日光市に入って約2㎞、25分後に国道119号線の現道は、大沢町手前で二手に分かれます↑。
左へ大きくカーブするのが現国道で、直進するのは旧国道、つまりかつての日光道中。
江戸時代には、ここから先は東照宮の“神領”とされ、また現在もこれより先の杉並木は国の保護区域、或は特別保護区域となっており、そこを避けて通るため、道を新たに敷設したのでしょう。
ここから大沢宿手前までの約1㎞は車輌通行禁止 . . . 本文を読む
上徳次郎宿を抜けて600㍍ほど行ったところに「一里塚」バス停があり、そこには江戸から三十里目「石那田(いしなた)一里塚」の東塚の東塚↑が遺されています。
ここからは、すぐ先の仲内という地区を除いて、再び本格的な並木道が続きます。
一里塚より歩くこと約50分、上小池町で左手に「トリコロール」と云う洋菓子店がある並びに庚申塔や祠の建つ草むらがあり、そこにいわくありげな盛り土を発見。
一里 . . . 本文を読む
次の中徳次郎(なかとくじら)宿は、下徳次郎宿より400㍍程先の左カーブから現在の徳次郎交差点(上段写真)あたりまでのエリアで、宿場は殆ど隣接していました。
中徳次郎宿から右手にある「智賀津(ちかつ)神社」の社頭には、樹齢700年と推定される高さ40メートルの夫婦欅が聳え、
栃木県の天然記念物に指定されています。
智賀津神社のすぐ傍、現在では道の中央に整然と並んでいる「徳次郎六本杉」を . . . 本文を読む
下徳次郎(しもとくじら)宿に入る約1㎞手前には、江戸から二十九里目の「高谷林一里塚」が、ここも東西に遺っていますが、東塚(上段写真)は保存整備が施されているのに対し、西塚(中段写真)は何故か放置状態となっています。
一里塚から約10分後、右手にある富屋小学校から先が下徳次郎宿で、
杉並木もここで一度終わります。
さて、宿場名の“徳次郎”は現在、かつての上・中・下の宿場を一つにまと . . . 本文を読む
宇都宮宿の追分から15分後、松原3丁目で国道119号線と合流、さらに約30分後、宮環上戸祭交差点を過ぎると、ここより終点の鉢石宿まで現存する杉並木が始まります(上段写真)。
約10分後、文星芸術大学前に、江戸から二十八里目の「上戸祭(かみとまつり)一里塚」が、東西ペアで遺っています↓。
この一里塚から600㍍ほど行った野沢町で杉並木は一度途切れ、釜川と云う細い川を渡った先、緩い上り坂 . . . 本文を読む
やがて伝馬町4丁目で宇都宮地方裁判所に突き当たると鈎の手に右折、本陣はその先右手にありました(上段写真)。
宇都宮のかつての名物は、晒木綿に干瓢、団扇、それに紙煙草入れだったそうですが、現代はやはりコレでしょうね。
さて、本陣の前が奥州道中との追分、日光道中はここを左折します(奥州道中はそのまま直進)。
つまり、現在の宇都宮中心街とは全く関わることなく小幡地区と泉町地区の間に伸びる道 . . . 本文を読む
さて雀宮宿を発ち、次は城下町の宇都宮宿を目指します。
雀宮宿から約3㎞のあたりにはかつて一里塚があり、その場所は現在「一里」と云う信号名とバス停名に残されています(上段写真)。
一里信号から900㍍ほど行った西原信号で、国道は4号線と119号線に分岐、日光道中はここから国道119号線に乗り換えてJR日光線の線路を越えて宇都宮市不動前13-54の三叉路まで進み、ここで左に入って国道から分かれ . . . 本文を読む
石橋宿から約3㎞、河内郡上三川町鞘堂に一里塚が遺っているとのこと、しかし先程の石橋宿手前でのこともあり、今も本当にあるのかしらと半信半疑でしたが、北関東道の高架の傍、現在はアミューズメントパークの駐車場となっている一角に、そこにだけポツンと生えている、それらしい木を見付けました(上段写真)。
