長崎縣が墺國を胴元に内定し、佐世保の遊興地に公營賭場を2024年までに開く計画云々。かうして日本國はますます夷(えびす)どもに侵蝕され、通貨を吸ひ上げられていくのである。しかも賭場の敷地内には、「日本の文化を紹介するため」として、國産マンガやゲーム、そして歌舞伎を見られる場も設ける予定云々。この歌舞伎云々に、私は思はず嗤ふ。映像で観る形にするのか、實際に役者を呼んで興行するのか知らないが、興行自体 . . . 本文を読む
これから年末へかけて、嬉しくない話しを聞かされたその夜、北東の空に稲妻が静かに走ってゐるのを見る。またなんといい具合に現れたものだと思ふ。妖光に驚き逃げ惑ふか、そのままじっと様子を窺ふか──?この場合、どちらを採っても結果は同じであることを、私は識ってゐる。 . . . 本文を読む
千葉縣佐倉市の國立歴史民俗博物館で、特集展示「鯰絵のイマジネーション」を観る。“鯰繪(なまずゑ)”とは、地震の元凶と考へられてゐたナマズを戯画的に扱ひ社會風刺を利かせた刷り物で、その名稱は近代の研究者により命名云々。地震發生直後から刷られる、作者や版元の署名も無いキワモノだが、そこにはいかなる災害も明るく洒落のめしてやらうとする江戸庶民の心の逞しさが窺へて、これぞ泰平の世の文化とも云へる。そもそも . . . 本文を読む
dmenuニュースよりhttp://topics.smt.docomo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20210828-567-OYT1T50316?fm=d「ブレイクスルー感染」──高齢者が先に二回のワクチン接種を済ませたゆゑに表れた症例であり、いづれ全ての年代に出て来るのではないでせうか。治療と予防の違ひを理解できないオメデタイ輩のなかには、二回の接種を済ませたらま . . . 本文を読む
昨年に通りかかった時は營業してゐた都内忘所のカフェが、久しぶりに通りかかると廢業してゐた。昨年のその時、テラス際に置かれた植物の棘が私の上着の袖に引っ掛かかり生地がほつれると云ふ、とても不快な思ひをさせられた、因縁のカフェ。文句を云ひに入るのも馬鹿らしいのでそのまま通り過ぎたのだが、現在(いま)見るこの体はやはり、國難の煽りを受けたものか。──なにやら疫病が私の代はりに“仇”を討ってくれたやうで、 . . . 本文を読む
外出先で、マヌケのために危うく事故に巻き込まれさうになる。もっとも、私は危ないことに氣付ひてはゐたが、わざと注意喚起せざりき。ちゃんと前を見て進むと云ふ、そんな原始的なことすら出来ないマヌケに明日を安穏に生かしてやるほど、私は善人ではない。無事に帰城して、今日もかうして西に日輪を拝めるのも、私の日頃の行なひが善いからである。道の神様に、ちゃんと御礼を述べに行かう。 . . . 本文を読む
目黒区美術館で、「包む─日本の伝統パッケージ」展を観る。戰前よりアートディレクターとして活動した故•岡秀行氏の蒐集した日本古来の“梱包素材”を通して、日本の“包む”知恵がいかに合理的で環境にも優しい文化であったかを知る。結局は有害ゴミとなるプラスティックを素材として用ゐるやうになったのは昭和三十九年の東京オリンピック以降ださうで、目先の利益しか考えない現代文明を象徴するかの如く、いまになってプラス . . . 本文を読む
千代田區九段南の昭和館にて、「ポスターのちから~変化する役割と広がるデザイン~」展を観る。私は現在でも興味ある企画の情報は、掲示されてゐるポスターやチラシから得てゐる。今回出かけたこの企画展も、さうして知ったものだ。近代文明黎明期には美人画の延長のやうに認識されてゐたポスターも、その發信性の高さから──受信性云々はともかく──、商業面と政治面の両方から有効な宣傅手段とし . . . 本文を読む
