謡ひには、強く謡ふ“強吟”と、柔らかく謡ふ“弱吟”の二通りがある。
今日、国立能楽堂で観た観世流の「源氏供養」は、クセの半ほどからその二つの謡ひ方がない交ぜとなって展開していくところに、音楽としての妙がある。
なにしろ、光源氏の供養をしなかったがために地獄へ堕ちて苦しみに遭っていると僧に訴える紫式部が、実は石山観音の化身であり、「源氏物語」は、じつは現世が“夢の世”であることを人々に知らせるた . . . 本文を読む
身内の入院に付き添ふため、大病院に足を踏み入れる。
採血の手付きもおぼつかず、
代わる代わるやって来ては同じ質問を繰り返し、
果てにマニュアルを楯に逃げをうち、
それに載っていない事態には、
膨れっ面で対応する。
そんな白衣の若造どもを眺めていて、つくづく思ふ。
『詰まるところ自分の体は、自分で守るしかない』
と。 . . . 本文を読む
埼玉県の秩父神社へ、国の重要無形文化財である神代神楽を観に行く。
「天の岩戸」の神話が、鄙びた笛の音と、神々が手にするおおらかな鈴の音によって、ゆったりと語られる。
天鈿女命が賑々しく榊を振りて舞ひ給へば、
集ふ神々は手を打ち囃し、
やがて勇ましく現れたる手力雄命は、
岩戸をゑいやと投げ飛ばす。
御幣に象徴されし天照大神が、
ふたたび国を明るく照らし給へば、
来る年も幸 . . . 本文を読む
五島美術館の「一休 とんち小僧の正体」展を見る。
\1200もの入館料を取られたにしては、大して広くもなゐ展示室に一休宗純ゆかりの掛軸が羅列されただけの見世物で、呆気にとられさうになる。
しかし、一休師が遺したその思ひ切りのよゐ字体の書を眺めているうち、「さうか……」と悟る。
感じてはならない。
思ってはならない。
無我といふ名の境地とは、
これすなわち、
諦めなり。
. . . 本文を読む