わたしは栗駒駅まで、彼を見送ることにしました。
どうしてもそうしたかったんです。
もちろん、役者としてではなくて、旅先で出逢った一人の人間として。
神社をあとにしようとした時、ちょうど夕陽が地平線に沈んだところで、空はその名残りに、まだ茜色に染まったままでした。
駅に着くまで、彼とは殆ど会話はありませんでした。
彼が前を歩いて、わたしはそのちょっと後ろを付いていく、そんな感じで…。
で . . . 本文を読む
「あの…」
彼はスケッチブックを仕舞う手を止めて、呟くような声で言いました。
「?」
「……」
顔を上げた彼のその表情には、何やら緊張感が漂っていました。
「あの…、あなたを、描かせて、もらえますか…?」
「わたしを、ですか…?」
「はい。人物画のモデルになっていただけたら、と…」
思いがけない申し出でした。
そして、綺麗な瞳(め)をわずかに伏せたその面差しに、わたしは睫の長い人 . . . 本文を読む
「…あ、ごめんなさい。思いっきり語ってしまいましたね…」
「いいえ、立派な意志ですよ」
わたしのもう片方の手が、彼のもう片方の腕にかかって…。
「“明日の成功は、今日の努力にある”、ですよ」
福岡の日舞の先生の言葉です。
わたしのなかで芽生えた一つの決意は、彼と出逢ったことで、確固たるものになりました。
「“明日の成功は、今日の努力”…。いい言葉ですね」
そう言って彼は腕時計を見ると . . . 本文を読む
青年は石段を駆け上がってきたわたしに気が付くと、スケッチブックから顔を上げて、
「あ、すみません…」
と慌ててスケッチブックを閉じ、Dバッグを掴んで立ち上がって、脇によけようとしました。
「ああ、そんな、いいんです…」
と、こちらこそ慌てて両手を振るわたしを見て、青年はその端麗な面差しに「…?」といった表情を浮かべると、
「あの…、もしかして、先ほど文化ホールで…?」
わたしは確かに、 . . . 本文を読む
わ、やめろ…!
…と、身を捩りながら平手で琴音さんの顔面を掴んで力一杯押し返すと、琴音さんは後ろへ倒れた勢いでそのまま一度湯に沈んで、その時に鼻と口から湯を吸い込んだらしく、手足をバタバタさせて溺れるのを、わたしは放ったらかしにして、脱衣場へ逃げました。
わたしはタオルで体を拭くよりも、唇をこするように何度も拭きました。
アノ生々しい感触は、なかなか消えませんでした。
何なのよ、一体…!
. . . 本文を読む
スッキリしましたよ。
生田杏子さんからようやく解放されて。
正直なところ、かなり参ってましたからね、杏子さんのセンパイ気取りには。
…でも、今こうして思い返しても、色んな意味で哀れなヒトだったなぁ、って思います。
今頃、地方回りをしながら、また新たな“身代わり”でも探しているのかなぁ…。
はい?中一の時にアレを、って…?
あ、ああ、ははは、そんなのデタラメですよ。
ただ、当時クラスに . . . 本文を読む
二日目の最後のプログラムは、十六時から三十分くらいの、地元コーラスグループによる合唱、それが済むまでは舞台袖の大道具を片付けられないので、わたしたちは先に楽屋の要らない物を片付けてトラックに積み込んで、それが済んでから舞台化粧落として、イベント終了まで待機することになりました。
ここの文化会館の地下には、劇場並みに男女別の楽屋風呂があって、わたしも一番最後に入るつもりで、誰もいない楽屋で一人待 . . . 本文を読む
今朝の雪も、午後からの晴天にみんな溶けて、ホッとしました\(^_^)/
俳優の藤田まことさんが亡くなられたとのこと。
享年76ということは、昭和8年生まれ。
私の師匠と同い年でいらしたのですね。
私にとって藤田まことさんと云えば、なんと言っても「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事役。
まだまだアクションが主流だった当時の刑事ドラマのなかで、アクションを演じない主役キャラは、斬新且つ異色でもあ . . . 本文を読む
楽屋へ戻ると、琴音さんがやはりマスクをしたまま立っていて、一人一人に「今日はスミマセンでした…」と謝っていました。
もちろんわたしにも謝りましたけど、さっきのようにわたしの目を見ることはありませんでした。
自分のミスとはいえ、役を高島陽也にとられたことを不服に思っていることは明らかでした。
そんななか、杏子さんはやけに上機嫌でしてね、楽屋へ戻るなり、今日のわたしの“活躍”を褒めちぎりだしたん . . . 本文を読む
映画監督の井上梅次さんが11日、86年の長寿を全うされたとの新聞記事を見ました。
石原裕次郎を世に送り出した監督として知られているようですが、私が“井上梅次”の名前を強く印象付けられたのはやはり、1962年に大映で製作された「黒蜥蜴」。
最初は大阪時代に関西ローカル局の深夜放送で、次は東京へ帰って来てから渋谷のシネマヴェーラで観ました。
オープニングに流れる独特な旋律のテーマ曲に、大木実、京 . . . 本文を読む
「……!?」
まさに、“泣きっ面に蜂”状態でした。
あ、なにを笑ってんですか。
もう、あの時はホントに恥ずかしかったんですからね。
ヒロインが客席通路でリアルにコケるなんて、ダサすぎもいいとこですよ。
しかも衣裳の裾がめくれて、思いっきりスネが見えちゃってたし…。
幸いだったのは、鬘をどこにもぶつけなかったことと、コケたのが最後列だったお陰で、舞台の方を向いて座っているお客たちの視界に . . . 本文を読む
琴音さんがトチッのは、昨晩飲み過ぎたせいよ、と杏子さんがわたしに衣裳を着付けてくれながら、耳元でこっそりと言いました。
琴音さんは、実は物凄い大酒飲みなんだそうで、
「アル中とまでは言わないけど、でもあのまま行ったらいづれそうなるわね、あのコ…」
そうやって次の日起きられなくて、舞台をトチったことはこれまでにも何度となくあったようです。
「昨日の夜も、随分と飲んでたもんねぇ。明日大丈夫なの . . . 本文を読む
明くる十月一日。
いま考えても、この日は色んなことがあったなぁ、って思います。
それこそ、わたしの大衆演劇体験のクライマックスと言ってもいいくらいです。
この日は朝から晴天でしたけど、TVで、
「明け方、東北本線で貨物列車が強風にあおられて横転、上下線とも不通となり、復旧の見通しは不明…」
と云うニュースが流れたくらい、明け方から午前中にかけて強い風が吹いて、わたしも窓からの隙間風がヒ . . . 本文を読む
京浜東北線は現在、新型車両のE233に全て置き換えられました。
それまでの209系は、5号車が6ドア車でしたが、今度の新型車両は全て4ドア車、京浜東北線ホームの↑も、近いうちに姿を消して、いづれこれも「ああ、そうそう…!」みたいな、懐かしい一枚になるんでしょうな。
いざ無くなると知ってから慌ててカメラを持って出掛けるのはキライだから、今のウチに撮っておきましょ。
はい、Maniacなお話しど . . . 本文を読む