諏訪湖を一望してから再び歩き始めて約20分、両側に民家が建ち並ぶ右手に、甲州道中最後の一里塚、53里目の一里塚跡が(上段写真)。
ここまで来れば、中山道との合流地点である終点の下諏訪宿は目前。
長かった甲州道中探訪も、あとわずか。
承知川橋を渡ると道はやがて右へカーブ、その先には諏訪大社の御門前が見えてきます。
御門前を過ぎ、鈎の手に通ったところで、向こうからやって来た中山道と出会 . . . 本文を読む
桝形跡を通って上諏訪宿を過ぎると、再び長閑な旧道風情が戻り、ほどなく52里目の一里塚跡を通り(上段写真左手)、湯の脇地区で坂を上ると、旧道は終点の下諏訪宿まで、民家の間をぬって進みます。
やがて高木地区に入ると、左手にはいにしえを現在(いま)にそのまま伝える茶屋本陣「政屋(橋本屋)」が。
軒先に突き出すように掲げられた灯かりが、目をひきます。
政屋を過ぎると間もなく左手の視界が . . . 本文を読む
一里塚跡から20分ほど行った武津地区には、男女が手を握り合う姿の双体道祖神が(上段写真)。
茅野の外れで見たものといい、このあたりの道祖神は男女の“愛”をおおらかに謳ったものが多く見受けられます。
旧道はさらに10分ほど行った赤羽根地区で国道20号線に合流。
ゆるい左カーブを過ぎると、ちらほらと造り酒屋が目につくようになり、“鍵之手信号”の名称がズバリそれを示している桝形跡を通ると、
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宮川地区で国道から分かれて中央本線の茅野駅前を過ぎ、上原信号で再び国道20号線に合流してしばらく行った道端に、男女が頬を寄せ合う珍しい姿の双体道祖神が(上段写真)。
微笑ましいものを感じながらさらに10分ほど行ったところで、「渋沢小路」と呼ばれる道へ右折。
中央本線のガードをくぐり抜けると左カーブの上り坂となり、旧道は神戸地区の住宅地へと入って行きます。
やがて左手には、51里目の一 . . . 本文を読む
金沢宿をあとにして20分。
49里目の一里塚跡を示す石碑が、国道沿いを流れる宮川の向こうの薮の中(上段写真)にあるとのことですが、まさかあの中へ入っていく勇気はなかったので、国道からチラ見して、ここにかつて一里塚があったのだということを確認するにとどめて、先を急ぎます。
10分ほど行った木舟地区で中央本線の跨線橋を渡って線路の東側に出ると、そこから伸びる旧道を15分ほど行きます。
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重修一里塚から30分ほど行ったところで丘を下って国道20号線の現道に合流、右手の向こうに中央本線の「すずらんの里駅」を見ながら神戸地区を通り、神戸582あたりで左へ分かれる上り坂が旧道。
坂を上りきったあたりの木立のなかには、江戸から48里目、甲州道中に現存する一里塚としては最後となる「御射山神戸一里塚」が、東西そろってきれいな姿で残されています(上段写真)。
地元の人々の生活道路となってい . . . 本文を読む
平岡地区から机地区を通ると坂を下り、釜無川を渡って瀬沢地区へと入ると、今度は上り坂(上段写真)に。
山間を行く甲州道中らしい道が続きます。
やがて右手に、江戸から47里目の一里塚で、東側のみが現存する「重修一里塚」が見えてきます。
写真は裏側から撮ったもので、形がきれいに残されていることがわかります。
このすぐ先の道筋は、現在は企業の私有地となっていて1㌔ほどが消滅しているた . . . 本文を読む
「応安の古碑」↑を右手に見ながら丘を下り、桝形を通って国道20号線に合流したところが、かつての蔦木宿。
中段写真の右側が本陣跡。
いまは表門を遺すのみで、裏は公民館となっています。
旧宿場町の雰囲気を復活させようと、過去に復元活動を行なったらしく、どの家屋も正面にかつてそこに存在した旅籠などの屋号を墨書した札を掲げ、
空地には同じく立て札で示してありましたが、この地区自体にはまった . . . 本文を読む
次の蔦木宿までの1里6町も、上教来石地区で僅かに国道と合流する以外、長閑な旧道風情がつづきます。
上段写真は、その合流区間から再び分かれる地点で、右手の旧道と左手の現道(国道20号線)との今昔対比が、興味をそそります。
この先の坂を上りきると、↓のように
道が一直線に見通せますが、それはいまの話しで、明治2年まではこの場所に「山口の関所」が設けられており、現在は道端にそのことを伝える標 . . . 本文を読む
白須下地区で鈎の手に右へ折れて台ヶ原宿を過ぎると、次の教来石(きょうらいし)宿までの1里14町は一部区間を除いて旧道がほぼのこされており、アスファルト舗装がされていなければ、古写真そのままのような風情が堪能できます。
教来石宿は流川を渡り、坂を上った先にあるわずか数百メートルの小宿。
現在その面影はまったくありません。
この珍しい宿場名の由来は、ずばり「きょうらいし」と云う巨石にちな . . . 本文を読む
旧々道はブドウ畑の間を通り(上段写真)、尾白川に沿って僅かに痕跡を残す道筋を通り抜けると、やがてアスファルト舗装された道に。
国道を隔てた先には韮崎宿から3里、台ヶ原宿の入口が。
台ヶ原宿は“新富嶽三十六景”の一つに選定されており、本陣跡は個人宅となって遺されていませんが、「銘酒七賢」を醸造する造り酒屋などは(↓写真右手)、
いにしえの風情がよく保存されており、ゆるやかな坂を上っ . . . 本文を読む
間もなく牧原地区で国道20号線に合流すると大武川に架かる大武橋を渡り、30分ほど現道を進んで上三吹で右手に分かれて旧道へ(上段写真)。
10分ほどで再び国道に合流し、尾白川橋を渡ると、袂には「甲州古道」と刻まれた新しい石碑が。
この脇から伸びている野道が、江戸時代以前のいわゆる“旧々甲州道中”だそうで、ごく最近になって整備されたものらしく、道理で用意した資料にはまだ載っていないはずだと納 . . . 本文を読む
下円井地区の外れで、旧道は人家と畑で一部が消滅していますが、迂回してその先を見ると、上段写真のような旧道跡と思われる畦道を発見。
その先のアスファルト道が、現存する旧道。
こういうものを見つけるのも、旧街道探訪の醍醐味なのであります。
またこのあたりは“かかしの里”だそうで、だからかどうかはわかりませんが、道端には今時めずらしいこんなものが↓。
国道20号線を横断し、上円井地区に . . . 本文を読む
折井地区を過ぎたところで一度県道12号線に合流して唐沢橋を渡ると、そのすぐ先の円野町入戸野(にっとの)で再び分かれるのですが、その地点にはなぜか、通天閣のミニチュア↑が…。
入戸野地区には、田んぼをわざと迂回するかのような大カーブがあって印象的。
その先で再び県道に合流して戸沢橋を渡り、また左に折れて分かれると、丘の上に続く円野町下円井(しもつぶらい)地区へと入って行きます。
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韮崎宿を出ると、旧道は国道20号線の現道と合流したり分かれたりを繰り返しながら、次の台ヶ原宿へと向かいます。
上段写真は韮崎宿から15分程行った下祖母石(しもうばいし)地区の旧道。
このあたりの旧道区間では、古きよき日の風情を堪能しながら歩くことができます。
やがて左に沿って流れていた釜無川を渡り、
清哲町折井で小高い丘に上って双体道祖神の前を通り、今度は川を右手に見ながら進んで行き . . . 本文を読む