横浜都市発展記念館で、「時計屋さんの昭和日記」展を見る。
戦前に信州から横浜に出て時計店に奉公し、第二次大戦中の徴兵を経て、戦後にやはり横浜で自らの店を開いた一人の時計商の生き様と、彼の遺した日記から、当時のヨコハマの世相を見つめた企画展。
限られたスペースに、一人の庶民の横浜で生きた証が、日記の抜粋をはじめとする豊富な資料で語られ、“生きる”といふことの深さを、しみじみと感じさせる。
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数年前、横浜臨海地帯の大黒町を通っていた貨物線跡を訪ねたが、今回は同じ横浜の、本牧界隈に残るそれを訪ねてみた。
横浜市営バスを「かもめ町」停留所で下車し、そのまま海に向かってすこし直進ところに、「使用中止」と札のついた踏切の警報機が、ポツンと佇んでいる。
線路が赤錆ているため廃線とわかるが、それでも比較的きれいな状態のため、ちょっと待つうちに貨物列車の通りそうな雰囲気がある。
しかし . . . 本文を読む
京浜急行線「生麦駅」付近で見つけた、駅への案内板のイラスト。
2000形が京浜急行の花形だった時代の名残りだ。
落書きされているのが、ちょっと残念。
そして生麦駅付近の踏切で通過待ちをしていたら、なんと2000形の下り“快特”12両編成が!
思いがけない出逢いに慌て撮ったので画質はイマイチだが、生きるシアワセをもとらえた一枚。
1998年以降、各停用に格下げされたが、もともと高速 . . . 本文を読む
梅雨の晴れ間となり、
湿気を含む暑さとなった今日の昼下がり、
この陽気に惑わされたものか、
ご近所の庭先の藤が、
再び花を付け、
紫陽花と顔を合わせる。
「おやおや」
「こりゃどうも」 . . . 本文を読む
国立能楽堂で、観世流の「羽衣」を観る。
漁師白龍の聞いた妙なる音楽が、
わたしの耳にも確かに聞こえ、
地謡のたおやかな調子にのせて、
泰然自若に舞う天女が、
七寳充満の寳が降るさまを、
面(おもて)の表情で見せた時、
わたしはアッと胸を衝かれ、
「今日は観に来て良かった……」
といふ“幸せ”を、
確かに頂いた。 . . . 本文を読む
“シネマ歌舞伎”とはいかなるものなのか、二子玉川の映画館で初めて観る。
上映狂言は、「京鹿子娘二人道成寺」。
数年前、まだ改築する前の歌舞伎座で所演の折り、幕見席で観ようとしたが満席のために叶わなかった狂言で、それだけに二重の興味があった。
中身は従来の「二人道成寺」に性別不明な同性愛の色を微かに加味したやうな舞踊劇で、NHKの劇場中継をわざわざ映画館のスクリーンで眺めているʌ . . . 本文を読む
国立能楽堂で、金春流の「舎利」を観る。
足疾鬼(そくしっき)は京都の泉涌寺に納められている仏舎利を奪い天上界へ逃げるものの、瞬く間に寺を護る韋駄天に追い付かれて下界へ落とされ、仏舎利も取り返される-といふ、後半は天空を舞台にした壮大なるお話し。
いづれ“奈良金春”を継承していくのであろう後ツレの韋駄天をつとめる十代の演者の折り目正しい舞姿に、「かくして伝統は受け継がれていくのだな……」と . . . 本文を読む
かつては“快速特急”として、京浜急行本線を颯爽と走っていた2000形。
少年時代、父と三浦海岸へ遊びに行った帰り、現役バリバリの“快特”2000形に乗った記憶がある。
ポイントレールが連続するどこかの直線区間を、高速度のまま“カタカタカタ……!”と軽快な音を響かせて通過していたことが、いまも強く印象にのこっているのだ。
その頃から京浜急行2000形は、わたしのなかで『気になる存在』だった . . . 本文を読む