条や国連憲章に踏み込んだ論説とはなっていません。勿論憲法9条を書けば良いのかという単純なことを言っているのではありません。「自国のことのみを主張する外交姿勢」を戒めている憲法前文をありますが、多くの国民が、「何となく憲法を変えたほうが良い」、「憲法は旧い」観・感で、憲法を見ているのではないでしょうか?

 そうした憲法に対する国民感情が醸成されてきたのは、改悪しようとする勢力の「感情移入」が働いていること、これにたいして友好な論陣が張られてこなかったことなどが原因として考えられます。だからこそ「感情移入」と同時に「歴史的理性移入」をしていくことをこそ、マスコミには求めていきたいと思います。

 沖縄タイムス社説[正念場の沖縄]国際世論を動かす時だ2013年1月1日 09時30分

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-01_43430

中国の海洋進出や尖閣をめぐる強硬姿勢は、日本国民を不安がらせ、国民の嫌中感情をかきたてる。そうした国民の不安感を背景に、安倍晋三首相は、集団的自衛権の行使容認や防衛計画の大綱(防衛大綱)の見直し、日米同盟の強化などを矢継ぎ早に打ち出した。 政府や一部メディアはここぞとばかりに、オスプレイの強行配備や米軍普天間飛行場の辺野古移設を中国の台頭と関連づけ、正当化し始めた。 新年早々、きな臭い話で申し訳ないが、実際、いやぁーな空気だ。…一地域に住む人びとの圧倒的な犠牲を前提にしなければ成り立たないようなシステムをこのまま放置し続けていいのか。政治家や官僚だけでなく、日本人全体に考えてほしい。臭い物にフタをして世界に向かって自国を誇るのは恥ずかしい。 沖縄の基地を直ちに全面撤去せよ、という極端な議論をしているわけではない。「オール沖縄の民意」をくんで日米合意を見直し、公正で持続可能な安全保障の仕組みを検討すべきだと言っているのである。…アジアの国際物流拠点をめざす国際貨物ハブ事業をはじめ、再生可能エネルギーやバイオ産業など、新産業分野の動きが活発だ。(引用ここまで)

 「沖縄の基地を直ちに全面撤去せよ、という極端な議論をしているわけではない」という「沖縄タイムス」の主張が象徴的です。自嘲気味で言っているようにも思えますが、事はそのような悠長なことを言っている時ではないことは、「沖縄タイムス自」身が承知していることです。

 米軍基地の「全面撤去」を「極端な議論」として論じている「沖縄タイムス」の立ち居地こそ、日米軍事同盟を抑止力として認めている「沖縄タイムス」の立ち居地です。こうした論陣が選挙戦の時に何を論じていたか、それをみれば、沖縄の、全国の米軍基地を温存させている実態が浮き彫りになってきます。

社説[きょう公示]公約の違い明確に示せ

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-12-04_42337

社説[憲法改正]重視したい沖縄の視点

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-12-06_42417

社説[公約を問う・地位協定]なぜ議論がないのか

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-12-08_42507

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-12-09_42542

社説[きょう投開票]違いを見極め一票を

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-12-16_42814

 それにしても、米軍基地の、日米軍事同盟の最前線に位置する沖縄のマスコミが、このような思想を堅持していることをみると、全国のマスコミの実態も当然といえば当然でしょう。こうした思想の状況を何としても変革していかなければ、沖縄の負担軽減も、国民の苦しみも克服できないことは明らかです。

 この「沖縄タイムス」の「思想」については、今後、さらに系統的に検証していきたいと思います。

 琉球新報社説 新年を迎えて/平和の先頭にこそ立つ 自治・自立へ英知を2013年1月1日 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-200924-storytopic-11.html

わたしたちは戦後68年の年の初めに、まず「平和国家日本」の足跡をかみしめたい。同時に沖縄社会の望ましい未来を見据え、平和と自治、自立の在り方について、県民論議を重層的に深めていくべきだと提起したい。 戦争放棄をうたう日本国憲法、激戦地沖縄や被爆地広島・長崎が発する反戦・反核のメッセージ。それらは、歴史の教訓に学ぶ日本の映し鏡として、国際社会の日本観を醸成してきた。日本にとって貴重な「平和資産」と言えよう。 日本は「平和憲法」を生かし、世界平和の先頭に立つ。沖縄でもそれが議論の前提だと考える。…「多数決」の前に、「熟議」があって初めて政策の民主的正統性は担保される。自民、公明両党には自制心を持ってほしい。日米合意を見直し、県外・国外移設、閉鎖・撤去への道筋を描き直すべきだ。 日米は自由、民主主義、人権尊重、法の支配を共通の価値観と喧伝(けんでん)する。ならば、アンフェアな沖縄政策も根本的に見直すべきだ。 一方、沖縄は道州制導入に積極的だった安倍首相の再登板を、自治権拡充の転機とする構想力や交渉力があってもいいだろう2009年9月、沖縄道州制懇話会…「新沖縄州政府」像…「琉球自治共和国連邦独立宣言」…平和を着実に前進させたい。平和学の世界的権威の一人で、平和的手段による紛争解決のための非政府組織(NGO)「トランセンド(超越)」の代表であるヨハン・ガルトゥング氏は、戦争のない状態を「消極的平和」と捉え、貧困、抑圧、差別など安全や人権を脅かす「構造的暴力」がない状態を「積極的平和」と定義する。 目指すべきは「積極的平和」だ。軍事同盟では「構造的暴力」を解消できない。(引用ここまで)

