次の掛川宿までは国道との合流がほとんどなく、松並木もよく保存されているなど、ほぼかつての道筋を辿ることが出来ます。
↑写真は袋井宿から20分ほど行った久津部(くつべ)地区に残るそれで、松並木は直射日光から旅人を護ると云う目的のほか、沿道の田畑との境界線の役割も果たしていたと云うことが、よくわかる景色です。
かつては、農民が道端をすこしづつを削って、自分の田畑にしてしまうことが横行していたようで . . . 本文を読む
もふ何年も続いてゐる道路敷設工事の現場に、イルミネーションが点灯してゐることに気が付く。
かうした作為的な電飾が好きではない私は、これが浮かれた街中のそれであったなら、見向きもしなかったであらう。
しかし、工事現場周辺の殺伐とした雰囲気を和らげやうと、現場の人々によるかうした粋な計らひには、
「綺麗だな……」
と素直に感じて、しばし足をとめる。 . . . 本文を読む
行人坂を下ると、大正時代に植えられたらしい松並木を経て(↑写真)、今度は長い直線の上り坂をのぼり、両側に住宅が続く三ヶ野へと入ります。
すると10分ほど行ったところで、旧道はいきなり林のなかへと入ります。
道を間違えたかと一瞬驚きましたが、ここはかつての古戦場跡にあたり、案内板によれば左に下って行くのが江戸時代の旧東海道(赤矢印)、斜め右に下るのが、鎌倉時代の古道とのこと(青矢印)。
道 . . . 本文を読む
横浜市港北区の大倉山記念館で、研究所資料展「世の為に田を耕す~大倉家三代の生き方~」を見る。
明治の初め、出版業で身を興した初代大倉孫兵衛、
その後を継ひで二代目となり、実業家として活躍しつつも五十七才の働き盛りで急逝した大倉文二、
三代目の邦彦は文二の養子、戦後に多額の負債を抱へた大倉洋紙店をわずか二年半で立て直すなど実業家としての手腕を発揮する一方、
. . . 本文を読む
さて、天竜川を渡って源平新田を過ぎ、松並木がところどころに残る県道261号線を30分ほど進みます。
香料工場の前を過ぎると上り坂となり、道は二手に分かれますが(↑写真)、右に行くのが旧道。
この坂は行人(山伏)の寺があったことから「大乗院坂」と呼ばれ、また傍らには襲われて命を落とした旅のインド僧を供養したと云う、「くろん坊様」の小祠がまつられています。
大乗院坂から先はしばらく坂の上り下りが . . . 本文を読む
浜松城下まで歩いた旧東海道探訪、さらにその先を訪ねて行くことにします。
浜松城から浜松駅前にかけての中心街は、車道も歩道も↑写真のごとく充分に拡幅されていますが、馬込川に架かる馬込橋を渡って中心街から外れると、しだいに道幅は狭くなります。
細い川を何度か渡って子安町で国道152線から分かれて県道に入り、和田町あたりまで来ると、所々に松並木の名残りが見られますが、
ついに歩道は無くなって . . . 本文を読む
大嘗祭につひて確と知るため、國學院大學博物館の企画展「列島の祈り─祈念祭・新嘗祭・大嘗祭─」へ出かける。
即位した新天皇が、天照大神にその年の新穀を中心とした神饌を奉り、共食する一代一度の神事──
それが、大嘗祭である。
直近の大嘗祭は今上天皇が即位した三十年前、当時わたしは小学校の高学年だった。
この時、大嘗祭につひて異國人たちが、
「テンノウはカミになるつもりなのか? . . . 本文を読む
国立歴史民俗博物館の企画展「日本の中世文書─機能と形と国際比較─」を見る。
古代と明治の公文書を始めと終わりにはさんで、盛大に展示された中世の古文字を二時間近くかけて、ひたすら追っていく。
