横浜のそごう美術館で開催中の、「山口晃展」を見る。
大和絵や浮世絵を独自の感性で茶化した作品が、わたしは好きだ。
相当に柔軟で広い視野、そして純度の高い遊び心がなければ、ああいった仕事はとても出来ないと思う。
独自の緻密な画線のなかに、あっと驚くユーモアの詰まっているのが氏の作品の魅力だと思うのだが、ただあまりにも細かいので、疲れている時に目にするのはつらいかもしれない。
目に妖しいま . . . 本文を読む
いま、藤が満開。
晴天下で見たら、もっときれいだね。
今年は旬を、ばっちりとらえました。
そして、金網を突き抜けて生育した幹に、
生命の逞しさと、そして図太さを見ました。
そうです。生きるには、これくらいの根性がなくてはいけません。
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出光美術館の「源氏絵と伊勢絵-描かれた恋物語」展を見る。
光源氏が再び六条御息所に恋慕している間、門外で控えている従者たちの退屈そうな表情を見事にとらえた「源氏物語 賢木・澪標図屏風」が、今回見つけた傑作。
高貴なお方の色恋など、下々にはしょせん関係のないことが、リアルに伝わってきます。
原作には描かれていない庶民の視点を描きこんだところに、作者の狩野探幽の、非凡さが窺えます。
岩佐又 . . . 本文を読む
9000系と、日比谷線直通1000系が東横線から離脱させられて、はや一ヶ月。
移送先の長津田検車区を外から覗いてみると、田園都市線版9000系とも言うべき2000系と並んでいるのを発見。
こう較べると、9000系が精彩を欠いているように見えるのは、やはり運用から外されて気が抜けてしまっているからですかね…。
一編成でもいいから、9000系を田園都市線で運行してくれないかなぁ。
大井町線に . . . 本文を読む
求めているものは、探していると見つからないけれど、そぞろ歩きをしていると、よく出逢える。
そういったものに出逢って、足をとめて見つめているとき、わたしはしあわせを感じる。
いまという時間を、生きている、しあわせ。
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桜はまだ散っちゃァいねぇ。
八重桜が見ごろどす。
藤はだいぶ蕾が開いて御座候。
さりながら、手入れしすぎた花は、造花といっしょでござる。
造花なら、いまは100キンで簡単に手に入り候へば、そんなもん興味ねェやな。
この度思い立ち、自然生えの“やうな”花を訪ねばやと、存じそうろう。
と、洒落込もうかえ。
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桜が散ってしまったと思ったら、早くも藤の蕾がひらきかけているのを見つけた。
日中は暖かな晴天の日が続くらしいから、四月のうちに満開かもしれないな。
花の精が、桜から藤へと巡って、
“また逢えたね”
別離(わかれ)は出逢いの始まり?
出逢いは別離の始まり?
どちらも同じことさ。
万物は、輪廻転生なり。
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今年は早くも、桜の時期が過ぎたようだ。
逢える時間がわずかだから、わたしはあなたを、愛おしく思うことができるのでしょう。
なぜ、人間には“倦怠期”があるのか。
なぜ、逢う楽しみを見出せないのか。
答えはすなわち、ここじゃよ。
桜の下のマヌケ騒ぎを汚い光景と嫌うわたしも、こんなことを考えているのだから、しょせん衆俗の一味なのだろう。 . . . 本文を読む