 「琉球新報」は「沖縄タイムス」に比べれば明快です。その点では「あっぱれ!」です。

 しかし、憲法9条を高らかに謳いながら、沖縄の「平和と自治、自立の在り方」として、「沖縄道州制懇話会」「州政府」「琉球自治共和国連邦独立宣言」路線へ、そうして「消極的平和」から「積極的平和」へと論を進めながら、さらには、「軍事同盟では「構造的平和」は「解消できない」とまでは論じていても、日米軍事同盟廃棄を通して日本国のアメリカからの「独立」は展望しない、日米の「支配層」とは真っ向から向き合わないのです。ここに「琉球新報」の思想の到達点があるように思います。

 自民政権奪還/暮らしの課題解決を 在沖基地押し付けは限界2012年12月17日 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-200399-storytopic-11.html

行き詰まりを直視するなら、基地政策の大胆な見直しが必要だ。それは日米関係の見直しに直結しよう。米国の言いなりでなく、自主的かつ対等な交渉が求められる。(引用ここまで)

 こうした沖縄2紙の思想の原因は、日本国全体の憲法や日米安保の「思想」状況を反映したものであることは明らかですが、それにしても、「アジアの国際物流拠点」「積極的平和」を目指すのであれば、その思想を全国民に訴えていく「勇気」が必要ではないでしょうか?

 沖縄の「帝国の南門」「太平洋の要石」「中国の防波堤」という位置づけを逆手に取ったアピールこそ、日本国民を、そして東アジアを、東南アジアを動かしていくのではないでしょうか?それは琉球王国以来の思想であるようにも思いますが、沖縄学の父といわれている伊波普猷、沖縄のガンジー阿波根昌鴻など、沖縄の輝かしい歴史遺産を、今こそ活かしていくことが大切ではないでしょうか?

 【東京社説】年のはじめに考える 人間中心主義を貫く2013年1月1日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013010102000100.html

…満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至りました。三百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。簡単には変えられません。(引用ここまで)

 「東京」も明快です。しかし、その「東京」にしても、「日米軍事同盟」に対しては、及び腰です。「十五年戦争」による「日本の破局」だけに眼を向ける思想からはアジアや欧米に対する「戦争責任」は出てこないでしょう。こういう認識と思想であるからこそ「日米同盟」に対して、以下のような思想になるのだと思います。

 【社説】2012選択(8)沖縄米軍基地 耐えがたき、この断絶2012年12月14日

海洋進出を強める中国に対抗して、沖縄に基地を押し付けて日米同盟を強化する動きさえある。…この三年間で沖縄と本土との断絶は、耐えがたいほどに広がってしまったのではないでしょうか。日米安全保障条約が日本の平和に必要なら、基地負担は日本国民が等しく負うべきです。同じ国民として沖縄の苦悩に寄り添えるのか。政治家だけでなく私たち有権者の覚悟も問われているのです。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012121402000134.html

 「日米同盟」の「強化」が沖縄県民にとって「耐えがたい」ものであるならば、何故「基地負担」を日本国民が等しく負うべき」ものなのでしょうか?「東京」のような思想では、1920年代から30年代にジャーナリストとして時の権力に真っ向から論陣をはり、その主張は「戦争の惨禍」によって証明された石橋湛山の教訓を活かしているとはとても思えません。今「東京」に必要なことは、石橋湛山の思想の教訓を、今に活かすことではないでしょうか?

