令和五年の大晦日は例年になく雨で始まったが、昼前には晴天となって、やっといつも通りになったと安堵す。町なかの忙しい雰囲氣は昨日まで、今日はいくらか緩やかな風情にて、私も今日はゆったり過ごす。せっかく天氣も回復したことではあり、今日は寒櫻を見んと、散歩のつもりで一時間ちかくその場所まで歩いて、見物す。来年も、はなやかな氣持ちを忘れずに日々を送れますやうに。今年も、望んだことの殆どが叶った一年。こぼれ . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/sanspo/entertainment/sanspo-_entertainment_geino_KSG2QDITZNIR7E7WYKSWEBHCMA?fm=d今月29日、老衰のため82歳で逝去──私が大阪で生活をしてゐた時代に、私の心に潤ひを與へてくれた一流藝人の逝去を、心から悼む。いかにも大阪的 . . . 本文を読む
今年六月に、JR上野驛の11・12番線ホーム(常磐線ホーム)の東京寄りに登場した無人の驛蕎麦を“試食”する。一應國産の蕎麦を、米國シリコンバレー産のロボットが調理して、お客に提供する。メニューはやたらと少なく、支払ひは現金不可のため、私はSuicaを使用する。待ち時間は90秒、有人の驛蕎麦の迅速性を考へると、やや遅い。人が並んでゐる時は、私などはイライラしさうだ──と云ふか、並んで待つなど大嫌ひな . . . 本文を読む
まだ頭が冴えてゐる午前中のうちにと、今年に創った手猿樂の型を、書き散らしのメモから清書してまとめる。……それにしても、語彙力と表現力と、字の拙さには我ながら笑ふ。しかし、これは私にしか解讀できない“ヒミツ文書”と思へば、いやいや上出来じゃて。昼からは、今年はなにかと御縁のあった池上本門寺へ、ぜひ今年の内にと御礼参り。十月に御會式を見物し、それ以来のお参りだが、その間には目まぐるしくオモシロいことが . . . 本文を読む
目黒區下目黒、目黒不動尊の参道沿ひにまします「天臺宗 成就院」に参詣す。創建は九世紀と古いが、江戸時代の痕跡がいくつも遺る古寺にて、本尊の“蛸藥師”とは藥師如来像を蛸が支へてゐる姿に由来云々。そこから“多幸(たかう)藥師”と、“多幸”と“蛸”を掛けた通稱も生まれて面白し。境内には、保科正之の生母にて、二代将軍德川秀忠の側室が奉納した地藏のほか、現在まで歌舞伎の繪看板を手掛けてゐる浮世繪鳥居派の四代 . . . 本文を読む
大した用事もなく、橫濱へ行く。いや、用事はたぶん、「のんびりするため」。「あぶない刑事」で憧れた街であり、ものを學びに出かける街であり、もちろん遊びに行く街でもあり、今は昔、いいなと本氣で思へる人に出逢って、あっけなくお別れした街であり、その時その時の目的によって、景色が違ふ街。それらをすべて呑み込んで、今日の私はここでのんびり過ごす。帰りには、興味をそそる情報をしっかり得てから驛に向かふあたり、 . . . 本文を読む
JR中央本線の高尾驛一番線ホーム支柱に遺る、古い弾痕を見る(↑冩真の〇部分)。第二次世界大戰中、米軍の上空からの銃撃により損傷したものと考へられる線路を、のちに驛の支柱へ転用云々、戰争と云ふものがいかに無意味かつ愚挙であるか、二十一世紀のオメデタイ我々に端的に示してくれる、最重要記憶遺産。高尾驛から旧甲州道中を甲州方面へ約2キロ半ほど行った裏高尾町の、現在では中央高速道路と圏央道と . . . 本文を読む
明治から昭和初期にかけて“絲都(しと)”──絹糸産業で繁榮した信州岡谷へ、その痕跡を見に行く。戰後に設立された農林省蚕糸試験場岡谷製糸試験所跡に建てられた、「岡谷蚕糸博物館 シルクファクトおかや」を訪ねるのがまずは手っ取り早く、武州の富岡製糸場で明治五年創業時に實際に使用されてゐた佛式繰糸機、そして博物館に併設されてゐる昭和三年創業の宮坂製糸場内で、昔ながらの糸繰り作業を間近で見學できるのが特色。 . . . 本文を読む
明治六年、創業間もない武州の富岡製糸場を、皇太后(もと孝明天皇皇后)と皇后(明治天皇皇后)が行啓してゐる様子の古い繪画資料が手に入る。この行啓については、當時傳習工女だった和田(橫田)英の遺した「富岡日記」によると、前日に作業場へ下見に訪れた女官たちの、大きく鬢の張った髪型に真っ白な白粉化粧などの「見なれない」風体に、工女たちは「残らず内々お笑ひに」云々。その夜、寄宿舎で部屋長より、そのことについ . . . 本文を読む
地震を引き起こす地中の大鯰を暴れぬやう刺し通してゐると云ふ、「要石(かなめいし)」をいまだ見ず候ほどに、総州の香取神宮、常州の鹿島神宮の両宮を訪ねばやと、存じ候。黒塗りの本殿が引き締まった印象を與へる香取神宮は神武天皇ゆかりの古社云々、件の要石は楼門を出て旧参道から木立ちへと入ったところにおはします。見た目は漬物石のやうなれど、 . . . 本文を読む
京濱急行の逗子・葉山と羽田空港を結ぶ“エアポート急行”が、“エアポート”が抜けてタダの“急行”となってゐることに氣が付く。十一月二十五日のダイヤ改正からそのやうに改定云々、一ヶ月近くが經ってから氣が付いたのも、2000形勇退後はこの急行にすっかり興味を失なったゆゑなれど、時代の流れる速度に、單純に自分が追ひつけてゐないだけでもある……。 . . . 本文を読む
小田急線を利用すると、この頃は新型の“二代目”5000形に會ふことが多くなった。人災疫病禍真っ只中の令和二年(2020年)に登場し、以来8000形の置き換へとして數を増やしてゐる新鋭なり。小田急線の車両と云へば、“初代”5000形に見た橫に膨らみをもたせた車体が特徴だったが、二十一世紀の始まりと共に登場した3000形のニ代目からは、膨らみが廢されてタダのツマラナイ長方形の箱になり、陳腐感が否めなか . . . 本文を読む
東京都大田區西蒲田の「女塚(おなづか)神社」に参拝す。このあたりに多く傳はる新田義貞ゆかりの古跡にて、主君義貞に危機を傳へやうとしてあへなく命を落とした戀人にして忠義な侍女を祀ったお社云々。もし、命を張って命を救わうとする、そんな女性が私の前に現れたら、私はよろこんで運命をともに……、あ、また夢か。 . . . 本文を読む