満開のさくらを見ると、
ことしも最初の峠を無事に越えたのだなぁと、
実感する。
さくらはその、
一里塚。
ことしはあといくつの峠を、
越えることになるのだろう。
予想はできない。
できないから、
わたしは生きるといふ旅を、
続けるのだ。
つぎの一里塚は、
いつかな。
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その町に、
おそらく誰よりも古くから住んでいる枝垂桜が、
今年も春のおとずれを告げる。
なにもかも人間によって造られたその町で、
あなただけが、
生きる姿の
本当を教えてくれているやうな、
そんな気がします。 . . . 本文を読む
公共施設の舞台で開催された能楽の会にて、数年来の念願だった「羽衣」を舞い仕り、また地謡も数番仕る。
さりながら、いざ開演といふ段になってとつぜん緞帳が故障して上がらなくなり、会場を急遽ロビーへと移すことに。
つまり、演者は観客と同じ平面、視線に立って舞うことなったわけで、半円に囲んだ見物人たちと至近距離で接しながらの仕舞は、誤魔化しがいっさい利かない緊張感のなかに、まるでサロンで舞っている . . . 本文を読む
あの日も、今日のやうに、よく晴れていた。
うららかな、昼さがり。
幸せであるがゆえに、シアワセの実感をすっかり失っていたそのとき、
あれは突然、やって来た。
うららかな日は、なにかの予兆と、うたがったほうがよい。
うかれ歩きなどができる、
そんなオメデタイ時代は、
あのときに崩れ去っているのだ。
それでよい。
それでよい。
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宝生流の「源氏供養」を観に、水道橋の能楽堂へ。
この曲は以前に金春流の舞台でも観ているが、源氏物語五十四帖の巻名を読み込んだ後半の美しい謡を、“うたい宝生”はいかに聴かせるのか、それを楽しみにして出かけたわけである。
宝生流ならではの静かな謡、シテの抑えた舞は、観る者の心に時間をかけて、その印象を刻み込む。
帰宅し、落ち着いてから今日の舞台を思い返し、
「ああ、いいものを観たな……」
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