 もう一つ付け加えるのであれば、「若者、働く者に希望を」の項で論じている内容そのものは、共産党の主張とほぼ、というか全く同じであるということです。そこで論じられていることと、選挙期間中に「各党」を紹介する際の視点がどのようなものであったか、検証されねばなりません。何故ならば、日本のマスコミが国民に事実を伝えるという点においても、石橋湛山の爪の垢でも飲まなければならないと思うからです。

 2012選択(5) 年金 若者の信頼を取り戻せ2012年12月11日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012121102000115.html

2012選択(6) 雇用創出 政治の意思が問われる2012年12月12日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012121202000124.html

2012選択(7) 命の問題 向き合ってくれるのは2012年12月13日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012121302000129.html

 

以上、長くなりましたので、これで終わります。最後に、

 いずれにしても、日本国憲法の思想を、すべての日常生活のなかで意味づけ、具体化する。このことを徹底して貫けば、「日米同盟」、「日米軍事同盟」は廃棄されなければなりません。日本が進むべき道は、紛争の非暴力・非軍事による解決、すなわち平和的手段、話し合いによる解決の道こそが、世界に信頼される唯一の方策と言えます。

 このスタンスを明確にすることでこそ、経済的・文化的交流も、国際的連帯も深まっていくことでしょう。そうしてこそ、諸民族・諸国民の暮らしも安定から発展へと突き進んでいくのではないでしょうか?そのことは憲法のあらゆる条文のなかに明記されているのです。


元日の社説で日米安保廃棄と憲法擁護をセットで論じない日本のマスコミは日本をどこに導くか!

2013-01-02 | 日記

毎年のことですが、愛国者の邪論が元旦の社説で注目しているのは、現在の日本において、この国の最高法規である日本国憲法を論じることがタブーなってきたなかで、元旦にあたって各紙がどのように論じているかということです。今年はこのことに加えて、日米軍事同盟がどのように論じられているか、についても注目してみました。

 その理由は、憲法と安保は、その立ち居地が真っ向から対立しているからです。かつて憲法法体系と安保法体系が矛盾していることが論じられていた時代がありましたが、今やこうした論陣は皆無のように思われます。そのことは「日米同盟」が「深化」されてきたことを物語っているように思います。これも、95年日米安保共同宣言などを契機として、着々と国民の中に日米軍事同盟が浸透させられてきたこと、今や日米同盟という名の日米軍事同盟の廃棄を論じることはタブーとなってきているように思われます。

 さて、こうしたことを踏まえて、全国紙と地方紙の社説をみてみました。「産経」は掲載されていません。

 まず全国紙です。

混迷の時代の年頭に―「日本を考える」を考える2013年1月1日(火)付

http://www.asahi.com/paper/editorial.htm

昨日の記事で書きましたが、憲法も日米安保も記事としては書かれていません。その意味については、ここでは書きません!

 政治の安定で国力を取り戻せ (1月1日付・読売社説)

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121231-OYT1T00794.htm

集団的自衛権の行使を可能にする「国家安全保障基本法」の制定を提案することもできる。尖閣諸島国有化をめぐる中国との対立、北朝鮮の核・ミサイル開発などに対処するためには、集団的自衛権の行使を容認し、日米同盟を強化することが必要だ。こうした認識を共有できるよう、与野党で議論を重ねてもらいたい。…日米原子力協定によって、日本には核兵器にも転用できるプルトニウムの保有が認められている。野田政権が決定した「原発ゼロ」方針の下では、その特別な権利も、原子力の平和利用や核不拡散をめぐる米国のパートナーとしての地位も、失うことになる。…米国主導で自由貿易を推進するTPPは、今年中の交渉妥結を目標としている。(引用ここまで)

 「読売」の主張する「政治の安定」とは「日米同盟の強化」であることが読み取れます。この新聞が、どこまで対米従属で、卑屈か、よく判ります。しかも、憲法9条の「改正」という言葉は「刺激的」と思っているのでしょうか、「集団的自衛権の行使」という言葉を使うことで、改悪にもっていこうとする意図が透けて見えてきます。これも「国際的に認められている権利ならば使わない手はない」論の方が国民的に受けが良いと思っていることの反映でしょう。こうした論法でオセロの四隅を取ろうとしていることも透けて見えてきます。

 国力を高める(1) 目標設定で「明るい明日」切り開こう 2013/1/1

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO50212090R00C13A1PE8000/

戦後を考えると、だれもが等しく豊かで自由な社会をつくるという共通の目標があった。吉田茂元首相が敷いた軽武装通商国家の路線のもと、経済大国をめざした。…深刻な対立がつづく日中関係は、危機回避の戦略を確立する必要がある。自助努力による防衛能力の向上は当然だが、日米同盟を深化させなければならない。(引用ここまで)

 吉田の「軽武装通商国家の路線」は、実は「非武装・中立地帯案」(1950年10月)というものです。これについては、豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―』を参照していただき、ここではふれません。