様式に則り、傳統を重んじることで自らの立場を示した公家たちに対し、國土掌握といふ野望をはっきりと示した武士(もののふ)たちの遺した文書に、興味をそそられる。
蒙古襲来より発生したと云ふ、戦功の自己申 . . . 本文を読む
今日は東急の名車7700系の、東急線としての運転最終日で、見納めに行かうかちょっと迷ったが、だうせいざ引退となると俄かに有り難がって押し寄せる有象無象のために何を見に来たのかわからなくなることは必至、それを嫌っていつも最終日は出かけないことにしてゐるのだからと考へ直し──これまで充分に乗ったし、写真も充分に撮ったし──、新宿で開催された中古鉄道模型の大即売会のはうへ出かけることにする。
先日、 . . . 本文を読む
横須賀芸術劇場で、「かながわ伝統芸能ふれあい祭」を観る。
県内の民俗藝能をいくつか集め、それに猿楽の観世流と狂言の大蔵流がトリに加わった企画で、そのなかで最も興味を覚へたのが、「長井町飴屋踊り」。
三浦市南下浦町菊名のほかに、横須賀市長井町といふところにも飴屋踊りが傳はってゐることは知ってゐたが、観るのは今回が初めて。
演目は「三番叟」と、漁師の踊り「新川」の二つで、いづれも菊名よりやや早 . . . 本文を読む
鎌倉歴史文化交流館の古写真展「激動の鎌倉」を見る。
観光客だらけの喧しい町となる以前、幕末明治の“古都”の姿を見られるかと期待して出かけたが、廊下に横長の写真入りパネルが掛けられてゐるだけで、
(※館内は写真撮影可)
内容は案内パンフレットの域を越えるものではなく、廃仏毀釈直前の鶴岡八幡宮を写した数葉のほかは、期待ハズレに終わる。
むしろ、奥の展示室に設けられた杉原千畝、小辻節三博士両 . . . 本文を読む
横浜市中央図書館の「横浜のお台場──発掘に見るコウモリ台場とその時代」展を見て“予習”をしてから、神奈川区にわずかに痕跡を留める現地へと出かけてみる。
「台場」と云へば、東京都品川区沖のそれが有名だ。
しかし、かつて旧東海道の神奈川宿沖にも存在してゐたことは、これまで話しには聞ひてゐたが、一度も見に行ったことがなかったので、今回の遺跡展をきっかけに、一見せばやと存じ候。
図書館でもらった山 . . . 本文を読む
「那須与一」で使用する予定の烏帽子を、手作りする。
既製品を購入するテもあるにはあったが、実物を見て、それらしい物なら自分でも作れさうだ、と感じたので、実行する。
実際の烏帽子は現在でも職人の手作り、私が見真似でそれらしい物を手作りしても、同じことだ。
現代手猿楽は私の手作り藝能、装束や道具も、手作り出来る部分はさうしたはうが良い。
材料は全て、百圓ショップで買ひ揃へる。
現在の百キン . . . 本文を読む
横浜市泉区民文化センター“テアトルフォンテ”にて、「黒色すみれ コンサート」を聴く。
異国情緒漂ふチラシのデザインに興味を覚えたことから、
どんな感じなのか聴きに行ってみやうと思ったのだから、やはり宣伝媒体のデザインといふものは重要だ。
“黒色(こくしょく)”といふ部分から、なにかクロい雰囲気の音楽でもやるのかと想像してゐたが、コスプレ寸前の淡い色調のドレス姿で登場した“永遠の十四歳 . . . 本文を読む
去る九月二十二日に、横浜新都市プラザで「駿河天人」を舞ったイベントのホームページにあるフォトアルバムとやらに、私の写真が見当たらないとのことで、確かめてみる。
私自身はイベントホームページのことはすっかり忘れてゐたが、見てみると確かに無い。
おいおい……。
今さらながらイヤな気分が込み上げた私は、すぐに実行委員会だった団体に問ひ合はせてみると、謝罪と共に「表示設定に誤りがありました」との返 . . . 本文を読む