迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊―児玉街道3

2011-03-31 07:46:29 | 旧児玉街道
石井宿があったと思われる辺りを抜け、現在は県道25号線の旧道を更に10分ほど行った地点の左カーブの右手に、スッと伸びる松が見えてきました。 松の傍には大きな地蔵が建っており、またベンチも設置されているなど、ちょっとした休憩スペースのようになっているその前には、県道とは別に左カーブの細い道が(上段写真)。 何の関心も無ければ、そのように造られたスペースのように映りますが、私には旧道の名残り、と . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道2

2011-03-30 07:36:34 | 旧児玉街道
平塚橋より平塚地区を歩くこと約20分、小畔川(こあぜがわ)に架かる「とげ橋」を渡って左カーブの緩い坂を下った川越市大字小坂1030付近で、歩きはじめて最初の庚申塔を、右手に見つけました(上段写真)。 かつて児玉街道にもあったはずの一里塚は、現在では旧奈良梨宿跡あたりの「かな?」と云う一箇所以外(後述)は全て消滅しており、また「児玉街道」そのものが地図上では存在していないことなどもあって資料が極 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―児玉街道1

2011-03-29 08:05:59 | 旧児玉街道
板橋仲宿の追分から「川越街道(川越往還)」として始まる、中山道の脇往還。 川越宿から先は「児玉街道(児玉往還)」として、現在の埼玉県川越市から坂戸市を経て東松山市、比企郡嵐山町、同 小川町、大里郡寄居町、埼玉県本庄市、児玉郡神川町を通り、上州藤岡(現 群馬県藤岡市)まで続いています。 当時の道筋は現在も活用されていますが、国道と県道の合わせて7本の道路にそれぞれ分断・整備されいるため、「児玉街 . . . 本文を読む
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とうきょうのげんざい。

2011-03-15 19:01:48 | 浮世見聞記
今日夕方の渋谷109の交差点。 寂しい、とは思いません。 いつもは賑やすぎるこのエリア。 これくらいで、いいよ。 . . . 本文を読む
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をんなのあいのかたち。

2011-03-13 21:51:43 | 浮世見聞記
梅若研能会の三月公演を観に、松濤の観世能楽堂へ。 今月は能が「巴」「西行桜」「鉄輪」の三番で、狂言は大蔵流大蔵家の「冨士松」。 今回観ていて、「巴」と「鉄輪」に共通しているものを感じました。 それは、おんなの、おとこを想う心、すなわち“愛”。 「巴」は、シテの巴御前が必死に防戦している間に愛する木曾義仲は自害してしまい、「鉄輪」は一生連れ添うことを誓い、信じていた夫から一方的に捨てられ . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―川越街道11

2011-03-11 07:35:38 | 浮世見聞記
川越市街、すなわち川越城下へ入ると、道は二カ所の桝形を除いて直線に。 上段写真は松江町に残る最初の桝形、↓は10分先の大手町に残る二つ目の桝形、 どちらも城下町時代の面影をよく伝えています。 川越城下に入って約40分、川越城の西側、現在の川越市役所前の交差点が、川越街道の終点。 中山道脇往還はこの交差点を左折したところから、「児玉街道」(第1回で既述)となって現在の群馬県藤岡市へ . . . 本文を読む
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さらばいとしの…。

2011-03-11 07:34:55 | 浮世見聞記
今日を最後に、485系特急車両がJR九州から引退します。 デビュー当初から賛否両論轟々だったと云う真っ赤な車体の“RED EXPRESS”、 私はいかにもJR九州らしくて好きでした。 それで大阪時代に、「にちりん」に使用されているこの車両にどうしても乗ってみたくて、起点の別府駅まで出掛けたりしたものです。 上二枚の写真は、その時に別府駅で撮影したもの。 ボディーカラーが赤一色にリニュ . . . 本文を読む
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ふゆにたきぎのう。

2011-03-10 23:40:00 | 浮世見聞記
「第二十四回 いたばし薪能」を観に、旧川越往還沿いの板橋区立文化会館の大ホールへ。 薪能と云えば、初夏か秋に野外で行われるという印象ですが、それをこの季節に、しかも屋内で篝火を焚いて?と不思議に思いましたが、実際には電飾の篝火を使用しており、いわゆる雰囲気づくりのための演出(屋内劇場で本火を用いることは、たしか消防法で禁止されているはずです)。 舞台の背後は鏡板ではなく、林をイメージした木立 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―川越街道10

