旧々道はブドウ畑の間を通り(上段写真)、尾白川に沿って僅かに痕跡を残す道筋を通り抜けると、やがてアスファルト舗装された道に。
国道を隔てた先には韮崎宿から3里、台ヶ原宿の入口が。
台ヶ原宿は“新富嶽三十六景”の一つに選定されており、本陣跡は個人宅となって遺されていませんが、「銘酒七賢」を醸造する造り酒屋などは(↓写真右手)、
いにしえの風情がよく保存されており、ゆるやかな坂を上っ . . . 本文を読む
間もなく牧原地区で国道20号線に合流すると大武川に架かる大武橋を渡り、30分ほど現道を進んで上三吹で右手に分かれて旧道へ(上段写真)。
10分ほどで再び国道に合流し、尾白川橋を渡ると、袂には「甲州古道」と刻まれた新しい石碑が。
この脇から伸びている野道が、江戸時代以前のいわゆる“旧々甲州道中”だそうで、ごく最近になって整備されたものらしく、道理で用意した資料にはまだ載っていないはずだと納 . . . 本文を読む
下円井地区の外れで、旧道は人家と畑で一部が消滅していますが、迂回してその先を見ると、上段写真のような旧道跡と思われる畦道を発見。
その先のアスファルト道が、現存する旧道。
こういうものを見つけるのも、旧街道探訪の醍醐味なのであります。
またこのあたりは“かかしの里”だそうで、だからかどうかはわかりませんが、道端には今時めずらしいこんなものが↓。
国道20号線を横断し、上円井地区に . . . 本文を読む
折井地区を過ぎたところで一度県道12号線に合流して唐沢橋を渡ると、そのすぐ先の円野町入戸野(にっとの)で再び分かれるのですが、その地点にはなぜか、通天閣のミニチュア↑が…。
入戸野地区には、田んぼをわざと迂回するかのような大カーブがあって印象的。
その先で再び県道に合流して戸沢橋を渡り、また左に折れて分かれると、丘の上に続く円野町下円井(しもつぶらい)地区へと入って行きます。
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韮崎宿を出ると、旧道は国道20号線の現道と合流したり分かれたりを繰り返しながら、次の台ヶ原宿へと向かいます。
上段写真は韮崎宿から15分程行った下祖母石(しもうばいし)地区の旧道。
このあたりの旧道区間では、古きよき日の風情を堪能しながら歩くことができます。
やがて左に沿って流れていた釜無川を渡り、
清哲町折井で小高い丘に上って双体道祖神の前を通り、今度は川を右手に見ながら進んで行き . . . 本文を読む
“金剛地”地区を抜けて再び県道6号線に合流し、塩川に架かる塩川橋を渡れば、甲府柳町宿より3里、まもなく韮崎宿に。
予定通り、ほぼ3時間かかって到着。
武田晴信(信玄)がこの地で治水工事を行って以降だんだんと人が移り住むようになり、やがて宿場町が形成されたのだとか。
上段写真の右手が本陣跡で、現在は眼科医院となっています。
町並みそのものに当時の面影はないように見えますが、道沿いの一部の建 . . . 本文を読む
その先で赤坂台地にさしかかると、山に囲まれて坂を上り下りする甲州道中らしい風情が、次の韮崎宿まで続きます。
上段写真は赤坂台地を下ったすぐ先、甲斐市下今井の寺町地区。
旧道は次の仲町地区を抜けたところで県道6号線と合流。
中央本線のレンガアーチをくぐり抜けて線路沿いにしばらく進むと、武田勝頼ゆかりの「泣き石」なる巨石を右手に見て過ぎます。
そして中央本線の塩崎駅を過ぎて志田地区に入ると . . . 本文を読む
甲府柳町宿で中断していた甲州道中探訪、終点の下諏訪宿をめざして再開です。
現在は国道52号線となっている旧道は(上段写真)、荒川に架かる荒川橋を渡って甲府市街地を抜けると、それまでの片側二車線から一車線の道へ。
やがて甲州市上石田一丁目で突然現れるこのS字カーブは、
明らかに昔の桝形の名残りであります。
写真右手に写っているのはサイカチの木で、本来は川岸に生息する樹木であることから . . . 本文を読む
横浜市磯子区の久良岐能舞台で行われた「藤井泰和 箏曲地歌コンサート」にて、地歌「融」を聴く。
いにしえの都人の風情を音色で見事に表現したこの大曲を、
久良岐の山の秋景色に包まれて、
われもいつしか六條河原院に、
まいあそぶ。
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オープン前から関心を寄せていた名古屋の「リニア・鉄道館」へ。
目的は、引退した新幹線車両でも運転シュミレータでもなく、戦前の京阪神を急行電車として活躍していた「モハ52形式電車」。
いかにも急行専用車らしい流線型ボディーは東急玉電200形を思わせるような丸みを帯び、また戦後の“新快速”117系へと受け継がれたクリームとマルーンのツートンカラーの妙に魅せられて、いつか会いたいとずっと願って . . . 本文を読む
雪積もる飛騨の山間の町で、その土地の伝統芸能を観る。
年に一度の楽しみを、最後までゆっくりと楽しむ―
文化とは、こういった心のゆとりから生まれるものであることを、改めて教えられる。
見えない“何か”にいつも追い立てられ、幕が閉まりきるまでのわずかの時間すらも惜しんであたふたと席を立って帰途につくやうな、そんな無駄に忙しない都会人がとっくに忘れ去った心が、ここではまだ生きている。
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国立能楽堂で、金春流の「吉野静」を観る。
静御前―芸と、時には体を売る“白拍子”。
しかし魂までは売らない。
義経を一途に想う、しとやかで、強い女性。
そのこころを映した清廉な舞に、男性が永遠に描き続ける理想の女性像を見る。 . . . 本文を読む
街中で、脛にアラビア文字のタトゥーを入れた若い女性が歩いているのを見かけた。
しかし、少し離れると、脛に泥が撥ねたあとのように見える。
しかも、御本人はそれに気が付いていなくて。
ズボンが“オープン・ザ・ウインドー”になっていることに気が付かないで歩いているオッサンみたい。
結局、センスの無いが色気づくと、こういったマヌケっぷりを曝すことになるんだな。
なーむー。 . . . 本文を読む
海岸通り沿いにある日本郵便銀座支店と、コンラッド汐留との間を行く細い道の入口に立つ、この警報機。
線路も何もないのに突然左手に現れるので一瞬面食らいますが、昭和62年(1987年)1月31日まで、ここを汐留貨物駅と築地市場とを結ぶ貨物の引込み線が通っていました。
銀座8-21-1先に位置するこの警報機は、その貨物線の「浜離宮前踏切」があった名残りなのです。
貨物線の廃止後、全てが消えるこ . . . 本文を読む