同時に「日経」は「自助努力による防衛能力の向上」と対米従属の「日米同盟」の関係を見事に語っています。

 「巨額の赤字を抱える財政は身動きが取れない」状況を作り出してきたのは自民党と自公政権であったこと、「海外での稼ぎを国内に還流させる必要」をないがしろにしてきたこと、その奥にあるものが「日米同盟」と財界擁護路線であったことには沈黙です。

 社説:2013年を展望する 骨太の互恵精神育てよ 毎日新聞 2013年01月01日 02時30分

http://mainichi.jp/opinion/news/20130101k0000m070065000c.html

戦後軽軍備・経済重視路線を堅持する中で、為替危機、石油ショック、バブル崩壊などいくつもの激変を乗り切ってきた日本経済である。今こそ、その底力を発揮して成熟経済対応にギアチェンジする時である。 互恵の精神は、世代間対立だけでなく、国と国との関係にも応用できる。二つ目に試される日本政治の平和力とも関わってくる。…戦後の平和を支えてきたのは、あの戦争に対する反省からきた二度と侵略戦争はしないという誓いと、現実的な抑止力として機能する日米安保体制であろう。係争はあくまでも話し合いで解決する。もちろん、適正な抑止力を維持するための軍事上の備えは怠らない。そのためには、日米安保体制の意義、機能を再確認しておくことが大切だ。そのうえで1920年代の歴史から学びたい。日本で初めて2大政党が定着し大正デモクラシーが高らかに宣言された時代である。だが、結果的に政党政治は平和を守り切れなかった。関東大震災や世界恐慌で経済が混乱し中国大陸に対する帝国主義的な領土拡張競争が激化する中、排外主義的対外強硬路線の大声が、妥協主義的国際協調路線の良識をかき消し、軍部独走、大政翼賛政治が私たちを無謀な戦争に追いやった。領土や主権をめぐる争いは双方がどちらも譲歩できないことにより、いたずらに対立がエスカレートするのも歴史が教えるところである。 安直な排外主義を排し、大局的な国際協調路線に立ちたい。…こういった日本の立場と主張をアジア諸国を中心に世界に対し粘り強く丁寧に説明し理解を得て仲間を作る。決して孤立化しないことだ。中国との間では、戦略的互恵路線がいかに両国関係にメリットをもたらしたかを改めて確認したい。まずは、強硬路線の悪循環を排し現状維持の緊張に耐え抜くことだ…実現に汗をかくのは一義的には政治家だが、彼らにそういう仕事をさせるのは、私たち国民であることを改めて胸に刻みたい。(引用ここまで)

 社説:普天間問題 「そこにある危険」除け 毎日新聞 2012年12月31日 02時31分

http://mainichi.jp/opinion/news/20121231k0000m070059000c.html

安倍政権がまず取り組むべきなのは、移設が実現するまでの間、普天間飛行場周辺住民の危険性を早急に除去・軽減する手立てを講じることだろう。これは、鳩山政権による「普天間の迷走」以降、問題解決に消極的になった民主党政権が放置してきた課題である。…政府は違反の有無を検証し、違反があれば米側に厳重に改善を申し入れるべきだ。 安倍政権が検討しているオスプレイの本土への訓練移転は、沖縄の負担軽減に結びつくが、訓練にとどまらず、普天間飛行場の基地機能を分散移転すれば、周辺住民の危険性は大幅に軽減できる。 小野寺五典防衛相は普天間飛行場の固定化回避を強調している。同時に、「今そこにある危険」を除去する方策を真剣に検討してほしい。(引用ここまで)

 「毎日」に至っては、「今そこにある危険」を「除去する方策を真剣に検討」などと述べてはいるものの、その「危険」の権化である「日米安保体制」を「現実的な抑止力として機能」しているとして「適正な抑止力を維持するための軍事上の備えは怠らない。そのためには、日米安保体制の意義、機能を再確認しておくことが大切」などと正当化、合理化しているのです。

 こうした視点に立つからこそ、「沖縄の負担軽減」のために「危険」を「分散移転」するなどと見当違いに陥っているのです。

 このことは、「戦後の平和を支えてきたのは、あの戦争に対する反省からきた二度と侵略戦争はしないという誓いと、現実的な抑止力として機能する日米安保体制」と比較して述べながら、高らかに憲法9条を指摘しない「毎日」の姿、トリックがあります。憲法9条を表現することを自らタブー視しているのです。ここまで退廃していいのでしょうか?事は日本国家の最高法規です。憲法9条は言わないでおいて日米安保体制は言える、ここに「毎日」を初めとした日本のマスコミ界の現実があるというのが、愛国者の邪論の主張です。

