東京都目黒區と品川區にまたがる都立林試の森公園に立ち寄る。明治三十三年(1900年)、農商務省が管理する「目黒試験苗圃」を嚆矢とし、のちに「林業試験場」と改稱して平成元年(1989年)六月一日、都立林試の森公園として整備され一般に開放さるる。トウキョウ都心には珍しい、人工的でない森の姿は、訪れる者を誘ってやまぬ精氣に満ちてゐる。秋なのか冬なのかよく分からない陽氣のもと、落ち葉はサクサクと鳴りながら . . . 本文を読む
何年ぶりかで、朝の「通勤時間帯」の驛を利用する。乗車降車の利用客たちの、相変はらずなふて腐れた表情を眺めてゐると、なるほどこのクニの不景氣はこのヒトたちが自分で作り出してゐることがよくわかる。電車が到着したホームの頭上からは、「空いてゐる扉からさっさと乗れ」と、驛員が高い調子で煽り散らす聲が降ってゐる。朝からあんな調子でキャンキャンやられたら、なるほど癇の立つのが顔に出さうだ。浮世の平日の、この時 . . . 本文を読む
旧東海道は旧品川宿あたりまで来ると、道を車両通行止めにして何かの祭禮が行なはれてゐるやうなので、どこだらうと探すと、曹洞宗の海雲寺に祀られてゐる千躰荒神王の大祭なり。千躰荒神は薹所の守護神にて、お参りすれば衣食住に御利益云々、これからもこの幸せが發展しますやうにと、ただただ願ひ奉る。 . . . 本文を読む
橫濱能樂堂で、奈良東大寺の修二會──いはゆる“お水取り”に取材した喜多流の能「青衣女人」を觀る。明治十八年(1885年)に淺草の浄土真宗の寺に生まれ、壮年期には新聞記者、晩年は能樂研究の大學教授として活動する一方、幼少から喜多流宗家の弟子として能樂師の修行もしてゐたと云ふ土岐善麿が、東大寺の依頼を受けて昭和十八年(1943年)に發表した新作能云々、東大寺修二會を聴聞するため訪れた旅僧が過去帳を讀み . . . 本文を読む
小旅行のつもりで久しぶりに千葉縣佐倉市の國立歴史民俗博物館へ出かけ、企画展示「陰陽師とは何者か─うらない、まじない、こよみをつくる─」を觀る。明治十五年に陰陽道が廢止され、安倍晴明以来その役職を司ってゐた土御門家も斷絶して子孫の行方もはっきりしない──どこかにはゐるらしい──現在、「陰陽師(おんやうし)」と云はれても、具体的に何をやってゐた人達なのか、私にはよくわからない。それを知りたくて出かけて . . . 本文を読む
駒澤通り沿ひの目黒區中町二丁目、道の反對側は同區祐天寺二丁目、目の前には祐天寺二丁目と記された信号の立つそばの小さな三角地帯に、古い石像と石柱が同居してゐる。石像は江戸初期の1600年代に建立された「さわら庚申」塔、右脇の石標はここが古くから交通路の要所であったことを傳へる、庚申塔から二百年後に建てられた道しるべ。正面には『おくさわ(奥澤) ひもんや(碑文谷) いけかみ(池上)』、右側には『右 ご . . . 本文を読む
都心忘所、古くからの町に住宅と小寺院が軒を寄せる道で、まだ新しいお堂に逢ふ。道から自由に入れるやうだったので、ゆっくり足を進めると、なかには三体の尊像がおはします。阿彌陀彿を中心に、右侍は觀音菩薩、左侍は普賢菩薩なり。いづれも浮世の俗人を救ふ靈験云々、まさに我がことなり、心静かに今と御縁を結ぶ。そして、散策中らしき初老夫婦が「お参りして行かうか……」と頷いているところと入れ替はる。この頃はよく、 . . . 本文を読む
都内忘所の幹線道路沿ひにある缶飲料の安賣自販機に、“プライスダウン ¥10000”と、とんでもないポップを見かけて……、なんのことはない、“¥100”を二枚並べたうちの、右側の“1”が隠れて、“0”がつながって見えただけのこと。……しかしなんか、ワザと狙ったやうにも見える。 . . . 本文を読む
まだまだ青かった時分、私の前に頻繁に現れてゐた人と似たやうな姿の人を、昼下がりの交差点で見る。あの當時、その人がどういふ真意(つもり)で私の前に現れるのか、まだまだ青かった私には測りかねた。その人のことで、周りからはよく冷やかされたが、私は常に外堀を深く掘った上で、その人と接してゐた。やがてその人とは縁が無くなり、いらい消息を氣にしたこともない。が、今日に見かけた姿のよく似た人が、友人と談笑しなが . . . 本文を読む
東京都大田區池上まで来たので、さうだ、知る人ぞ知る“電柱觀音”を見て行かう、と樂しみに行ってみたら……、ない!微かな痕跡はあれど、今年の初夏の頃には確かに、ここにおはしたのだが……。(※在りし日の“電柱觀音” 令和五年六月)いかなる尊像も、浮世にあれば幾多の受難あるは宿命(さだめ)なれば、廢佛(?)の憂き目も致し方なし、とは思へど、なんとも殘念じゃ。嘆くべし、嘆くべし。 . . . 本文を読む
大田區東雪谷の雪ヶ谷八幡神社を参拝す。謂れ因縁故事来歴については“お仲間”に譲って私は省略、境内にはこの社にゆかりのある橫綱大鵬が奉納した「出世石」が、いかにも力士らしい風情で一際目をひく。橫綱に出世できたのも當社のおかげと、大鵬が感謝をこめて奉納云々、努力と實力と、なにより“運”と云ふ最大の援護があって名は成せるものなればこそ、それは一握り . . . 本文を読む
多摩センター方面まで来たつひでに、十三年ぶりに「長池見附橋」まで足を伸ばす。もともとは東京四谷に大正二年(1913年)に架けられた「四谷見附橋」であったものを、架け替へを機に平成五年(1993年)、當地八王子市別所に移築復元し、「長池見附橋」と改稱したもの。このネオバロック調の鋼製アーチ橋は架橋から八十年を經てもなほ良好な状態を保ってゐた云々、あちこちで手抜き工事がバレて騒然となってゐる令和の建設 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20231116k0000m040310000c?fm=d東京地裁は十七日、親殺しのカブキヤクシャについて検察側の懲役三年の求刑に對し、懲役三年、執行猶予五年の判決云々。間接であれなんであれ、事實上の親殺しと云ふひとでなしの大罪を犯しておきながら、ど . . . 本文を読む
十年以上ぶりに、トウキョウの外れの、また外れまで行く。山間の古道をさらに奥へと入り、今年はあったかどうかも分からない“秋”が、この里には訪れるらしいことを知る。渓流に落ちる瀧水は耳に涼しく、秋の果實は私の心を鮮やかに潤す。戻りの道は途中まで、登山帰りの人々と一緒になる。私は、私らしい小旅を樂しんだのである。 . . . 本文を読む