
やや距離の長い大坂を上った先、大坂上4丁目の大坂上中学校前で国道20号線と合流すると、右手に広大な大手自動車メーカーの製造工場、左手は住宅街といった日野台地区を直進します(上段写真)。
かつてこのあたりは「ひのっぱら」と呼ばれる、人通りの無い寂しい野原であったとか。
そこを通る旅人たちのよき目印となっていたのが、江戸からちょうど10里目の「日野台一里塚」。
現在の日野台交差点辺りにあったそうですが、南塚は昭和30年頃、北塚はさらに早い昭和初期に取り壊され、北塚跡は現在、小さな児童公園に整備されています。

一里塚跡から約1㎞で八王子市へと入り、JR八高線の上を越えて大和田町に入ると長い下り坂。
下りきったところで八王子バイパスをくぐり抜けると旧道は左手へ分かれ、500㍍ほどで再び合流した所が、浅川に架かる「大和田橋」の袂。
昭和20年8月2日の大空襲では、50発以上の焼夷弾を受けながらも下に避難した多くの市民の命を護ったと云うこの橋を渡ると、すぐに右折。
明神町4-19あたり、八王子第五中学校先で左脇へと入ると、

八王子宿への入口です。
かつてこのあたりは「ひのっぱら」と呼ばれる、人通りの無い寂しい野原であったとか。
そこを通る旅人たちのよき目印となっていたのが、江戸からちょうど10里目の「日野台一里塚」。
現在の日野台交差点辺りにあったそうですが、南塚は昭和30年頃、北塚はさらに早い昭和初期に取り壊され、北塚跡は現在、小さな児童公園に整備されています。

一里塚跡から約1㎞で八王子市へと入り、JR八高線の上を越えて大和田町に入ると長い下り坂。
下りきったところで八王子バイパスをくぐり抜けると旧道は左手へ分かれ、500㍍ほどで再び合流した所が、浅川に架かる「大和田橋」の袂。
昭和20年8月2日の大空襲では、50発以上の焼夷弾を受けながらも下に避難した多くの市民の命を護ったと云うこの橋を渡ると、すぐに右折。
明神町4-19あたり、八王子第五中学校先で左脇へと入ると、

八王子宿への入口です。