 もう一つあります。「毎日」は「大正デモクラシーが高らかに宣言された時代」「結果的に政党政治は平和を守り切れなかった」「関東大震災や世界恐慌で経済が混乱し中国大陸に対する帝国主義的な領土拡張競争が激化する中、排外主義的対外強硬路線の大声が、妥協主義的国際協調路線の良識をかき消し、軍部独走、大政翼賛政治が私たちを無謀な戦争に追いやった」などと述べていますが、この筆者は主語を曖昧にしています。しかも「領土や主権をめぐる争いは双方がどちらも譲歩できないことにより、いたずらに対立がエスカレートするのも歴史が教えるところである」「実現に汗をかくのは一義的には政治家だが、彼らにそういう仕事をさせるのは、私たち国民であることを改めて胸に刻みたい」などと「上から目線」で説教を垂れているのです。

 「毎日」の言う「歴史」の最大の教訓は、大日本帝国憲法下において「治安維持法」が猛威を振るったこと、その法の最大の対象であった共産党を大弾圧して、国民に恐怖感を浸透させ、「見ザル・聞かザル・言わザル」状態に、すなわち「無関心」状態に陥れてはじめて戦争が可能になったこと、そうした状態に国民を陥れるうえで「毎日」の先輩である「東京日日」「大阪毎日」が戦争に向かって扇動したこと、政友会と憲政会(民政党)の二大政党政治を煽ったことによる政治不信を醸成したこと、などなど、「歴史」の「反省」と「責任」問題を曖昧にしていることは笑止千万と言わなければなりません。

塚本三夫『侵略戦争と新聞』新日本出版社・前坂俊之『太平洋戦争と新聞』講談社学術文庫を参照していただければ、明瞭ですが、引用は別項に譲ります。 

こうした「毎日」をはじめとした日本のマスコミの立ち居地が総選挙の際の憲法と安保を争点化しなかった最大の要因ではないかと思うのです。これは日米軍事同盟容認・深化派と財界擁護派の強さのように見えますが、実は最大の弱点ではないかと思います。

彼らの論理の矛盾を詳細に明らかにしていくことで、国民の利益にとって、最大の障害が日米軍事同盟であること、財界擁護であることを世に知らしめていくこと、このことこそが、憲法に基づく民主国家の構築と国民生活の豊かな国ニッポンを構築していくことになるのではないかと思います。

 次に地方紙です。長くなりましたので、別項に譲ります。


「国家を相対化」させたい「朝日」は「日の丸を掲げたい街」を特集、またしても姑息さ浮き彫り!

2013-01-01 | 日記

元日の「朝日」の記事を見て、「またか!」と呆れました。それは13面の「社説」と39面の社会面の記事を読んでです。

 一見すると、「事実」の報道記事として、また現在石原・橋下・安倍氏などの唱えているナショナリズムの横行に対して公平な、バランス感覚を強調しているかのように見えますが、トンデモない紙面と言えます。それは社会の公器として言論・思想・信条の自由を公平に伝えなければならないという最大の立脚点を忘れ、捻じ曲げ、歴史と日本国憲法「尊重擁護の義務」を放棄するものだからです。以下、その理由を述べてみます。

 1.「私たちが抱える、うんざりするような問題の数々は、『日本は』と国を主語にして考えて、答えが見つかるようなものなのか、と。領土問題がみんなの心に重くのしかかっていたせいもあるだろう。年末の選挙戦には『日本』があふれていた」と言いながら、紹介しているのは、自民と公明、維新だった。そもそも政党の名前に「日本」を関して冠している政党があるのに、です。意図的です。しかも、「でも、未来の日本についてはっきりしたイメージは浮かび上がらなかった」などと、まともな政策論争をサボタージュしておきながら、よくもこういうことが言えたものです。本当に「未来の日本」について打ち出した政党がいなかったのか、「朝日」はどれだけ検証したか、です。

 2.「グローバル経済に振り回され、1人では乗り切れないのは日本も同じだ」などと、「日米同盟」容認・深化派の「朝日」は、ここでも平気でウソをついています。「1人で乗り切れない」のは、日米軍事同盟に縛られている日本、そのことについて、廃棄派の主張を無視しているのは「朝日」を初めとした日本のマスコミではないのか!です。

 3.さらに言えば、大阪市の橋下徹市長共著書「体制維新―大阪都」のなかの一節世界経済がグローバル化するなかで、国全体で経済の成長戦略を策定するのはもはや難しいと僕は思っています」という言葉を引用することで橋下市長に市民権を与えているのです。彼こそが、日本維新の会の名の示すとおり、日本のナショナリズムを煽る復古政党であることは、大阪市で強行し「日の丸」「君が代」強制条例を見れば明瞭です。経済的には「カジノを大阪に」などという無謀な計画をグローバル化と成長戦略の名の下に持ち込もうとしていること、大阪財界の応援団として、旧い体質を持った政治家であることを黙殺しているのです。

