
「応安の古碑」↑を右手に見ながら丘を下り、桝形を通って国道20号線に合流したところが、かつての蔦木宿。

中段写真の右側が本陣跡。
いまは表門を遺すのみで、裏は公民館となっています。
旧宿場町の雰囲気を復活させようと、過去に復元活動を行なったらしく、どの家屋も正面にかつてそこに存在した旅籠などの屋号を墨書した札を掲げ、

空地には同じく立て札で示してありましたが、この地区自体にはまったく人気(ひとけ)が感じられないせいか、せっかくの復元活動も中途半端に終わったような、なんとも寒々とした雰囲気でした。
次の金沢宿までは3里22町―約12㌔ですので、ちょっと気合いをいれて歩くことにします。
ということは、一里塚を三塚通ることになるわけで、その最初の一里塚(江戸から46里目)は蔦木宿から30分ほど行った平岡地区の入口あたりに東西揃って現存しているはずなのですが、見当たらず。
そのまま国道から分かれて、平岡地区へと入って行きます。

中段写真の右側が本陣跡。
いまは表門を遺すのみで、裏は公民館となっています。
旧宿場町の雰囲気を復活させようと、過去に復元活動を行なったらしく、どの家屋も正面にかつてそこに存在した旅籠などの屋号を墨書した札を掲げ、

空地には同じく立て札で示してありましたが、この地区自体にはまったく人気(ひとけ)が感じられないせいか、せっかくの復元活動も中途半端に終わったような、なんとも寒々とした雰囲気でした。
次の金沢宿までは3里22町―約12㌔ですので、ちょっと気合いをいれて歩くことにします。
ということは、一里塚を三塚通ることになるわけで、その最初の一里塚(江戸から46里目)は蔦木宿から30分ほど行った平岡地区の入口あたりに東西揃って現存しているはずなのですが、見当たらず。
そのまま国道から分かれて、平岡地区へと入って行きます。