國學院大學博物館の企画展「祓 はらえ 儀礼と思想」を觀る。毎年六月末になると、各地の神社に茅の輪が設けられ、それを潜ってケガレを祓ふ人の姿を見かけたりする。かうした修祓はもともと宮中儀式であったが、平安末期あたりから神道家が「生計のため」多くの人々に御祓ひを請け負ふやうなった云々、かくしてその時代その時代の神道家によって自分の理想や思想を巧み . . . 本文を読む
ラジオ放送の、大藏流善竹家「空腕(そらうで)」を聴く。淀へ鯉を求めて来いと、夜道を使ひに出された太郎冠者の武勇譚(?)現代でも、街灯のない夜道は通るのに躊躇するが、野犬も夜盗もまだまだ現役の當時においては、その怖さはまた格別であったらう。今回の放送によるシテ(太郎冠者)の、まるで抑揚の無いボソボソとした喋りでは、前半の臆病ぶりと後半の空武勇ぶりとの變化が全く効かず、ちゃうど下手くそな . . . 本文を読む
橫濱市金澤區の稱名寺を訪ねる。この佛庭だけは、いつも俗世の喧噪から隔絶された、浮世のなかの浄土と、私は信じてゐる。若い人たちが、境内の篠竹を集めてゐた。幼稚園だか保育園だかで、七夕祭りに必要らしい。さうか、七夕か……、と、さういふ季節であることも忘れてゐる俗人が、ここにゐる。お隣り縣立金澤文庫の特別展「社寺明細帳図」を覗く。内務卿時分の伊藤博文が、明治十二年(1879年)に全國の社寺 . . . 本文を読む
午前中、たまたま目黒區目黒を通ると、當地警察署前にやたら報道屋がたかってゐるので、ナニかしらん……? と思ってゐたら、dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20230627k0000m040012000c?fm=d↑の騒ぎ。『捜査関係者によると、猿之助容疑者は両親と話し合っ . . . 本文を読む
地元でも、だいぶダリアの開花が見られるやうになった。和名を「天竺牡丹(テンジクボタン)」、夏の絢爛、夏の優美。それと入れ替はるやうに、紫陽花は旬仕舞ひ。紫陽花を白い紙で包み水引で結んだものを、厠へ逆さに吊すと金運上昇のまじないとなる云々。興味はあるが、水引を手に入れるのが面倒だな、と思ってしまふ。……やはり私は、カネ持ちにはなれさうにない。 . . . 本文を読む
クルマが全く来ない交差點で、二人連れの高齢女性が、「『みんなで渡れば怖くない』、よねぇ」ほほほ……、と赤信号の橫斷歩道を渡ってゐた。なんて老人だ──!などと腹を立てたりはしない。↑は「進め」、↑は「早く進め」、↑は「クルマが来なけりゃ渡れ」、である。ただ、「墓地へ行きたいんですが、どう行けばいいですか?」「この信号を渡れば行けますよ」「そうですか、ありがたう」 「……あ . . . 本文を読む
神田神保町の駿河臺下交差點まで来て、風景が記憶にあるものと著しく違ってゐることに面喰らふ。ここは、こんなに空が廣かったかしら……?その理由を、すぐに見つけ出す。さうだ、三省堂書店のビルが建て替へのために取り壊されて、いまは無いからだ──「トウキョウにはソラが無い」云々と詩人だか何だかが嘆いたのも、今は昔。かうした僅かな瞬間(じかん)だけ、都會 . . . 本文を読む
ラジオ放送の、金剛流「江口」を聴く。摂津國江口の西行法師ゆかりの古跡で、旅僧が出逢った普賢菩薩の奇跡。人間が見る聖や俗は、結局のところ人間が“欲”をもって自ら造り出したものであり、そこには何ら隔ても相違も無いことを、ぼんやりとした白い光の向こふに聞く。だいたい私は、普賢菩薩が誰なのかも知らない。おそらく、 これからも。 . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mbs_news/region/mbs_news-GE00050623?fm=dあの痛ましい事件からもふ一年が經たうとしてゐることに、年月の速歩ぶりを思ふ。(※事件發生直前の様子、・安倍晋三元首相 ・殺人犯) 首相にまでなった人の命が奪はれた衝撃と、殺人犯への怒りと。 . . . 本文を読む
今日は暦では“夏至”、太陽の上ってゐる時間がもっとも長い日云々。しかし夕方まで薄陽が差す程度で、食後の散歩にはちゃうど良い陽氣。私の乗った車両がたまたまさうだったのか、車内で咳をする“裸顔”のヒトがやけにゐたのが氣になる。 先日に御用學者が云ってゐた、“第9波の始まり”がコレかもしれない。やはり今夏も、ヒトのゐる場所ではマスクが必要だ。この調子では、まだまだナニがゐるかわからん。 . . . 本文を読む
葉書で、電氣料金値上げの予告状が届いてゐた。街なかの自販機で、原材料費高騰を言ひ訳にした値上げを一度やってみて味を占めたかのやうな段階的値上げを、かうした光熱費でもやるつもりだらうか? 諸物価の亂痴氣高騰を、浮世の人々は 「仕方がない」と云ふ。本當に、さうなのか……? . . . 本文を読む
ラジオ放送の、觀世流「俊寛」を聴く。俊寛僧都のみが中宮お産の恩赦から漏れ、独り絶海の孤島に殘された理由について、謠では解説者の云ふ通り一言も述べられず、ワキの赦免使も「藤原成経と平康頼の二人だけを赦免し、俊寛はひとり残すやう云はれただけだ」と、いかにもお役人な返答で躱すに留まってゐる。俊寛僧都が自分を引き立ててくれた平清盛に反旗を翻さうとしたこと、流刑先の鬼界ヶ島で神佛へ救ひの祈りを . . . 本文を読む
正午から図書館へ行き、ちょっとした補足で調べ物をするはずが、意外や“調査漏れ”の多いことが判明して、その補完にけっきょく午後の時間を大いに使ふ。キリの良いところで図書館から引き揚げて、殘したぶんは、また今度。新たな樂しみが出来た。私らしく時間を使へる樂しみ。……それにしても、大変なことを始めたもんだ。つひ笑ふ。 . . . 本文を読む
朝から夏日の陽氣を嫌って、今日は部屋のなかで過ごす。20時前に外で空を見て、向こふが未だうっすらと明るいことに驚く。梅雨ながら、時間はすでに夏のやうだ。現今の暑いのは、些かうんざり。しかしそのくせ、雨さへゐなくなるならば、本當に夏になってくれたら良いに、と思ったりする。 . . . 本文を読む
だいたい毎年夏頃に、一度は妙に出かけたくなる江の島へ、今年も行く。と云っても、土産店とお食事処と觀光客がひしめき合ふ狭い道を抜けて、さらに山坂を上って江島神社から稚児ヶ淵の岩場までを行くの道順よりも、島の東側――かつては岩山の島だった旧聖天島の脇を抜けた先の岩場のはうが、私は好きである。海藻のぬめりに転倒しさうになるのを用心しながら、潮の香りと飛沫(しぶき)のなかに身を . . . 本文を読む