 4.「国家以外にプレーヤーが必要な時代に、国にこだわるナショナリズムを盛り上げても答えは出せまい。国家としての『日本』を相対化する視点を欠いたままでは、『日本』という社会の未来は見えてこない」などと批判的な装いをこらしながら、そうであるならば、石原前吐知事の尖閣買取発言などが引き起こした経済的損失について、批判を加えてこなかったことなどは不問なのです。

 5.「国家が主権を独占しないで、大小の共同体と分け持つ仕組みではないかという」というのであれば、沖縄県の米軍基地問題はどうするのでしょうか?

 6.「国家」は「国民主権」を基礎にして成り立つという常識を踏み外した「ナショナリズム」が横行しているのは、マスコミの報道の仕方に問題があることは、この間ずっと指摘してきましたが、健全な「ナショナリズム」としての「ものさし」は日本国憲法にちりばめられていますが、憲法より日米同盟重視の「朝日」は、憲法の原則を忘れてしまっているようです。

 このことは、39面の記事にも言えます。その理由は、

 1.「国家を相対化」する主張を言いながら、真逆の事実を「相対化」して報道しているかのように装いながら、実は国家主義の先導的役割を果たしているのです。

 2.「日の丸」「君が代」の歴史を曖昧にしていることです。幕末薩摩藩が「日の丸」を使用したのは事実です。しかし、当時の戊辰戦争では幕府方が日の丸を使用し、天皇方は「錦の御旗」=菊の紋章を使用しました。日の丸は賊軍の象徴でしたが、そのような事実は黙殺しているのです。しかも「終戦時2歳。戦争の記憶はない。日の丸とも結びつかない」という言葉の背景をということもなく、です。

 3.「近所同士、人同士がつながっていたあのころ、大切にされていた礼儀や感謝の気持ちも日の丸に感じるんですわ」「繊維製品の生産地は中国や韓国に移り、町はさびれた」などの「事実」を紹介し、「感情」論に訴えていますが、そもそも、こうした「町はさびれた」事実は、日の丸を推進してきた勢力が跋扈してきたからではないのでしょうか?そうした事実を抜きに、「町おこし」の象徴として「日の丸」を利用している事実を「利用する」意図は何か、です。

 4.「日本国民として国を大切に思い」とありますが、それが「日の丸」掲揚にあるというは、あまりに感傷・感情的で、「教育基本法は『国と郷土を愛する』を目標に掲げている。公教育は法律に従ってなされるべきだ。イデオロギーの問題ではない」などと「日の丸」「君が代」を批判する「考え方」を「イデオロギー」として片付け、排除する側に立った記事と言えます。そもそも「旧教育基本法」が存在していた時には、「公教育は法律に従って」などと言わなかったはずです。極めて意図的です。

 5.「国家主義・軍国主義の復活につながる」と学校への日の丸持ち込みに反対してきた県教職員組合は大きな反対運動を起こさなかった」のは、連合が結成されたことによって、連合に加盟した日教組と文部省が手を握ったからに他なりません。日教組大会に文部大臣が参加するとか、各県の教組の役員が管理職に登用されているなどということは教育界では常識中の常識です。大分県の教員採用試験は、その象徴的事件でした。

 6.そのような事実を抜きに、反対運動が起こらなかったことをもって「日の丸」「君が代」が国民の中に認知されているなどということは、はなはだ疑問ですし、斉唱掲揚が数字的には100%であるという「事実」のウラには、どれだけの「強制」が横行し、そのことが、現在の教育現場の「劣化」を生させてきたことを検証すべきです。

 7.「感情」論が横行する社会にあって反対意見を「少数」であるかのように描き、沈黙させる「社会」「国家」こそ、相対化されなければなりません。しかし「朝日」の記事は、そのような視点からかけ離れた、欠落した記事といわなければなりません。

 8.「社説」と「記事」は違うということを以前対談で述べていましたが、この記事を見る限り、同一線上に位置すると言えます。これでは中国の「反日教育」を批判することはできないでしょう。

 

