横浜市岩間市民プラザにて、坂本頼光氏の活弁によるサイレント映画上映会を観る。
目当ては「チャップリンの消防夫」(1916年)で、DVDで持ってゐる作品ではあるが、活弁が入ると古いモノクロフィルムがたちまち瑞々しい輝きを放ち、新鮮な笑ひを誘われる。
たしかに、“言霊”といふものは存在する。
もう一本は、1919年に米国で制作された「散り行く花」。
トーマス・バーグの小説「中国人と子供」 . . . 本文を読む
川崎市麻生文化センターの狂言公演にて、大蔵流の「菌(くさびら)」を観る。
“くさびら”とはすなわち、キノコのことなり。
なぜか庭にキノコが生えるので祈祷して除ひてほしいと男から頼まれた山伏は、さっそく男の家へ出向ひて呪文を唱えるものの、かへってキノコがたくさん生へ出してつひに逃げ出す―
といった、わかりやすい内容の短い作品。
わたしが伝統芸能に興味を抱くやうになって間もない頃、TV番組でそ . . . 本文を読む
国立能楽堂で、今年もろう者俳優たちによる「手話狂言・初春の会」を観る。
雇い主と使用人との、いつの世も変わらぬ心理をスケッチした「杭か人か」、夫婦関係とは何かを深く問ひかける「川上」。
ドタドタ劇になりかねないところを、地に足のついた確かな技芸で魅せ、ろう者も健常者も一体になって大いに笑ひを誘った「二人袴」―
休憩時間、ろう者の観客たちが、
『健常者は耳から情報が入るからいいけれど、 . . . 本文を読む
寒波到来のなか神奈川県三浦市の三崎漁港へ出かけ、海南神社で奉納された「チャッキラコ」を観る。
チャッキラコとは短ひ細竹の両端に五色の紙飾りを付けた持ち物の名称で、それを少女たちが両手に持って踊る曲を含めた全六曲の踊りの、総称でもある。
ほかに扇を手に踊る曲もあり、二列に並んだ少女たちが年配の女性たちの素唄にのせて、向き合って踊るのが基本形のやうだ。
振りはいたって簡単なもので、い . . . 本文を読む
横浜にぎわい座にて、「笑福亭鶴光一門会」を聴きに行く。
「仇の道連れ」を口演する鶴光師の、“伊勢音頭”の下座にのせた浮きやかな身振りに、上方落語といふ文化の個性を見る。
若手の弟子に、客席の最前列から直接(じか)に祝儀を手渡してゐる男性客がゐた。
一門の贔屓なのか、あるいはさういふ姿を大勢の人に見せたいだけなのかわからぬが、わたしの隣席にゐた老婆がそれを見て、夫らしきツレの老爺に、 . . . 本文を読む
某住宅街で見かけた看板。
意味はもちろん、
『赤ちゃんのために、静かにして下さい』
である。
が、わたしはこれをパッと見、
『静かにしろい!』
と、赤ちゃんに対して苦情を言ってゐるやうに読めて、「ん?」となった。
いや……。
実は、じつは、さうかもしれない。
なにしろ近頃は、今までなんでもなかった音に対して、うるさく苦情をわめく輩が横行してお . . . 本文を読む
昨日までの押し詰まった忙しなさも、年が開ければ一転して、のんびりと静かな初日の陽気。
いつもの神社へ初詣に出かけ、
いつも「?」となる立て看板の字を見て、
お獅子に無病息災のおまじないをしてもらい、
太刀で魔払ひをしてもらい、
「今年もやりたいことがいっぱいあるぞ……!」
と、心身に気を大いに充たして、
青き空を仰ぐ。 . . . 本文を読む