2011-03-10 05:43:14 | 旧川越街道
川越市に入った旧道がまず通るのが、藤間という地区↑。 かつて藤がたくさん植えられていたことが地名の興りで、“藤馬”とも書いたとか。 またこのあたりには、「藤間中宿」と云う宿場があり、“中”と付くことから、おそらく間の宿―休憩所―であったと考えられます。 ついでにもう一つ、日本舞踊の大流派「藤間流」は、もとは狂言師だったと云う流祖が、当時“武州入間郡川越領藤間村”といったこの地の出身だったこと . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―川越街道9

2011-03-09 05:59:29 | 旧川越街道
鬼鹿毛馬頭観音を過ぎて15分、新座市大和田4丁目の柳瀬川に架かる英橋手前で国道254号線と合流、橋を渡って国道493号線浦和所沢バイパスを越えて坂道を上り、やがて埼玉県入間郡三芳町に。 三芳町エリアにはかつての松並木が残っており(上段写真)、歩道も広く整備されて歩きやすくなっていましたが、約30後にふじみ野市に入った途端に車道の端を白線で区切ったただけの狭いものに変わり、自治体の整備感覚の . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―川越街道8

2011-03-08 07:08:56 | 旧川越街道
左へ鉤の手に曲がり、そのすぐ先で黒目川に架かる大橋を渡ると今度は右へカーブ、その先で二又に別れる道を左へとり、道祖神を右に見て坂を上がって行きます↑。 上がり切ると住宅地のなかを通り抜け、朝霞市泉水1-4あたりで県道109号線に合流するとすぐに新座市野火止(のびとめ)に入り、ここから延々たる直線道路になり、JR武蔵野線のガード下を通り抜けるなど約2㎞、朝霞市大和田1丁目の大和田小学校前信号あたり . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊-川越街道7

2011-03-07 08:21:46 | 旧川越街道
鉄道マニア氏宅の先、和光市本町と朝霞市栄町3丁目との境を跨ぐように300㍍ほど残る旧道を通ると、あとは直線の県道109号線の現道を延々20分ほど行き、幸町3丁目信号の先で、旧道は右手へと入って行きます↑。 住宅地の中の細道といった感じで、約200㍍ほど行ったところで急な下り坂となり、再び県道109号線に合流、この辺りからが、かつての膝折(ひざおり)宿。 小栗判官の愛馬“鬼鹿毛”が、敗走中にこ . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―川越街道6

2011-03-06 07:43:12 | 旧川越街道
白子宿を過ぎると、すぐに「大坂」と云う曲がりくねった急坂を上り↑、県道69号線を越えると、今度は名称が往年の光景を想像させる「くらやみ坂」を下り、現在は“浅久保通”と名付けられている旧道を10分ほど行くと、 今度は県道109号線となった現道と丸山台2-28あたりで合流、さらに10分ほど行った道沿いに、いかにも鉄道マニアのお宅を発見、 「あはは、こんな所に“同類(おなかま)”がいらぁ…! . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―川越街道5

2011-03-05 06:57:56 | 旧川越街道
新田坂を下った先、白子川に架かる白子橋までの約200㍍ほどの地域はかつて「新田宿」と云われた集落で、昭和初期には小間物問屋や魚屋、造り酒屋などが軒を連ねる、橋向こうの白子宿から続く賑やかな場所だったそうで、道沿いに一軒だけ残っている古い家屋が↑、往年を偲ばせています。 白子橋の手前で埼玉県和光市への境界線を越え、橋を渡ったところからが、かつての白子(しらこ)宿。 現住所も白子ですが、当時の面影 . . . 本文を読む
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ニッポン徘徊―川越街道4

2011-03-04 04:30:54 | 旧川越街道
川越街道の国道254号線は板橋区成増2丁目あたりで緩やかな短い坂を下り、すぐに上り坂となりますが、その窪地にあたるところは“小次兵衛窪”といい、道の右手には庚申塔―「小治兵衛窪庚申尊」―が遺っています↑。 小次(治)兵衛とは昔この付近に出没した泥棒の名前で、のちに村人のために橋を架けて罪滅ぼしをした人物、と地元の民話は伝えています。 東武東上線「成増駅」前を過ぎ、成増2-26で旧道は右手の . . . 本文を読む
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