今年も国立能楽堂へ、プロのろう者俳優たちによる「手話狂言・初春の会」を観に行く。
現在では稀曲の類に入るという「折紙聟(おりかみむこ)」は、夫婦の繋がりも金次第と考える男の賎しい根性を、風刺した作品。
しかし、そんな人は男女問わず、現代でもいる。
お金というものは、あってもなくても、人の心を蝕んでいくものらしい。
―と、そんなもっともらしいことをすぐ口にしたがる者を皮肉ったようにもみえ . . . 本文を読む
某所で、桜を模ったカードに応援メッセージをしたためて、ボードに貼り付けるコーナーを見かけた。
↑写真は、そこで発見した逸品。
はや、ぜったいぜつめい。
…あ、いや。
そのおもい、きっと届くよ!
きっと、
な。 . . . 本文を読む
国立能楽堂で、金春流の「巴」を観る。
“巴御前”と云えば、男勝りな女性の代名詞であったが、いまではほとんど、死語になっているらしい。
いまの学校は、自分の国の歴史を深く教えないからか?
あるいは、いまや至るところ“巴御前”だらけで、それが普通の光景となったからか?
いや、先人が伝える本家“巴御前”は、絶世の美女だった、という。
そうなると、近年よく見かける、水分の抜けたようなパサパサ . . . 本文を読む
国立能楽堂で、今年最初の能を観る。
番組は金春流の「当麻」。
思春期に継母からイジメられるなど、散々な経験をしたのち、当麻寺に今も伝わる曼陀羅を織ったという伝説の姫、“中将姫”がシテの曲。
きらびやかなうちにも落ち着きある唐織の文様、地に根を下ろしたように低く響き渡る地謡、おおらかに袖を翻す“中将姫”の早舞-
それらがひとつになった時、向こうにぼんやりと浮かび上がる“当麻曼陀羅”-
. . . 本文を読む
横浜美術館にて、「生誕140年記念 下村観山展」を見る。
明治6年、能楽の小鼓方の家に生まれ、幼少ながらにして絵画に才能を示した下村観山。
やまと絵を踏まえた日本画のみならず、イギリス留学によって習得した西洋画にも、その技量を遺憾無く発揮できたのは、本人の資質に加えて、周りの環境に恵まれたからに、ほかならない。
神童が長じて凡俗に終わることなく、日本画壇の大家として昭和5年に生涯を . . . 本文を読む
朝はやく、開店前の複合型商業ビルの前に、福袋待ちの群集が、列をなしているのを見かけた。
てっきり、身なりの小ざっぱりしたホームレスが、寒さをしのぐために、身を寄せ合っているのかと思った。 . . . 本文を読む
数年間しまったままになっていた三味線を、ふと思い出して、引っ張り出してみた。
三味線はとてもデリケートな“生き物”ゆえ、皮が破損しているのでは、と心配だったが、箱から取り出してみると、まるで中で時間が止まっていたかのように、あの時のままの姿を、わたしに見せてくれた。
かなり久しぶりに手にとるはずなのに、わたしの手は、指は、なんのためらいもなく、あの時のままの音色を、紡ぎだす。
体で覚え . . . 本文を読む