それでは、ネットに掲載されていないようですので、記事を掲載しておきます。写真はカットします。

 39面の記事

日の丸を揚げたい街

「人がつながっていたあのころ感じる」「地元の財産。子らに誇りを持たせたい」「教育基本法にある目標に従うべきだ」

 日の丸。官民を挙げて掲揚に乗り出した市や町がある。かつての繁栄への郷愁、どうにもならない行き詰まり感。旗への素朴な思いが、街を染めていく。

 石川県中能登町は掲揚率日本一を目標に掲げている。能登半島の真ん中にある米作と繊維の町。31日夕、全約6600世帯に町内放送が流れた。

 「年の初めをお祝いするため各家庭での日章旗の掲揚について、ご協力をお願いします」

 町は昨年9月、日の丸購入者に千円の商品券を配る制度を始めた。提案したのは町議の作間七郎さん(69)。2005年に3町合併でできた町の初代議長だ。

 始まりは新しい町の「日本一」探し。合併前の旧鳥屋町が10年余り前、町制60周年を記念して全世帯に日の丸を無料配布したことがあっだ。「日本で一番祝日を祝う町だ。予算もかからない」。終戦時2歳。戦争の記憶はない。日の丸とも結びつかない。

 50~70年代、一帯の企業集積率は「東洋一」と言われた。繊維製品の工場がひしめき、東北から集団就職者が押し寄せた。カシャン、ガシャンと機織りの音が24時間響いた。年の瀬には子どもが家々を回り、大人に見守られ餅をついた。

 旗日には、家々の軒先に日の丸がはためいていた。

 「近所同士、人同士がつながっていたあのころ、大切にされていた礼儀や感謝の気持ちも日の丸に感じるんですわ」

 繊維製品の生産地は中国や韓国に移り、町はさびれた。工場数は往時の1割以下。3世代同居の大家族はめっきり減った。

 議会では異論もなく、町は全世帯の半数近い3千世帯分の予算を組んだ。ポール付きセットで3700~4800円の日の丸を紹介するチラシも配った。だが、昨年末までの申請は約70件。杉本栄蔵町長(71)は「まだ少ないね。私としても、日本国民として国を大切に思い、掲げるべきだと考えている」と言う。町は日の丸購入の呼びかけを強める方針だ。

 日の丸を掲げていない家の主婦(52)は周囲に目をやって声を潜めた。「わざわざ買うつもりはないけど、旗を揚げている家を見ると負い目みたいなものを感じますよ。感じること自体おかしいんですけどね」

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 桜島と鹿児島湾を望む鹿児島県垂水市。12月中旬、「国旗日の丸のふるさと」と刻んだ碑が道の駅にでききた。幕末の薩摩藩主、島津斉彬が外国船と区別するために、初めて日の丸を掲げた船を造った地だ。

 町の人口は約1万7千人で、50年代の半分以下。4校あった中学校は3年近く前に1校に統合された。商店街にはシャッターが下りた店が目立つ。

 九州新幹線が11年春に全線開通してからも、一向に波及効果が出ない。若手経営者らの話し合いで上がったのが日の丸だった。

 「記念碑を建て、桜島を背に写真が撮れるスポットにすれば人が集まる」。約20入が昨年2月、建立費を集め始めた。日の丸を観光に使うことに、企業からは「不謹慎だ」との声が返ってきた。市も「右翼の街宣車が来ても困る」と乗り気ではなかったが、運動が広がるうちに後援に入り、職員がカンパを出した。約800万円が集まった。

 中心メンバーで市議の堀内貴志さん(52)は言う。

 「日の丸は地元の財産。『俺のふるさとは日本のシンボルのふるさとでもあるんだ』と、子どもたちに誇りを持たせたい」

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 大分県津久見市教委は昨年1月、国旗を毎日掲げる「常時掲揚」を市内の全小中学校12校に指導した。掲揚台がない学校には約100万円で新設した。

 推し進めたのは、県商工労働部の次長級幹部から市教育長に登用された蒲原学・副市長(60)。きっかけは一昨年の春、教育長として臨んだ2度目の卒業式。君が代斉唱になっても、数十人の卒業生の視線は宙を泳ぎ、口を開かなかった。

 「教育基本法は『国と郷土を愛する』を目標に掲げている。公教育は法律に従ってなされるべきだ。イデオロギーの問題ではない

 毎月の校長会で、教育基本法と学習指導要領の徹底を繰り返した。音楽の授業で君が代を練習するように、とも言った。昨春の卒業式で子どもたちは皆、声を上げて君が代を歌った。

 「国家主義・軍国主義の復活につながる」と学校への日の丸持ち込みに反対してきた県教職員組合は大きな反対運動を起こさなかった。「地域に行動を展開する力が残っていなかった。このままだと異論を言いにくい世の中になってしまう」。岡部勝也書記長(47)は苦渋の表情を浮かべた。

 12月の終業式の朝。新しく掲揚台ができた津久見小学校で平川英治教頭(54)が日の丸を掲げた。「2月からの日課ですよ。苦情はありません」

 散歩で通りかかった60代の男性が1人、日の丸の前で足を止め、ぐっと頭を下げて去っていった。(泗水康信、山本亮介)

