大学生三年生の“保護者”を対象にした就職説明会が、いま企業では主流になりつつあると言ふ。
対象は、就職する本人ではなく、
その、
親。
大学生三年生と言えば、すでに成人(オトナ)の部類だ。
にもかかわらず、親は相変わらず子を“保護”する役柄から、抜けきれていない。
そんなものにいそいそと出かける当人たちは、それを良しとしているのか、あるいは自覚がないのか。
だから子は子で、顔つ . . . 本文を読む
東京都現代美術館の「山口小夜子 未来を着る人」展を見る。
彼女がトップモデルとして活躍した1970年代前半から1980年代後半にかけての時代は、わたしのちょうど生誕から少年期に当たっているため、彼女を見た直接の記憶はない。
しかし、今回展示された写真や映像が、この時代の彼女を克明に記録している。
いちど眼が逢ったら、
惹き込まれずにはいられない、
それでいてどこか近寄り難い、 . . . 本文を読む
例祭が斎行された横浜の伊勢山皇大神宮にて、「浦安の舞」の奉納を見る。
二人の舞姫が、檜扇と鈴とを持ち替えつつ、ゆったりとした動きをみせる。
その女性ならではの手の“表情”に、学び採るべきものを見る。
そして山を下り、横浜開港資料館で開催中の「異国の面影―横濱外国人居留地1895」展を見る。
現在は官庁街となっている山下町界隈だが、かつて幕末から明治にかけて、ここは外国人居留地だ . . . 本文を読む
町なかで思いがけずあなたに出逢うことで、
わたしはいまを生きるたのしみを知る。
“前が見えないから前を見て歩くのだ”-
そうだ、
そうだとも。
はじめからなにもかもが決められている人生ならば、
代わりにそこへぬいぐるみでも、
置いておけ。 . . . 本文を読む
春の大祭が行われている明治神宮で、伝統芸能の奉納を観る。
狂言は和泉流の「清水」、能は半能で喜多流「養老」。
力強い謡いや囃子の音色が、新緑に囲まれた神前に澄み渡り、我が国の芸能の原点-神仏との結び付き-を改めて感じる。
昼過ぎからの奉納は長唄の日本舞踊で、素踊りの「外記猿」と衣裳付の「藤娘」。
今年二月に梨園随一の舞踊の名手が急逝したことは、いかに大きな痛手と損失であるかを、 . . . 本文を読む
とあるお宅の、庭先のフェンスで見つけた光景。
植物のこういふ姿を見ると、環境や状況に適応できずに腐ってしまふ生き物など、ニンゲンくらいのものだらうと思ってしまふ。
ある人が、自慢そうにこう言った。
“俺って、挫折したことがないんですよ”
つまり、
まだそれだけ、
幼いといふことですよ。
お坊ちゃん。 . . . 本文を読む