国道をひたすら直線すること更に40分、雀宮(すずめのみや)宿に到着。
↑写真左手、「西松屋」看板 . . . 本文を読む
小金井宿から国道4号線を1.2㎞ほど歩いたところで、東側の畑の中を真っ直ぐに行く旧道が2㎞近くにわたって遺っており(上段写真)、その長閑な景色は歌のひとつでも歌いたくなるほど。
40分ほど行ったところで雑木林に突き当たって旧道は途切れますが、かつてはこの先も道は続いており、一里塚もあったとか。
一里塚は近年になって西側だけが雑木林の中で発見されたとあって、私も試しにちょっと分け入ってみました . . . 本文を読む
下野市川中子より、現在は国道沿いの住宅地を抜ける裏道といった感じの旧道を1㎞ほど行くと、突き当たりの畑の向こうに東西ペアで現存する「小金井一里塚」が見えてきます。
この江戸から22番目の一里塚は、平成9年の旧道発掘調査後に史跡として現在の形に整備され、その際に一里塚の間を通っていたかつての道筋も復元されました。
↑写真は日光側から日本橋方面を見たもので、一里塚より畑を隔てた直線上に、道が続 . . . 本文を読む
一里塚を過ぎると、やがてJR宇都宮線の線路に沿って道は続き(上段写真)、約1㎞行ったところで北西方向へそれて、羽川小学校の前で国道4号線に合流。
そのすぐ先が、かつての新田宿。
↑写真左手の黒ずんだ門が旧本陣の表門で、その奥の邸宅には、現在も子孫の方が住んでおられます。
旧本陣から200㍍行ったところで旧道は国道から東へ離れて進みますが、その分岐点から数百メートルの区間は現在、住宅と畑 . . . 本文を読む
小山宿を出発し、県道265号線の現道を30分歩いた先が喜澤四叉路の信号、馬頭観世音を左に見て過ぎ、右手の細道が旧日光道中(上段写真)。
左は雑木林、右は住宅地となっていますが、かつては畑が広がっていたと思われるこの喜澤地区の旧道は、道幅からしてそれらしい風情が残っています。
しかし、雑木林は現在「売却物件」となっているようで、事実一部では既に更地化されて一戸建ての建築が始まっており、中 . . . 本文を読む
国立大劇場へ、劇団前進座の創立八十周年記念公演を観に行きました。
序幕の「唐茄子屋」では、長屋の人々のセリフ、
「たった四文で人助けができるなら…」
に、時節柄かなりのリアリティーをもって聞こえのが印象的。
中幕の「口上」は歌舞伎式に白粉を塗って裃を付けても、芸名が歌舞伎名でなくては…。
「秋葉権現廻船噺」は見たことも聞いたこともない狂言なのも道理なれ、この劇団が誕生して間もない昭和 . . . 本文を読む
「間の榎」の先が、かつての間々田宿。
上段写真左手にあった本陣も現在は駐車場になっているなど、旧宿場町の面影は皆無のためさっさと通り過ぎ、話すべきことの何も無い国道4号線の歩道を再び歩き続けること約30分、小山市粟宮で左へカーブする国道と分かれてさらに直進。
「神鳥谷」と書いて“ひととのや”と読む、振り仮名ナシでは絶対に読めない地区を過ぎるとあたりはだんだんと市街地らしい雰囲気となり、やがて間 . . . 本文を読む
今年の夏は団扇生活になるかなと思い、確かにこのあたりに…、と部屋のなかを漁っていたら、↑のようなのが出て来ました。
「ああ、これは…」
「テニスの王子様」-“テニプリ”の、越前リョーマ。
私が大阪から東京へ戻ってしばらくしてから、お台場のJUMP SHOPで購入したもの。
それまで自分の仕事のことしか頭になかった私に、初めて“外の世界”に目を向けるキッカケを与えたキャラ。
そして、私のそ . . . 本文を読む