今年三度目となる能の舞台へ上がり、「猩々」を、地謡方の一人として、つとめる。
そして「加茂」を舞い仕り、宗家が謡われる「紅葉狩」、「絃上」、「竹生島」の、その末座へ、思いがけず加わらせていただく栄誉に浴す。
先のことなど見えないのだから、わたしは見ない。
いま目の前にある現実を見つめ、そこからいかに自分なりの舞台空間を想築(デザイン)していくか-
わたしはそこに、生きる意義を見 . . . 本文を読む
八月の関内ホール公演から三ヶ月。
その後もオモロイことづくめの政界をいかに斬るかを楽しみに、練馬文化センター大ホールの、「ザ・ニュースペーパー LIVE 2013」を観に行く。
来年の今ごろには意味が通じなくなっているであろう際物コントを眺めながら、ふと思ったことは、
“人が笑いを求めるのは、いまという時代を生きることに、『幸せ』を感じていないからだ”
と、いうこと。
ほんとうに . . . 本文を読む
旧東海道沿いの古社より、皮の緩んだ三味線の音が聞こえてきた。
何事かと立ち止まり覗いてみれば、一般人たちによる“奉納歌舞伎”、と云うものが行なわれていた。
ほほう!
わたしは今宵、はじめて
“かぶき”
というものを見た。
見世物は、花形がいて、財力があって、はじめて成り立つ。
そのためにはまず、当事者たちの熱意を、巧く利用できる人材が必要だ。 . . . 本文を読む
国立能楽堂で、金春流の「芭蕉」を観る。
芭蕉は破れやすい葉であることから、いにしえには“はかなさ”の象徴としてあつかわれていた。
“はかなさ”は、
“儚さ”
と書く。
『人』の『夢』。
そう。
夢とは、
「見るもの」であり、
「語るもの」であり、
そして最後は、
「破れるもの」
である。
“醒めるもの”
と置き換えても、よい。
人はその真理のために、 . . . 本文を読む
横浜の赤レンガ倉庫となりの空地で、首都圏の路線バス会社による「バス利用感謝デー」が開催されていたので、ちょっと覗いてみた。
どこも車両展示にグッズ販売と代わり映えのしないなか、目を惹いたのが、東急バスの「災害時事務所車」。
災害発生時は、ただちに路線バスから対策指令センターへと切り替えられるよう、さまざまな機材が搭載されている車両だ。
どうせなら、こういった画期的な工夫を凝らしたバスを . . . 本文を読む