“新古書”店で見つけ、表紙のデザインに惹かれ、そして値段が安かったので手に入れ、そのまましばらく仕舞ったきりになっていた小説を、ようやく読んだ。
表紙に劣らない作品力にいつしか虜になり、一気に読み通した。
久しぶりに、
「う~ん、やられた……」
と唸れる、プロの作品に逢った。
そして、
「我とても!」
などと奮起してゐるわたしを眺めて、
『お前は年をとらないよ』
と笑ふ自分 . . . 本文を読む
能舞台で、「六浦」を舞い仕る。
舞台は相模国六浦の称名寺、シテが庭の景色をしみじみと眺める、静かな曲だ。
能舞台といふ俗世から隔絶された空間に立つと、しだいに心が落ち着き、その曲の世界が、目の前にはっきりと映りだす。
そして、思ふ。
この空間こそ
わが住処
やっと帰ってきた
と。
人間ばかりの空間は、
生きるための嘘が、
あまりにも多すぎる。 . . . 本文を読む
相模女子大学のグラウンドで催された薪能にて、宝生流宗家による「葵上」を観る。
シテは六條御息所の生霊、本来ならば人間の目に見えない存在だ。
本来ならば、映らない存在。
いままで、さういふことをほとんど気にしないでこの曲に接していたが、演能前のシテ方能楽師による解説のなかでこの話しが出て、今さらにして「言われてみればさうだ……」と思った。
観客には見えても、朱雀院の臣下に代表される . . . 本文を読む
薩州で原子力発電所が再稼働したといふ。
核燃料による電力に頼らずとも、日常生活になんら支障のないことは、十分に証明されていたはずだ。
わたしの住む町の公会堂のロビーには、現在もあの日の事実を伝える新聞が、パネル展示されている。
記事のなかの写真に記録された光景を目にするたび、わたしはあの日、TV画面を通じて目撃した自然の猛威に、ただ唖然としたことを、鮮明に思ひ出す。
対岸の火事も、 . . . 本文を読む
横浜の本牧神社で、里神楽の奉納を観る。
演目は「笠狭桜狩(かささのさくらがり)」といふもので、女の神様が嫉妬に狂うさまがひとつの見せ場。
また、なぜ天皇には寿命があるのか、その理由(わけ)を、それとなく説いている曲でもあるやうだ。
かつて日本の民衆は、こうした身近な場で演じられる芸能などを通じて、先人たちの言い伝えを、心に受け継いできた。
そしてその言い伝えは、ときには大ぜいの人の命 . . . 本文を読む