先日の横濱市長選挙では、為政者代表が全面支援する“恩人の息子”が大敗北するも、為政者代表は敗因をまったく理解出来ずにゐる云々。それにつひて報道屋は、疫病禍對策の失敗續きのみを指摘して、異様な飲食店イジメのほか、茶番大運動會の強行につひてはどこも全く挙げない。あの期間中、野球會場がある横濱公園は物々しく武装されて、“平和の祭典”からはおよそ程遠い雰囲気だったのを、私はこの目で見てゐる。あれこそが、こ . . . 本文を読む
十九時に近くなると空も暗くなりはじめ、今年の夏も暮れに入らうとしてゐる。JR東日本は毎年夏の期間中、東北旅行の氣分を盛り上げる。あざやかなる青空──あざやかなる深緑──あざやかなる日差し──たしかに、列車に飛び乗り出かけたくなる。が、現實はそれを嘲笑ふ。黒川能を観に行く玄関口である鶴岡驛の名を目にすると、またもや旅情を刺激される。が、現實はそれを嘲笑ふ。鶴岡驛の傍に屋根付きの廣場があり、そこで地元 . . . 本文を読む
九月に三重縣で予定されてゐた國体の中止を、縣知事が國へ申し入れ云々。この時世下では、ごく當然の判断である。 なにも、縣知事が報道屋の前で無念に聲を震はせることでもない。むしろ、堂々と表明すべきことだ。結論はもとより一つしかないのだから。茶番大運動會や甲子園における大愚をまたしてもやらかす必要など、どこにもない。大勢のヒトの流れが感染者と云ふ病原菌を増殖させることは、お盆の帰省を言ひ訳に大移動した面 . . . 本文を読む
朝のラジオで、金春流「戀重荷」の再放送を聴く。御所で上臈に戀をした庭守の老人が、目の前に置かれた荷を持ち上げてみせたならば彼女の姿を見せてやらうと廷臣に持ちかけられるが、巌を綾で包んだものゆゑ叶はず憤死する、老ひらくの戀の哀話。金春流の「戀重荷」は七十九世宗家が復曲したもので、その子息で八十世宗家の舞台は國立能樂堂で一度観てゐる。後半は惡鬼となって現世に舞ひ戻り、上臈に散々怨みを述べると一転して彼 . . . 本文を読む
東京メトロ銀座線の淺草行きを利用すると必ず、「今度の電車は淺草驛一番線の到着です」または、「二番線の到着です」と云った案内を聞かされる。一番線……?二番線……?それで何なのだ、と毎度思ふ。一番線だの二番線だのだけ言はれても、それがどちらのホームなのかわからない。「○番線は○○方面出口に近いです」くらゐまで案内してくれたら親切だが、淺草驛はどちらのホームから降りても、同じ . . . 本文を読む
昨日は千葉真一の疫病感染死を知り、今日には笑福亭仁鶴の病死を知る。千葉真一は大物俳優として名前を知ってゐるだけで、TVなどで観たことはあるのだらうが、記憶にない。人災疫病に感染してゐたことには驚いたが、しかし志村けんさんの訃報ほどには驚かない。あの訃報だけは、假に今であっても全身の力が抜けるほどに衝撃を受けるだらう。笑福亭仁鶴は、一枚だけ持ってゐる落語の収録CDでその印象があるだけ . . . 本文を読む
私がまだ幼少の時分、両親は都内の大森を転居候補地に考へてゐたことがある。しかし實踏してみたところ、騒音と空気の惡さから候補地より外した、と聞いてゐる。 以来、私のなかで東京都大田區大森とはさういふ印象が根付ひてゐたが、かつて昭和三十年代後半まで、「浅草海苔」を生産する独自の生活文化を持つ海辺の町であったことを、大森 海苔のふるさと館の冩真展「東京オリンピックに沸いたあの頃の海辺」を観て、初めてはっ . . . 本文を読む