国立能楽堂で、金春流の「葵上」を観る。
恋人を奪われたのみならず、衆人のなかで車を壊される恥辱をこうむった女が、病に臥す相手の女の枕許に、生霊となって佇む-
能管が、その高貴な女性の抑えきれない情念を、澄んだ音色のなかに、妖しくほとばしらせる-
しかし、生霊以上に恐ろしいのは、場所柄もわきまえず罵声を発する成年愚族の、その卑人根性かもしれない。 . . . 本文を読む
国立能楽堂で催された「第54回 式能」にて、金春流による「翁」を観る。
橋掛りから翁がしずしずと現れたとき、わたしはその姿から、人間にして人間ではない、“何か”を、感じた。
『能にして能にあらず』―
その所以、はじめて知る。
能楽は、見るだけではなく、“感じる”芸能でもあると、わたしは常におもう。
眼だけではなく、心で観ることも、求められる。
表面(うわっつら)の面白さだけでも . . . 本文を読む
庶民は能舞台に立つことが許されなかった江戸時代、京の町衆は座敷で謡曲を嗜むことで、その欲求を満たしていた。
今宵の国立能楽堂で催された“謡講(うたいこう)”は、その一形式。
日が落ちた頃、謡い手は障子や屏風の向こうに座って聴衆から姿を隠し、謡う“声”だけを聴かせる。
聴衆はおのれの耳だけを頼りに、謡の世界で遊ぶ。
そして素晴らしい出来栄えならば、謡が済むと、
「よっ」
と、小さく声をか . . . 本文を読む
横浜の大佛次郎記念館で開催中の、『「鞍馬天狗」 誕生 90年』展を見る。
90年前、関東大震災によって外務省の職を失った野尻清彦青年が、生活のために手掛た時代小説から誕生した幕末剣士-それが、“鞍馬天狗”。
またの名を、倉田典膳。
わたしが初めて、宗十郎頭巾に黒紋付を着流したこの幕末剣士に会ったのは、大佛氏の小説ではなく、それを原作とした嵐寛寿郎(アラカン)の映画によってだ。
ア . . . 本文を読む
梅が、花をつけはじめた。
今年も、待てば春が訪れるようだ。
気持ちも暖かくなる、そんな便りが届いた。
寺院の前を通り過ぎようとしたとき、廃車になったローカル私鉄車両の、顔面だけが残されているのを、塀越しに見つけて、
思わず足をとめた。
廃車になった電車がこのような形で保存されているのを、ほかでも見かけたりするが、わたしにはどうも無惨な“生首”のように見えて、好きになれ . . . 本文を読む