迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―児玉街道補2

2011-04-12 08:09:04 | 旧児玉街道
八坂神社の双体道祖神を過ぎたところで、下校途中の二人の男子中学生が、 「こんにちは」 と挨拶をして通り過ぎて行きました。 もちろん私も、「こんにちは」と返しました。 旧奈良梨宿の時と云い、この旧街道沿いの学校では、道で人と会ったら挨拶をするように指導しているのでしょう(お江戸でこういう子に会ったことはありません)。 最近こうした簡単な、しかし大事なこの一言を知らない若ぇ衆(し)がけっこう . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道補1

2011-04-12 08:08:17 | 旧児玉街道
藤岡宿までの児玉街道と、中山道の新町宿とを結ぶ藤岡道、現在の県道40号線は「4丁目」交差点角の原標前よりスタートすると、いかにも古道らしく蛇行しながら宿場を抜け、JR八高線「群馬藤岡駅」付近の藤岡607番地で、二手に分かれます(上段写真)。 これは間違いなく右が旧道なのでそちらへ進路をとり、駅前から伸びる通りを渡ってイトーヨーカ堂の裏手を直進。 やがて八高線の築堤に行き当たり、道はここで分断。 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道14

2011-04-11 04:56:31 | 旧児玉街道
しばらく行くと道の右手に、約1㌔南方にある「土師神社」への古い道標があることから、やはりこの道は何かの古道であることは確かのようです。 道標の先で土師神社方面からの道と合流し、右手に諏訪神社を見て過ぎると、いよいよ藤岡市街―児玉街道の終点である、かつての藤岡宿に(上段写真)。 時計を見ると、児玉宿を過ぎた先で見つけたあの道標から、1時間30分。 途中、神流川における迂回に30分ほどかかったの . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道13の3

2011-04-10 08:06:25 | 旧児玉街道
かつてはここに渡し場があったのでしょうが、現在ではストレートに向こう岸へ行くことは叶わず、500メートル程上流に架かる「藤武(とうぶ)橋」より迂回し↑、群馬県藤岡市へと入ります↑。 約30分後、かつての道筋の上では、対岸の着点からの直進上にあたる、JR八高線と国道254号線の跨線橋とがクロスする「第一小林踏切」を渡り、 その先の道が果たして児玉街道に当たる道筋なのか判りませんでしたが、 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道13の2

2011-04-10 07:43:43 | 旧児玉街道
道標から12分、「八日市」交差点で国道254号線を渡り↑、田畑が広がるなかをほぼ直進することさらに約10分、今度は県道22号線を渡って、道標にあった「元阿保(もとあぼ)」地区へ。 「阿保」と聞くと、私などは平城天皇の第一皇子にして在原行平・業平兄弟の父である阿保親王を連想し、ここはさだめし阿保親王と何か深い関係が…、と思いきや、鎌倉幕府の有力な御家人であった“安保氏”の領地であったことに因んだ地 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道13の1

2011-04-10 07:42:20 | 旧児玉街道
高札場の先で宿場町名残りの枡形跡を通って児玉宿跡を過ぎ、JR八高線のガードをくぐり抜けた先の「長浜町北」交差点で、国道254号線の新道と再び合流。 女堀川(おんなぼりがわ)と云う細い川に架かる八日市橋を渡って児玉郡神川町に入り、5分程直進した右手、大字八日市2520辺りに、地図で見付けた右へ入る細道が(上段写真)。 道幅、そして道筋のくねり具合、どれをとってもこの道がかつての児玉街道に違いない . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道12

2011-04-09 07:19:24 | 旧児玉街道
田んぼの中の古墳群を過ぎて5分程行った左手には、「広木一里塚」跡が↑。 ここには、児玉街道の前身とも云うべき中世「鎌倉街道」の一里塚であったと云う、高さ15メートル、樹齢400年の大榎があったそうですが、残念ながら20年程前に枯死してしまい、現在のものは二代目。 一里塚跡から10分行った「児玉警察署入口」信号で国道254号線は新道と旧道とに分岐、もちろん旧宿場町を通る旧道へ進みます。 分岐 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道11

2011-04-08 07:42:41 | 旧児玉街道
JR八高線の“鎌倉街道踏切”を渡り、その先で児玉郡美里町に入って10分ほど行った道端の叢のなかに、表面が損落して判読困難ながら、古い道標を見つけました。 そのちょっと先の「野中」交差点で国道254号線に合流する現道を延々歩くこと約40分、「駒衣(こまぎぬ)西」信号の歩道橋で、道は左へカーブ。 ちょうどその地点の左手に、細い道が分かれているのを見つけ、「あ、これだな…」と直感してそちらへ進路をと . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道10

