待ちに待ったやうな、春日和。東京の最高氣温は19.4℃云々、昼頃には日向でウトウトする心地良さよ。ただ、風の強いのだけは要らぬオマケ。その町なかで稲荷社に出逢ったので参拝す。願ひはただひとつ。ただただ、私らしくゐられますやうに── . . . 本文を読む
東京都世田谷區弦巻二丁目の駒澤給水所前で、門越しに目を惹いた古風な建造物。明治末から大正時代にかけて人口が増加した豐多摩郡澁谷町──現在の東京都澁谷區の飲み水確保のため、中村鋭治博士の指揮により布設された澁谷町上水道の給水塔で、大正十三年三月に完成したもの。西洋風の洒落た設計は當初から好評だったやうで、平成に入ってから東京都水道局によって補修工事が施され、現在にその美觀を傳へる。といっても敷地外か . . . 本文を読む
ラジオ放送で寶生流の「胡蝶」を聴く。梅花に戯れる可憐な胡蝶は法華經の功力によって成佛する──内容としてはそれだけで、作者と考へらる觀世小次郎信光が、當時補佐してゐた若き太夫(家元)のために創ったとみられる、胡蝶の可憐さに主眼をおいた曲。この曲は忘流の仕舞で一度觀たことがあるが、實際に両腕で羽ばたきする型があるなど、視覺的なわかりやすさが印象に殘ってゐる。忘年忘月、寶生流能樂師を遠い先 . . . 本文を読む
武州所澤の驛前から向こふの山を望んで、あの山を越えたら旅路になるのだな、と思ふ。しかし、今はまだ引き返さねばならぬ。たった一歩。その一歩が、なかなか遠い。日和を待たう。まだ今では、樂しくもなからうから。 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/yomiuri/world/20230223-567-OYT1T50114?fm=d露國がウクライナへ前時代な軍事侵攻──國盗合戰をけしかけて、今日で一年云々。支那で北京五輪なる雪上大運動會の開催期間中に勃發し、“平和の祭典”もしょせんお題目にすぎないことが、面白いほどに露呈した瞬間でもある日。そし . . . 本文を読む
國立公文書館の企画展「衛生のはじまり、明治政府とコレラのたたかい」を觀る。當時は謎の傅染病だった“コレラ”が大流行した江戸時代の終はりから末期にかけてを序章に、明治十年に再び大流行した件の傅染病と、その二年前に設置されたばかりの内務省衞生局との真剣勝負、そしてその結果から得られた衛生對策を、遺されたお役所文書から概覧する。下痢と嘔吐を繰り返す謎の傳染病の流行が日本で初めて確認されたのは文政五年(1 . . . 本文を読む
空はきれいに晴れ渡れど風がおそろしく冷たく、その心身へ染み込むやうな寒さに日差しの温もりすら感じにくかった一日。春近しを告げる花々も風に震へて、なんともいじらしいことだ。東海道かわさき宿交流館の、「懐かしき川崎駅前展」を覗く。京濱急行の線路がまだ地上にあり、市電と並走してゐた昭和三十年代の國鐵川崎驛前を再現した大型模型を、興味深く見物する。その人がまだ若い独身だったこの時代、友人と遊びに行った川崎 . . . 本文を読む
薬罐の水が沸くまで間、二つに折った座布團を枕にして、軽く目をつむる。誰かが私に、ちっとも締まらない帯で衣裳を着せやうとしてゐる。とても古典物向きではない鬘をもって来て、今は亡き脇役の名を出してその人の指導によるものですと、私の頭にのせる床山(鬘師)がゐる。遠い昔に同じ釜の飯を食ったと云ふだけの出世魚が、なにかブツブツ言ひながら御手洗へと入って行く。間もなく出番だと云ふのに、段取りも呑み込めてゐなけ . . . 本文を読む
昼前より南からの強風が吹きつけて、東京圏は妙な暖かさに見舞はれる。空の色は鈍く、向こふの町並は霞んで映り、やや蒸した空氣のため春を先取りした氣分にはなり難し。この南からの強風が春一番となる可能性もあったやうだが、昼過ぎには落ち着いて、鈍色の隙間から時折のぞく青空が置き土産となる。そして何気なく部屋の卓子を触って指先がザラリとして、隙間程度でも窓を開けてゐたことを後悔する。私にはお土産の気遣ひなど、 . . . 本文を読む
ラジオ放送で、觀世流の「忠度」を聴く。一門ともどもいよいよ都落ちと極まった平忠度は、和歌の師匠である藤原俊成を訪ねて今度の勅撰和歌集に自分の一首を加えてほしいと託したのち一ノ谷の合戰で討死するが、その後完成した「千載和歌集」に一首は撰されたものの時世を憚った藤原俊成の判斷で“詠み人知らず”とされた無念さに、靈魂は今なほ現世を彷徨ふ──和歌の雅味と合戰の酷味を、剛柔を鮮やかに使ひ分けて織り込んだ修羅 . . . 本文を読む
昼食に、懸案だった忘和食店のすき焼きを食べる。味付けと脂分が重くて、胃が混亂を始めたのがわかる。どんなものか、一度試せば充分なお味。隣の席では、安っぽい男が安っぽい世間噺を一人でやたらまくし立ててゐる。近々運送業に就職するらしい。これから職場で煩(うる)さがられさうだ。向こふの席で、お一人様が鍋うどんらしきを突ついてゐる。アレってなんてお品かしら?メニューを開いて、壽司が目に入る。次 . . . 本文を読む
昨日よりさらに暖かな日中、「ほら、もふタンポポが咲いてゐますよ」と人に言はれて、私は初めてその一輪に氣が付く。植物は時候に正直である。人間は正直だとバカを見るが、しかし狡猾だとかえってバカに見える。やはり自分自身には正直であるべきだ。それによって損をしたと感じたとしても、いつかは必ず有益な還元がある。私はいまの生活がその賜物だと信じてゐる。花は、ここぞと云ふ時機(とき)に咲くものだ。 . . . 本文を読む
その古い家屋の二階から零れる三味線の音色(こゑ)に、私は思はず足をとめた。二階は稽古所らしく、その陽氣な調子は民謠のやうだった。つひ身振り手振りを付けてみたくなる、私の心にスッと染み入る絃(いと)のこゑ。かつて私が浮世に居場所を再發見したのも、先人が遺してくれたこゑのおかげだった。今年も春は来る。他人(ひと)の春ではなく、自分の春を聴く。 . . . 本文を読む
今年一月九日にホームが一面二線に切り替わった山手線澁谷驛を、初めて通る。隣の原宿驛や近辺の千駄ヶ谷驛は、2020年のトウキョウ茶番大運動會で想定される混雑緩和のためにそれまでの島式(一面)ホームを二面化──もとも片側にあった臨時ホームを常設化した──したのに對し、このウンザリするほど混雑する澁谷驛は逆に一面化して、面積を廣げたとはいへ、内回りと外回りの利用客が混在する環境にわざわざ改変した。“時代 . . . 本文を読む