驛まで来て、私は足をとめた。
私が逢ひたいのは、だうやらあの人ではないらしい──
このまま押して出かけても、くたびれ損になるやもしれぬ。
過去にも憶へがある。
それが、私の足を引き留める。
やめやう。
結局、私はもと来た道を引き返す。
私は、あの人に逢ひたいのではないのかもしれない。
部屋に戻り、
CDを再生する。
いつの時代も変わらぬ聲が、そこから聴こえる。 . . . 本文を読む
横浜開港資料館で、「浮世絵でめぐる横浜の名所」展を見る。
安政六年(1859年)の開港以降、それまで東海道神奈川宿の外れにある小さな漁村だった横濱村が、世界の玄関口ヨコハマへと大変貌していく様を、興味深く作品に写し取った浮世絵師たちの目線を通して、じっくりと見ていく。
開港初期は、風光明媚だった神奈川宿外れの臺町よりヨコハマを遠望する図柄が多く、やがて港が整備され、外國人居留地といふ“異國 . . . 本文を読む
鎌倉を歩いてゐると、岩壁に洞窟の入口のやうな大きな穴が開いてゐるのを、至るところで見かける。
これは「やぐら」と云ひ、鎌倉時代から室町時代初期にかけて盛んに造られた、墓の跡と傅はる。
のちには馬小屋の代はりや資材置場、またはゴミ捨て場などに転用されたさうだが、
第二次大戦中には防空壕としても重用され、魂を鎮める場所が命を守る場所となったのも、奇しき因縁か。
やぐらは場所によって . . . 本文を読む
横浜みなと博物館の企画展「横浜船渠 ドック物語」を見る。
船渠(ドック)とは船の修繕施設──“病院”のことで、横濱には明治の後半から末期にかけて、三基のドックが“難産”の末に誕生した。
以来、昭和五十七年に役目を終へるまで、みなとヨコハマの重工業を牽引し続けたわけだが、それを下支へした労働者達のなかには、作家となる以前の吉川英治や長谷川伸もいた──
いづれも親が人生に失敗したがための犠 . . . 本文を読む
逗子文化プラザホールで、和泉流狂言の「末広かり」を観る。
シテの果報者はだいぶ聲が苦しさうだったが、脇狂言らしゐ品格のなかにも春近しな薫風が漂ふ、綺麗な一番。
人間國寳の“國寳”とはなんたるかを、分かり易く、はっきりと示してくれた。
この一番だけでも、今日出かけた価値は充分にあるといふもの。
ただこの“会派”には良い後継者が見当たらないので、現在(いま)をよく記憶しておくべし。
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横浜能楽堂が主催した、「能楽師が案内する見学と能楽ワークショップ」に参加する。
案内役は、狂言方大蔵流の山本則重、則秀の両師。
これまで、狂言だけは観るばかりで体験したことがなかったので、どんな感じなのだらうと、かなり楽しみにして横浜能楽堂へ出かける。
基本的な構へ、歩き方、笑ひ方、泣き方──狂言では嘘泣きが多いとのお話しに、そう言へばと納得する──を体験出来ただけでも大満足だったが、 . . . 本文を読む
地元近隣の堤に植ゑられた河津櫻が、だいぶ花をつけてきた。
今年は豆州まで出かけられなかったが、その代はりに近隣で河津櫻に逢へて、大ひに満足す。
まだ開花していない木も、蕾がだいぶ膨らんでゐるので、来週あたり一斉に見頃となるだらう。
帰途、思ひがけない場所でも河津櫻に逢ふ。
ふだん通ってゐる場所のはずなのに、意外と気がつかないものだ。
めざすものは、なにも . . . 本文を読む
河津桜の本場豆州では、いまが見頃を迎へてゐるさうだが、今年はそこまで足を運べさうもない。
代わりに近隣で見物しやうにも、こちらはまだ蕾か咲き始めで、本格的な開花は待てしばしである。
そこで、古民家が移築された公園でロウバイを眺めて、
まずは今日の暖かさに春を聴く。
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今年も確定申告の受付が始まる。
この時期が来ると決まって思ひ出すのが、大阪時代に初めて確定申告をした時のことだ。
朝早く税務署に出かけて、係員に書き方を教わりながら何とか仕上げて提出し、ホッとして驛前まで来ると、大判の封筒を携へた大先輩が、向かふから歩いて来られるのに逢った。
大先輩は私の姿を見つけると、「おう」とにこやかに手を挙げ、「お前、(確定申告に)行ったんか」と、気さくに話しかけ . . . 本文を読む
東海道本線の驛弁が、スーパーマーケットで売られてゐたので、買っていく。
列車内で、車窓を楽しみながら──
も、今は昔。
東京圏の列車はおしなべて通勤電車仕様に変化したので、あの車内で驛弁をひろげるのは、現在(いま)では却って野暮ったく映ってしまふ。
何とも風情の無い時代になったもんだと思はなくないが、しかし沿線人口の爆増による朝夕の殺人的混雑を思へば、通勤電車仕様への転換はやむなし、そ . . . 本文を読む
今年も実家の町内会主催の文化展にて、現代手猿楽を舞ふ機会を得る。
今回は「平家物語 巻之十一」より、『扇之的』──那須与一の物語を題材に選ぶ。
猿楽にならって前場、後場の二場構成をとり、前場(前半)のシテは那須与一、
後場(後半)のシテは、扇を射落とせと舟から手招きをした、平家方の女房(女官)。
戦さの勝者(源氏)と敗者(平家)、双方の視点からひとつの物語を描ひたのが、今回の工 . . . 本文を読む
大正三年(1914年)に横浜市の綱島──当時は橘樹郡大綱村字樽──で、温泉が発見されたことを記す記念碑が今日、鶴見川に架かる大綱橋のそばに移設される。
もともとは大綱橋を横濱方面に渡った数メートル先、旧綱島街道との分岐点に、雑草にまみれて半ば傾ひた姿で佇んでゐたが、数ヶ月前に背後の古い家屋が解体されて更地となった際、記念碑も姿を消してしまった。
さては解体業者が撤去して廃棄したか──
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裏道を歩いてゐると、見通しの悪い箇所で、向こうから減速もしないで走って来るクルマに、出くわすことがある。
また、信号のない交差点やΤ字路で、ウインカーすら点けずにそのままの速度で曲がって来やうとするクルマに、出くわすこともある。
そしていづれも、慌ててブレーキを踏んでゐる。
あきらかに、向かうからは何も来ないと、勝手に決めつけてゐるのである。
その独り善がりな根性が、私は大嫌ひだ。
な . . . 本文を読む
今日を逃したら今年は地元の梅林で花を見られなくなる気がしたので、まだ満開ではないのを承知で、出かける。
團体で押し寄せたお爺さんの一人が、「いやぁ、咲ひてる咲ひてる!」と大音聲で絶賛するほどではなかったが、ぼちぼち開きはじめた梅を見て、まずは目的を達する。
花に逢ふことで季節を知る心は、浮世の流れに身を任せ過ぎると、つひ忘れてしまふ。
「今年もそろそろ見頃だな……」
と . . . 本文を読む
先日の暖かさに、近所の梅が咲き始める。
同じく近所には、枝垂れ梅の綺麗な庭があったが、安普請な一戸建てに建て替はる際に伐り倒され、今年からは見られなくなった。
名所の梅林はまだ二分咲き程度。
今週末あたりが見頃かもしれない。
空を見れば、厚ひ雲が陽を覆ひはじめてゐる。
今日は本當に、中休みの晴天だったやうだ。
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