2011-04-07 08:28:43 | 旧児玉街道
花園橋交差点を越えて左カーブから右カーブの坂を下ると、前方には荒川が。 かつてはこの辺りに「荒川の渡し」がありましたが、現在はそのまま花園橋を渡り(上段写真)、埼玉県深谷市へ。 傍らの石碑に清和源氏の家系図が彫られた、由来がイマイチはっきりしない宝篋印塔を左に見て過ぎ、国道140号線との交差点を越えて5分程行くと、「秩父街道(秩父往還)」に行き当たります。 児玉街道はここを左折、次の小前田 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道9

2011-04-06 07:57:12 | 旧児玉街道
宿場跡と思われる直線道路を10分ほど行ったところで、右手に真新しい薬師堂を見ながら道は左へカーブ、この先にある小中学校や商店の看板には、“男衾(おぶすま)”の名を多く見掛けるようになります。 これはもちろん、かつてこの辺りを「男衾村」と云ったことに因んでおり、遠く奈良時代の記録にも、その名が認められるとか。 そんな千年以上の歴史を誇る地名も、明治29年に近隣との合併によって消滅、現在は“大里郡 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道8

2011-04-05 08:06:41 | 旧児玉街道
前を歩く下校中の小学一年生らしき腕白そうな男の子が、「こんにちは!」と挨拶をしてきたのが縁(?)となって、数十メートル先にあるその子の自宅前まで“道連れ”となり、今度は「さようなら!」と挨拶して別れて奈良梨宿跡を過ぎ、隣りの能増(のうます)地区から大里郡寄居町へ。 やがて右カーブの上り坂、その先が次の今市宿跡への入口である、今市地蔵前交差点(上段写真)。 ここを左折するのは宿場の“お約束”だっ . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊-児玉街道7

2011-04-04 08:19:36 | 旧児玉街道
放物線状に残る旧道から約10分程行った右手には三基の石塔があり、右側と真ん中は庚申塔、左側は古い道標で↑、表面に二列に彫られた字を見てみると、右側には 「川越道 本村ヲ經テ 菅谷約三十丁 〇〇(二字不明)谷三十丁」 そして左側には、 「児玉道 本村ヲ經テ男衾村今市約一里」 と、はっきり「児玉道」の文字が! これこそ、この県道296号線がかつての児玉街道であることを示す、確かな証拠。 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道6

2011-04-03 08:21:10 | 旧児玉街道
菅谷宿跡を出発すると、やがて道は左折と直進下り坂とに分岐、児玉街道はそのまま直進。 東武東上線の踏切を渡って坂を下きると、志賀と云う地区に入ります。 ここから今度は上り坂に差し掛かろうと云うところで、右手に分かれる細道が(上段写真)。 これまでの経験から、「これが旧道だな…」 と読んで足を踏み入れてみると、住宅地に伸びるこの道はいかにも旧街道らしく蛇行しており、また入ってすぐ右手には、現在の . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道5

2011-04-02 07:54:08 | 旧児玉街道
約15分歩いた先で一度県道と合流、その先の「葛袋」信号で百メートル程残る旧道へ再びに入ると、目の前は都幾川(ときがわ)、この辺りにかつては渡し場があったはずですが、詳細は不明。 とりあえず近くを走る関越道に沿って架かる唐子橋を渡り、その先で右折して現在の県道344号線に入り、目を惹くようなものが見事に何も無い、旧街道探訪の見地からは実にツマラナイこの県道(上段写真)を歩くこと約40分、さすがにウ . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道4

2011-04-01 08:20:59 | 旧児玉街道
国道407号線を渡った先に見える幅の狭い道が、たぶん旧道だろうと、その雰囲気とこれまでの旧街道探訪で培った(?)“勘”で足を踏み入れてみると、やがて左手に庚申塔があり、「やっぱりネ!」とニンマリ。 ここから歩くこと約10分で、現在は東武東上線の「高坂駅」東側に位置する、かつての高坂宿に到着(上段写真)。 昔ながらの民家は、開業医の一軒と、上段写真左手の一軒を除いて残っていませんが、雰囲気がどこ . . . 本文を読む
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