松風が囁く。
“あの人と同じ心でいる限り、
あなたはずっと、
そのままに、
生きられる” . . . 本文を読む
甲州善光寺の門前を過ぎると、今回の探訪の目的地である甲府柳町宿に、いよいよ到着。
甲府は天領であっただけに防備も徹底しており、道筋には至るところに、当時の枡形がはっきりと残っています(上段写真)。
二カ所目の枡形を過ぎた先、甲府市中央に入ったところが、地名からも分かる通り、江戸時代の甲府中心部。
甲府柳町宿とは、ここがかつて柳町と云ったことに因るものです。
これより先の道中は、ま . . . 本文を読む
甲運橋を渡って石和宿を抜けると、国道411号線の現道を川田町、和戸町とまっすぐに通り、約4㎞ほどで中央本線「酒折駅」を過ぎて酒折地区に入ったところで、地名ともなった「酒折宮」(上段写真)へ立ち寄ることにします。
ここは景行天皇14年、日本武尊が東夷を平定したその帰途に滞在した跡。
日本武尊がここで詠んだ、
「新治(にいばり) 筑波を過ぎて 幾夜が寝つる
かがなべて 夜は九夜 日には十日を」 . . . 本文を読む
細道となった旧道は「遠妙寺」付近で国道411号線と県道302号線に合流して一本道となり、石和宿へと入って行きます。
ここは、古代にはいくつもの川が流れ込む荒れ地で、藺草が生い茂っていたことから、かつては「藺沢」と呼ばれていたところでした。
天慶8年(884年)に諏訪神社の神主がこの年に穫れた見事な粟を陽成天皇へ献上したところ、帝はその美味を喜んで「石禾」の地名を与えたのが、現在の表記の始まり。 . . . 本文を読む
笛吹橋を渡るとすぐに右折、道に沿って数百メート続く松並木↑は当時の名残りなのかな、と思いながら20分程歩くと、左手に「笛吹権三郎之像」が↓。
この少年は、
『鎌倉末期、日野資朝らと鎌倉幕府へ反旗を翻した藤原道義の嫡男で、笛の名手でもありました。
計画が失敗して甲斐へ逃れた父を慕い、母とこの辺りまで訪ねて来たところ、川の洪水によって母を見失ってしまいました。
その後何日も母を捜し続けまし . . . 本文を読む
栗原宿を過ぎると国道411号線の旧道↑を15分ほど歩き、「一町田中」交差点で左折して日川を渡って笛吹市に入ると、旧道は川に沿って続きます↓。
約15分後、日川が笛吹川に合流する付近の河川敷で、旧道は行く手を寸断されます。
笛吹川が細い流れであった江戸時代には、道はそのまま続いており、その先で徒歩で渡っていたそうですが、その後の大規模な河川工事で現在の姿になってからは、道筋もかくの通り . . . 本文を読む
勝沼宿から約3㎞の栗原宿は小規模な宿場だったこともあってか、当時の面影は全くありません(上段写真)。
下栗原地区には「大宮五所大神」と云う神社があり、
ここの本殿は、縁板が前へかなり迫り出しているのが特徴。
これは“歌舞伎造り”と云って、かつて甲州へ巡業に来た歌舞伎役者は、まず手始めとして必ずこの神社で芝居を打ち、甲州での評判の下調べをしたものだそうで、迫り出した縁板はその時の舞台 . . . 本文を読む
柏尾橋を渡り、大善寺を右に見ながら坂を下ってその先の「柏尾」信号を直進。
行く手に甲府盆地を眺めながら国見坂(上段写真)を下り、「上町」交差点を過ぎると、勝沼宿に到着。
なだらかな坂道に続く勝沼宿は天和4年(1618年)の成立で、現在も当時の建物がよく遺されています。
「等々力」交差点で宿場を抜け、約1㎞先で甲州市から山梨市へと入り、次の栗原宿を目指します。
. . . 本文を読む
すぐ先で国道に合流すると、目川沿いのなだらかな下り坂に。
約20分後、「観音隧道西」信号手前で一瞬だけ国道から分岐した左手には、使われなくなって久しい「長垣吊橋」が、いかにも廃墟らしい風情で見る人の足を思わず止めます(上段写真)。
かつて、地元のぶどう農家の人々が利用していたようです。
廃止された吊橋からさらに2㎞ほど行くと、次の勝沼宿への入口である「柏尾橋」に差し掛かります。
現在 . . . 本文を読む
駒飼宿を外れたところで笹子川に沿って坂を下り、国道20号線に突き当たると左折。
少し行ったところで旧道は左へ分かれ、目川に架かる立合橋を渡ると、すぐに右へ急カーブ。
ここがかつて「鶴瀬の関所」のあった場所で、現在は道端に棒標識があるのみ。
すぐ目の前を横切る国道を渡った先、左カーブのわずか百メートルほどエリアが、かつての鶴瀬宿です。
. . . 本文を読む
矢立の杉からは旧道が現存していないため、県道212号線をそのまま進みます。
約20分後、峠の頂上にある「笹子隧道」に(上段写真)。
昭和13年に完成し、平成11年に登録有形文化財となったこの古トンネルを抜けると、甲州市に。
ここからは麓にある駒飼宿まで整備されて残っている旧道を下り、
約1時間後、駒飼宿に到着。
峠の麓の集落といった風情で、本陣脇本陣ともに現存していませんが、民 . . . 本文を読む
甲州道中のほぼ中間点に当たると云う笹子峠、旧道は登り口(上段写真)と、山腹にある「矢立の杉」までの自然道として整備された800メートル区間を除いて、現存しているのかどうかが、資料を見てもハッキリしません。
山中で拾った折れ枝を杖に登り始めて約40分後、件の「矢立の杉」に到着。
昔、武士が出陣前にこの杉に矢を射て武運を祈願したことからその名が付いたとされるこの大杉、幹は太くて確かに立派です . . . 本文を読む