東京都大田區羽田五丁目より辯天橋を羽田空港方面に渡る時、右手の廣場にポツンと建つ朱塗りの大鳥居がいつも氣になってゐたので、今日こそよく見んと訪ねたり。多摩川河口の羽田が漁師町だった江戸時代、水害除けとして創建された穴守稲荷神社の鳥居だったもので昭和四年に建立、(※戰前の穴守稲荷神社)戰後間もない昭和二十年(1945年)九月二十九日、羽田空港擴 . . . 本文を読む
コンビニで受け取ったお釣りのなかに、新紙幣の壱千圓札を初めて見る。肖像画は北里柴三郎。私も過去に、ちょっとご縁のあった學者。命が續くかぎり、私もいつかはこの學者の研究成果に、助けられることがあるのかもしれない。 . . . 本文を読む
東京都文京區本郷三丁目の交差點付近で、「本郷藥師」と額の掛かった門と、幅廣い道の脇にポツンと建つ小堂をその奥に見つけて、なんだらう、と寄り道す。 この一帯は戰前まで「眞光寺」といふ平安末期まで由緒を辿れる寺の境内云々、昭和二十年三月の東京大空襲により焼失の後は世田谷區給田に移転したが、件の小堂とその奥に坐(ましま)す十一面觀音像はそのまま當地に殘さるる。(・が藥師堂の場所、・& . . . 本文を読む
五島美術館の夏の優品展「一味爽涼」を觀る。前から氣になってゐたがなかなか予定が合はず、最終日の今日になってやうやく涼を聴く。精選された夏の文物から、景德鎮竈の陶器を彩る紺青に、(※案内チラシより)なにより一服の涼を味はふ。(※同)白が青に深味を與へ、青が白をより涼やかに引き立てる。目でじっくり涼んで外に出て、とたんに熱暑に囲まれ見上げた空の色合ひに、これも同じく夏の色ぢゃと現在(いま)に帰る。 . . . 本文を読む
ラジオ放送で觀世流「山姥」を聴く。現行の能樂に登場する山姥とは、後世で創られた坂田金時の母親となるそれではなく、越中と越後の國境にそびえる山中に棲むそれであり、老婆と云ふより、性別を超越した妖しい存在として、捉へられてゐる。山姥と聞くと、私などは茫々たる白髪を振り亂した姿を、そして一昔以上前、何かと嫌味ったらしくて好きではなかったヒトと久しぶりに忘所の階段で出くはした時、相手がすっかり総白髪となっ . . . 本文を読む
上野松坂屋の六階で開催中の「結成60周年記念 ザ・ドリフターズ展 発掘!5人の笑いと秘宝たち」を觀る。ニッポンが明日に向かって元氣だった時代を象徴する、傳説的“バンドマン”たちの足跡を、久しぶりにあの頃に帰った心で笑ひながらたどる。(※會場内は一部のみ撮影可)かつては六人ゐた(※荒井注さんも含む)メンバーも現在では二人だけ、グループとしては長壽でも、人の命はそれに伴はないのが何事もエ . . . 本文を読む
上野の東京國立博物館「東洋館」にて、紀元前945年から同730年頃にエジプトで發掘されたミイラを見學する。(※商用目的でない場合に限り、フラッシュ禁止で撮影可)ミイラは生前、パシェリエンプタハと云ふ名の青年であり、死後に”永遠の命”への祈りをこめてミイラに仕立てられた云々。(※同)太古の昔より、ヒトは“死”と云ふ宿命を恐れる生き物であり、その逃れ難きから少しでも逃れやうと、死してなほ生前に近い姿を . . . 本文を読む
新紙幣、今日は壱萬圓札と初會。肖像画は渋澤榮一。ニッポン大實業家の祖。生誕地の武州では譽と崇められ、令和となりてコドモ銀行券のやうな新紙幣の肖像画におさまりぬ。カネのある者こそ資本主義社會の覇者となりぬることを体現化した大物にて、もしかしたら無いかもしれぬ遠い未来、成金が紙幣の肖像となり得る道を拓いた、永遠の魁(さきがけ)なり。 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-240723X079?fm=d先月あたりから、人災疫病の流行はちらほら耳にするやうになってゐたが、先日には外出先でゲホゲホやりながらの歩きスマホや、店舗内でコンコンなどを見かけて、病菌に四季の起伏はないナ、と感じたばかりであった。この“熱さ”にかまけて、ヒトの集まる . . . 本文を読む
今月三日から發行の新紙幣に、初めて會ふ。五千圓札、肖像画は津田梅子。日本人初の女子留学生にして、JR千駄ヶ谷驛前の旧德川公爵邸跡地に建つ大學の創立者云々。……それしても、地味な図案だと思ふ。手に取ってすぐに、飽きた。 . . . 本文を読む
學生時代に映画館で觀て、以来好きになった故人森田芳光監督の映画「(ハル)」(平成七年)のDVDを思いがけず見つけ、臨時出費だったが迷はず手に入れる。盛岡で暮らす若い女性と、東京で働く青年との、パソコンを介した靜かなトーンの純愛通信。當時、私の身辺でも盛岡に新たな親戚が出来たことで、より親近感を抱いた一篇でもあった。パンフレットも、ノベライズも、斷捨離對象から外してずっと大切に持ち續けて○十年、いま . . . 本文を読む
代々木公園の噴水池が、いつの間にか改築工事ため令和八年まで閉鎖されてゐるのを見る。ひと昔以上も昔、新たな人生を歩み始めたものの、その明確な行き先を見定められずにゐた頃、ここで當時の“お仲間”たちと、夜にお芝居ゴッコをやった場所。その後、いよいよ灯火を見失って暗闇に迷い込み、凌ぐ場所すら分からなくなって、ボンヤリ座ってゐたこともある場所。東日本大震災よりもっと前、まさかあんな天災に見舞はれるとは思っ . . . 本文を読む
我が町の廣場でも、盆踊りの準備が仕上がってゐた。梅雨が過ぎ、とたんに炎暑となって、その余熱が夜通しで續くこの御時世では、とても見物する氣にはなれぬ。事實、町によっては夜でも下がらぬ氣温を理由に、盆踊りの中止を決めたところも出始めてゐる。費用の暴騰と住民の苦情などにより花火大會も今夏は全國二十ヶ所以上で中止云々、かくして風物や文物は自らの手で失なひ、やがては植物だけで季節を聞く時代になるのだらうか。 . . . 本文を読む
小田急線車内で見た、新江ノ島水族館のクラゲ廣告。さう云へば先日、TVのニュース番組のなかで、新江ノ島水族館の職員が、海水浴中はカツオノエボシの毒に氣を付けるやう呼びかけてゐた。私も過去に、海でクラゲと覺しきに噛まれた記憶がある。この廣告、いっそのことクラゲの図案をすべてカツオノエボシにしたら、氣の利いた注意喚起となったらうに。 . . . 本文を読む
神奈川縣秦野市東田原1018-2、静かに緑の廣がる一帯に佇む、「源實朝公御首塚」と傳はる石塔を訪ねる。建保七年(1219年)正月二十七日、右大臣拝賀のため鶴岡八幡宮を詣でた鎌倉幕府三代将軍の源實朝は、甥の公暁に暗殺されて首を落とされ、遺骸は首のないまま葬られた云々、行方不明となった首級は、その後に公暁を討った三浦氏の家臣武常晴たちによって秦野に持ち込まれ、生前に實朝が深く帰依してゐた . . . 本文を読む