 

「社説」 混迷の時代の年頭に―「日本を考える」を考える2013年1月1日(火)付

http://www.asahi.com/paper/editorial.htm

 新年、日本が向き合う課題は何か、日本はどんな道を選ぶべきか――。というのは、正月のテレビの討論番組や新聞の社説でよく取り上げるテーマだ。

 でも、正月のたびにそうやって議論してるけど、展望は開けてないよ。なんかピントずれてない? そう感じる人は少なくないだろう。そこで、この正月は、そんな問い自体をこう問うてみたい。

 私たちが抱える、うんざりするような問題の数々は、「日本は」と国を主語にして考えて、答えが見つかるようなものなのか、と。

 領土問題がみんなの心に重くのしかかっていたせいもあるだろう。年末の選挙戦には「日本」があふれていた。

 「日本を、取り戻す。」(自民党)、「日本再建」(公明党)、「したたかな日本」(日本維新の会)……。

 でも、未来の日本についてはっきりしたイメージは浮かび上がらなかった。

■グローバル化の中で

 ちょっと寄り道して欧州に目を向けてみる。去年は財政危機で散々だった。ギリシャを皮切りにほかの国々も綱渡りを強いられた。ユーロ圏崩壊という観測まで出た。

 ようやく年末、一番ひどかったギリシャの長期国債の信用格付けが引き上げられた。楽観はできないけれど、最悪の事態が少しだけ遠ざかった。

 一息つけたのは「欧州人が深く関わった」から、と欧州連合(EU)のファンロンパイ首脳会議常任議長はいう。実際、EUと仲間の国々が総がかりだった。助ける国も助けられる国もエゴに引きずられはしたが、結局、国境のない危機の打開に国境はじゃま。主語を「ギリシャ」ではなく「欧州」としたからなんとかなった、ということだろう。

 統合を進めるEUに固有の話ではない。グローバル経済に振り回され、1人では乗り切れないのは日本も同じだ。

 成長は欧米やほかのアジアの景気頼み。雇用をつくるのは、日本の企業や政府だけでは限界がある。金融危機についても取引規制のような根本的な対策は、ほかの国々や国際機関との連携抜きにはできない。

 昨年9月末には、日本の国債発行残高のうち外国人が持っている率が9.1%に増えた。世界一の借金大国の命運もまた、その小さくない部分を国の外の投資家たちが握り始めている。

■高まる自治拡大の声

 一つになろうとしているはずの欧州には逆行と見える流れも根強い。最近もスペインのカタルーニャや英国のスコットランドで独立や自治権拡大を求める機運が盛り上がっている。いったい欧州の人たちは国境を減らしたいのか、増やしたいのか。

 実は出発点は同じだ。なんでもかんでも国に任せてもうまくはいかないという思いだ。

 経済危機に取り組むには国の枠にこだわってはいられない。でも、産業育成や福祉、教育など身近なことは国よりも事情をよく知る自分たちで決めた方がうまくいく――。自信のある地域はそんな風に感じている。

 同じような考え方は、日本にも登場している。

 たとえば大阪市の橋下徹市長は共著書「体制維新―大阪都」でこういう。

 「世界経済がグローバル化するなかで、国全体で経済の成長戦略を策定するのはもはや難しいと僕は思っています

 問題意識は海外の流れとかさなる。国家の「相対化」である。国家がグローバル市場に力負けして、地方にも負担を引き受けろというのなら、そのかわりに自分たちで道を選ぶ権限も渡してほしいというわけだ。

■国家を相対化する

 「(国境を越える資本や情報の移動などによって)国家主権は上から浸食され、同時に(国より小さな共同体からの自治権要求によって)下からも挑戦を受ける」

 白熱教室で知られる米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は17年前の著書「民主政の不満」でそう指摘していた。これから期待できそうなのは、国家が主権を独占しないで、大小の共同体と分け持つ仕組みではないかという。

 時代はゆっくりと、しかし着実にその方向に向かっているように見える。「日本」を主語にした問いが的はずれに感じられるときがあるとすれば、そのためではないか。

 もちろん、そうはいっても国家はまだまだ強くて大きな政治の枠組みだ。それを主語に議論しなければならないことは多い。私たち論説委員だってこれからもしばしば国を主語に立てて社説を書くだろう。

 ただ、国家以外にプレーヤーが必要な時代に、国にこだわるナショナリズムを盛り上げても答えは出せまい。国家としての「日本」を相対化する視点を欠いたままでは、「日本」という社会の未来は見えてこない。