“天下の四大関所”と称された福島の関所は、江戸初期より木曽代官の山村氏が世襲で守護にあたり、特に「女改め」と「鉄砲改め」に重点をおいて、取り締まっていたそうです。
つまり、“入り鉄砲に出女”というわけです。
山村氏のことは「夜明け前」にも、抗い難い地方権力の象徴として、たびたび登場します。
しかし、そんな彼等が代々守護してきた関所も、明治2年に宿駅制度が廃止されると、すぐに取り壊されました。
敷地跡は、そんな権力喪失後の虚しさを、現在に伝えています(上段写真)。
さて、関所を過ぎて池井坂と云う細い坂を下った先が、福島宿。
しばらくは↑のように、旅館や商店が賑やかに続きますが、途中で枡形に左折して横宿に入り、醸造メーカーの前を過ぎると、右折して上り坂に。
坂を上りきると高札場、ここで左折した先が、“上の段”。
その名の通り、丘の上に古えの宿場の雰囲気が、やや観光地化されて残っています。
上の段を抜けると緩い下りと坂となり、再び枡形が続くのは、
敵の襲来から、本陣を守るための工夫です。
中山道が整備された1600年代は、まだまだ戦国時代の気風が濃厚だった、その名残といえます。
つまり、“入り鉄砲に出女”というわけです。
山村氏のことは「夜明け前」にも、抗い難い地方権力の象徴として、たびたび登場します。
しかし、そんな彼等が代々守護してきた関所も、明治2年に宿駅制度が廃止されると、すぐに取り壊されました。
敷地跡は、そんな権力喪失後の虚しさを、現在に伝えています(上段写真)。
さて、関所を過ぎて池井坂と云う細い坂を下った先が、福島宿。
しばらくは↑のように、旅館や商店が賑やかに続きますが、途中で枡形に左折して横宿に入り、醸造メーカーの前を過ぎると、右折して上り坂に。
坂を上りきると高札場、ここで左折した先が、“上の段”。
その名の通り、丘の上に古えの宿場の雰囲気が、やや観光地化されて残っています。
上の段を抜けると緩い下りと坂となり、再び枡形が続くのは、
敵の襲来から、本陣を守るための工夫です。
中山道が整備された1600年代は、まだまだ戦国時代の気風が濃厚だった、その名残といえます。