営団地下鉄(当時)日比谷線への直通運転用として、東急の1000系がデビューしたのは、昭和63年(1988年)12月26日。
つまり、“昭和”ほとんどを知らない、ほぼ“平成”世代の車両とも言えます。
東横線9000系の兄弟分とも言うべき今なお見飽きぬルックス、やはり無駄の無い内装で、
この車両もお気に入りの一つ。
ところがです。
2013年3月16日に予定されている東横線・副都心線 . . . 本文を読む
さて、津久井村から約44㎞にわたる地下水道を経て横浜の野毛山浄水場へと流れ着いた水は、街中に設置された共用栓から、人々へと供給されました。
上の写真は、共用栓の実際を伝える明治時代の絵葉書の一部で、そのデザインから、「獅子頭共用栓(ししがしらきょうようせん)」と呼ばれました。
明治20年に水道が開通した時、水道生みの親であるパーマー氏がイギリスから約600基取り寄せたもので、そのうちの一基が現 . . . 本文を読む
「水道みち」と名付けられた遊歩道が、神奈川県相模原市内をほぼ直線に通っています。
その名の通り、この道の下には明治20年(1887年)、現在の神奈川県津久井町の取水場から横浜市西区の野毛山浄水場までの約44㎞にわたって埋設された、日本初の近代水道が通っているのです。
工事の際、資材運搬にはトロッコが使用されたそうで、当時の古写真が道の傍らの案内板に紹介されています。
それに因んでか、 . . . 本文を読む
このなかなかショッキングな光景は、静岡県の大崩(おおくずれ)海岸に遺る、旧東海道本線の「石部(せきべ)隧道」の跡です。
死者を出すほどの難工事の末、このトンネルが開通したのは、大日本帝国憲法発布と同じ、明治22年(1889年)。
昭和19年(1944年)に内陸側を行く現在のトンネルが完成するまで使用され、その後は線路を撤去して車道に転用されました。
しかし同23年(1947年)の台風によって . . . 本文を読む
横浜の赤レンガ倉庫の傍に、ポツンと遺されているプラットホーム。
これは明治末期、船へ積み込む荷物などを捌くために設けられ、大正時代からは旅客業務も行なっていた、「横浜港駅(よこはまみなとえき)」の跡。
このホームが、かつて駅として機能していたことを示す写真パネルが、JR線の桜木町駅構内で常時見ることが出来ます。
これは1970年代に撮影されたものだそうで、サボにある「横濱港驛行」とは、 . . . 本文を読む
東京メトロ副都心線の渋谷駅は、今月の1日から2・3番線の間を渡していた板が撤去され、また横浜側のトンネルを塞いでいた塀も外されるなど、来年春を予定している東急東横線との直通運転に向けて、さらに前進。
↑写真は東横線の渋谷駅ホームの先端から、上段写真と同じ方面を撮ったもの。
この「頭端式」と呼ばれる古いタイプの駅の風景も、
来年の今頃には、もう見られなくなっているんですよね…。
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「ほかに好きな車両は?」
と、訊かれたら私は次に、東武鉄道の30000系を挙げます。
営団地下鉄(当時)半蔵門線、東急田園都市線との直通運転対応車として平成8年(1996年)に製造が始まり、平成15年(2003年)3月の直通運転開始により、実際に首都圏へも姿を見せるようになりました。
それを意識してか、前面はいかにも都会的なスマートなデザインで、ロングタイプのスカートとのバランスが、心憎い . . . 本文を読む
「あなたが好きな車両は?」
と訊かれたら、私はまず、東急東横線の9000系を挙げます。
9000系がデビューしたのは、私が小学校高学年の時。
当時東急が主流としていた切妻型を踏襲しつつ、角型のヘッドライトに貫通扉を脇へ寄せた前面、無駄を省いたすっきりとした車内(殺風景とは違う)には、一部クロスシートが採用されるなど、それまでの東急の車両のイメージをガラリと変えたデザインもさることながら、初 . . . 本文を読む
東京急行電鉄-東急のメイン路線といえば、東横線。
最高速度110㌔で疾走する“東横特急”は大好きですが、溝の口~大井町間を平均速度30㌔でノンビリと行く大井町線も、なかなかすてたものではありません。
ついセカセカとしがちな都会生活。
あのノンビリ感が、
「落ち着いて行こうよ」
と優しく宥めているようで、乗っているうちにホッとしてくるのです。
東急のローカル駅には、ホームの屋根を支え . . . 本文を読む