川越市に入った旧道がまず通るのが、藤間という地区↑。
かつて藤がたくさん植えられていたことが地名の興りで、“藤馬”とも書いたとか。
またこのあたりには、「藤間中宿」と云う宿場があり、“中”と付くことから、おそらく間の宿―休憩所―であったと考えられます。
ついでにもう一つ、日本舞踊の大流派「藤間流」は、もとは狂言師だったと云う流祖が、当時“武州入間郡川越領藤間村”といったこの地の出身だったこと . . . 本文を読む
鬼鹿毛馬頭観音を過ぎて15分、新座市大和田4丁目の柳瀬川に架かる英橋手前で国道254号線と合流、橋を渡って国道493号線浦和所沢バイパスを越えて坂道を上り、やがて埼玉県入間郡三芳町に。
三芳町エリアにはかつての松並木が残っており(上段写真)、歩道も広く整備されて歩きやすくなっていましたが、約30後にふじみ野市に入った途端に車道の端を白線で区切ったただけの狭いものに変わり、自治体の整備感覚の . . . 本文を読む
左へ鉤の手に曲がり、そのすぐ先で黒目川に架かる大橋を渡ると今度は右へカーブ、その先で二又に別れる道を左へとり、道祖神を右に見て坂を上がって行きます↑。
上がり切ると住宅地のなかを通り抜け、朝霞市泉水1-4あたりで県道109号線に合流するとすぐに新座市野火止(のびとめ)に入り、ここから延々たる直線道路になり、JR武蔵野線のガード下を通り抜けるなど約2㎞、朝霞市大和田1丁目の大和田小学校前信号あたり . . . 本文を読む
鉄道マニア氏宅の先、和光市本町と朝霞市栄町3丁目との境を跨ぐように300㍍ほど残る旧道を通ると、あとは直線の県道109号線の現道を延々20分ほど行き、幸町3丁目信号の先で、旧道は右手へと入って行きます↑。
住宅地の中の細道といった感じで、約200㍍ほど行ったところで急な下り坂となり、再び県道109号線に合流、この辺りからが、かつての膝折(ひざおり)宿。
小栗判官の愛馬“鬼鹿毛”が、敗走中にこ . . . 本文を読む
白子宿を過ぎると、すぐに「大坂」と云う曲がりくねった急坂を上り↑、県道69号線を越えると、今度は名称が往年の光景を想像させる「くらやみ坂」を下り、現在は“浅久保通”と名付けられている旧道を10分ほど行くと、
今度は県道109号線となった現道と丸山台2-28あたりで合流、さらに10分ほど行った道沿いに、いかにも鉄道マニアのお宅を発見、
「あはは、こんな所に“同類(おなかま)”がいらぁ…! . . . 本文を読む
新田坂を下った先、白子川に架かる白子橋までの約200㍍ほどの地域はかつて「新田宿」と云われた集落で、昭和初期には小間物問屋や魚屋、造り酒屋などが軒を連ねる、橋向こうの白子宿から続く賑やかな場所だったそうで、道沿いに一軒だけ残っている古い家屋が↑、往年を偲ばせています。
白子橋の手前で埼玉県和光市への境界線を越え、橋を渡ったところからが、かつての白子(しらこ)宿。
現住所も白子ですが、当時の面影 . . . 本文を読む
川越街道の国道254号線は板橋区成増2丁目あたりで緩やかな短い坂を下り、すぐに上り坂となりますが、その窪地にあたるところは“小次兵衛窪”といい、道の右手には庚申塔―「小治兵衛窪庚申尊」―が遺っています↑。
小次(治)兵衛とは昔この付近に出没した泥棒の名前で、のちに村人のために橋を架けて罪滅ぼしをした人物、と地元の民話は伝えています。
東武東上線「成増駅」前を過ぎ、成増2-26で旧道は右手の . . . 本文を読む
板橋中央陸橋で国道254号線と合流すると、13分間↑のようなつまらない景色が続き、板橋区上板橋1-17でようやく右手へ分かれると、「上板南口銀座」と云う商店街となり、ここを通り抜けた先の境界線より東京都練馬区へと入ったところで今度は「北一商店街」、東武東上線「東武練馬駅」付近のこの一帯が、かつての下練馬宿。
下練馬宿は大山参りの人々が利用した「大山道」の起点でもあり、現在は環八通となっている . . . 本文を読む
大山東町を通る旧川越街道(以後“旧道”)は、「遊座大山」と云う長い商店街となっていて、そのほぼ中間点にある東武東上線「大山駅」の踏切を越えると、今度はアーケード街となります。
そのアーケード街を抜けるとすぐに現・川越街道の国道254号線に合流しますが、約2分歩いた先の日大病院入口信号で右へ再び別れて板橋区弥生町に入ると、“下頭橋通り”と云う名称の、緩やかな下り坂となります。
ここから約740㍍ . . . 本文を読む
川越街道は、日本橋から約10㌔、板橋宿内の“平尾宿”から分かれて現在の東京都板橋区、練馬区、埼玉県和光市、朝霞市、新座市、ふじみ野市を通って城下町の埼玉県の川越市街地へと至る、全長約50㌔の街道で、中山道の「脇往還(わきおうかん)」として1639年(寛永16年)、川越藩主松平信綱、輝綱によって整備されました。
「脇往還」とは五街道の脇道のこと。
川越街道の場合、本道の中山道が河川の氾濫による川 . . . 本文を読む