dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kyodo_nor/business/kyodo_nor-2025013101000987?fm=d今日の昼にスーパーマーケットへお米を買ひに行って、明らかに先日より高値になってゐて腹が立ったばかり。このままでは、年内に10kg壱萬圓也も不思議はないと思へてくる。備蓄米放出と云っても、せいぜい昨秋に . . . 本文を読む
東京スカイツリーが近くにそびえ立つたばこと塩の博物館で、「日常をつくる! 企業博物館からみた昭和30年代」展を觀る。終戰もすでに一昔、民主主義國となったニッポンが復興再生に邁進してゐた時代を、庶民生活の要請から開發し、生活文化の發展に貢献した當時新發賣の日用品などから懐古する企画展。もうずいぶん前に、甘ったるい人情モノ映画が大當りをとって以来、昭和懐古と云へば三十年代(1955年 . . . 本文を読む
國立公文書館企画展『「普選」と「婦選」─選挙権の拡大とその歴史─』を觀る。明治二十二年(1889年)二月十一日、大日本帝國憲法と共に公布された衆議院議員選挙法から始まった日本國の“せんきょ”が、高額納税者の特權から一般男性の權利へと裾野を擴げ、やがて女性にも權利が與へられるまでを、官から見る選挙權史。(※展示室内フラッシュなしで撮影可)女性の参政權を初めて官に訴へたのは大正十一年(1921年)の平 . . . 本文を読む
世田谷美術館の「東急 暮らしと街の文化─100年の時を拓く─」展を觀る。澁澤榮一が興した「田園都市構想」は、財力と政治力に長けた五島慶太率いる東急によって次々に實現するが、カネと時間に余裕のある風雅人たちの閑居地くらゐに留めておけば“自然豊かな文化都市”たり得たものを、多摩川を越えた先の丘陵地帯まで手を伸ばし、一帯をことごとく宅地化した結果、自然も文化もヘッタクレもない、ただ借金(ローン)を返済す . . . 本文を読む
確定申告の書類を用意しなくてはと思ひ付いて、お役所まで朝のお散歩。かういふことは、ふと思ひ付いた時に行動しておかないと、後で必ず機を逸して慌てる羽目になる。これまでさんざん書いてゐるくせに、前回から三百日以上が經つと書き方をすっかり忘れて、結局いつも手引きを見ながら、遅々と數字を書き込む。納税は國民の義務云々。そのギムに追ひ立てられる一年が、今年もここから始まるのだ。 . . . 本文を読む
冷たく強い風がイヤな感じで吹き付ける尾根づたいの古道にて、この風なんとかならんのか、と空を見上げると、まだまだ蕾の梅。まだ一月、まだ年が明けた月なのだから、まだ冬だよなと尚早な自分を笑ひながら街(した)へ下りると、ここでは梅が開き始めてゐた。次の週末には二月、もう蕾が開(さ)き始めてもいい頃だよなと、冷たい風に足も心も定まらぬ私、さあ今日はどこへ行く。 . . . 本文を読む
ラジオ放送の觀世流「求塚」を聴く。自分を愛した二人の男の命と、なんの關はりもない鴛鴦の命とを奪ふことになった女が、死後に壮絶な地獄の責め苦に曝される曲で、能樂はかういふ世界を扱ふのも好きである。極樂浄土については、「めでたく成佛できました」と詞章で結んでその世界を匂はせはするが、實際にどれだけ“極樂”なのかまでは描かれない。 しかし地獄の話しになると、この曲でも鴛鴦の靈が鐵鳥と化して剱(つるぎ)の . . . 本文を読む
神田錦橋の橋詰で、寒櫻が息をのむほどの笑顔で、私に手招きする。今日は通れるかわからない一日の始まりであったが、かうして逢へたのはやはり、あなたのおかげだ。惡い日など、結局は無いのサ。ぐるりとお堀端の道へ回って、河津櫻はどうかと見上げると、こちらはまだ支度中。ここ數日の暖かさに、あなたにもそろそろ逢へるでせう。 . . . 本文を読む
スーパーマーケットの作荷(さっか)臺に備えてある無料の透明ビニール袋が、どこもどんどん薄くなってゐると感じる。二枚重ねの状態でもかつての一枚にも満たない薄さで、よほど氣を付けて品物を入れないと、簡單にピッと裂けてしまふ。ここまで裂けやすくなると、もうビニール袋ではない、ただの「膜」である。買った物を恐る恐る入れてゐるうち、しまひにはなんでこっちがこんなに氣を遣はなくてはならんのだ! . . . 本文を読む
東京都千代田區大手町1-4、企業ビルの敷地内に遺る、一橋德川家の屋敷跡でしばし足休め。一橋家は十一代家斉、十五代慶喜と二人の将軍を輩出した御三卿のひとつ。水戸德川家から養子に入って一橋家の九代目となった慶喜と聞くと、私は先年に慶喜直系の曾孫が急逝して血統が斷絶したと云ふこと、それから大河ドラマ「徳川慶喜」を連想する。古冩真などが傳へる慶喜は面長な役者顔、主演の本木雅弘さんは現代的な小顔で、ちょっと . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kyodo_nor/world/kyodo_nor-2025012001001689?fm=d時代の「混迷」を象徴する人物が米國大統領と云ふ權力の座に再び就いたところに、『世界一の大國』だったクニの現状をまざまざと見る思ひがする。もう戻ることのない過去の榮光を追ひ求め、そのために世界中が彼の言動に振 . . . 本文を読む
大寒とは暦上の名ばかりに暖かな日中、窓から差す陽の心地よさに、ふと長らく手付かずになってゐた、手猿樂の面の手直しをしやうと思ひ立つ。昨年にこの一期一會を逃すまじと手に入れた面だが、少し使ひ勝手が惡いので手直しが必要だと思ってはゐたものの、しくじればオシャカになるのが怖くて彫刻刀を持つ氣になれずにゐたが、今日になってにはかにその氣になる。布物の縫ひ足しや縫ひ直しはちょくちょくやるが、木工物に刃をあて . . . 本文を読む
いつであったか、現在(いま)はどこでどうしてゐるか知らない他人(ヒト)に、「ずいぶんエラさうに歩くネ」と笑はれたことがある。私は生来の猫背だが、いちおう人前で舞薹に立つ活動をしてゐるので、普段からの心がけで胸を張って背筋を伸ばして歩くやうにしてゐる。……つもりが、意識のしすぎで過剰となってゐたものか。しかし現在(いま)も、私はそのままを續けてゐる。あの時その他人(ヒト)は半ば嘲けて云ったからでもあ . . . 本文を読む
通りかかった公園で、若者たちがパフォーマンス動画を撮ってゐた。寒くないのかネ……、と感心しつつ、自分も必要に迫られて自作を動画撮影する不器用なマネをやることがあるので、なにやら自分を端から見てゐるやうな、面白い氣分にふうっと陥る。そして、確實に年齢(トシ)は喰ってゐる自分も見て、ふっと我に返る。 . . . 本文を読む
平成七年(1995年)の阪神淡路大震災から、今日でちゃうど三十年云々。それ以降、國内のあちこちで發生した大地震を考へると、三十年がむしろ遠くはない時間に感じられてくる。そして、現代に頻發するやうになった大地震は、三十年前の今日が端緒だったのではないかとも思へてくる。かういふ大災害が發生すると、報道屋は決まって家族を失なった方を取材したがる。被災者に、現代流行りの氣持ち惡い表現で云ふと . . . 本文を読む